あなたの地元に活気はありますか? 過疎地になっていませんか?
70seedsでも何度か取り上げた徳島県神山町。地方移住に興味がある人ならきっと知っている町でしょう。私、鈴木は今回初めて足を運びました。
Forbse Japanの「イノベーティブな街10選」にも選出された、と聞くとどれだけ最先端のテクノロジーにあふれているのか?と思うかもしれません。
でも実はこんなのどかな神山町。全国から、地域活性化のヒントを求めて、視察や取材がひっきりなしに来ているとは想像しにくいですよね。
神山町はどうしてこんなにも全国から注目されるのかを知りたくて、NPOグリーンバレー理事長の大南さんに話を伺った所、その活気の始まりは、ひとつの「洋人形」でした。たったひとつの人形をきっかけに町全体に広がっていった、神山町の地域づくりの考え方について、大南さんに話を伺いました。
移住者を"逆指名"して、町をデザイン
―大南さんは、もともと神山町の出身なんですか?
そうです。もともと海外に対する意識が強かったので、スタンフォード大学院で2年間海外生活を経験したのですが、1979年に家業の建設業を継ぐ形で神山町に帰ってきました。4人兄弟で男1人だったので、小さい時から将来は帰らないといけない雰囲気で育ってきたんです。帰ってきて家業を続ける傍らで、少しずつ地域づくりに関わり始めた、みたいなところです。
―地域づくりに関わったのは何か理由があったのですか?
神山町に帰ってきたのは1970年台後半。自分が小さい時から比べると過疎化が進んで人口も減ってきたけど、まだ多少なりとも活気を感じられる時期だったんです。でも小学校のPTAなどに関わっていたら、これからだんだん人が減っていくんだことを実感するわけですよね。このままではマズイと思いつつも、何の抵抗もできずに10年くらいの月日が過ぎていきました。
ちなみに、日本の地域づくりって、ほとんどが先進事例を自分の町にどう活かすかを重要視しているんです。だから視察に行って、そこで見てきたものを自分の町でやろうとします。2~3年続けるんだけども変化が生まれない、みたいな繰り返しをやるわけですよね。でも僕らには、アメリカから日本に送られてきた友好親善の「洋人形」がありました。
―それが青い瞳の人形アリスですね?
そう。アリスという人形が小学校に保存されていて、名前と出身地が書かれたパスポートを持っていたのね。「ペンシルベニア州ウィルキンスバーグ出身」と。1927年に送られてきた人形でした。63年前のことなので、当時10歳の女の子が送ってくれたと仮定すれば、1990年には73歳。まだ生きておられるかも分からんなという思いもあって、ウィルキンスバーグ市長さん宛てに手紙を書いて、送り主探しを依頼したわけです。
―見つかったんですか?!
半年ぐらい探してくれて、送り主が見つかりましたっていう連絡が入って......。そこで、「アリスは一度、神山にお嫁さんに来たのと同じ。お嫁さんに来たのなら、里帰りするやないか」という思いから1991年に「アリス里帰り推進委員会」を作りました。
結果的に20人ほどの住民が賛同してくれて、子ども達も含めて約30人でウィルキンスバーグに訪問したら現地の方々に大歓迎されたんですね。この成功体験を共有できたことが、後の地域づくりにとって大きかったと思っています。
―それは?
1999年に始めた芸術家を神山町に招待するプログラム「神山アーティスト・イン・レジデンス」での話が分かりやすいかもしれません。
人形の里帰りでプロジェクトを進めるための仲間づくりができ上がり、アーティストを神山に招待し、作品を残していってもらうアーティスト・イン・レジデンスを進めていると、滞在したアーティストから神山町に住みたいという話が持ち上がってきたり、自費滞在で訪れる欧米のアーティストたちが現れてきたりしました。そこで、同好会的に始まったアート事業から何らかのビジネスを起こせんかなと考え始めました。神山町には光ファイバーが整備されとったんで、「in Kamiyama(イン神山)」というWebサイトを作ったんです。
―どんなWebサイトですか?
アートに関する記事を、英語にして海外にも発信するWebサイトです。ところが、サイトが公開されて1番読まれたのはアートの記事ではなく、「神山で暮らす」というコーナーだったんです。神山の空き家情報がまとめられていて、「この家は2万円で借りられる」とか「この家は痛みが激しいから、薪ストーブを入れても大丈夫」みたいな情報が、他のコンテンツの5~10倍ぐらい読まれていました。神山みたいな田舎に引っ越したい人なんて、そんなにいないだろうと思っていたのですが。
―移住に対する需要が顕在化したわけですね。
それを受けて、仕事を持った人に移住してもらう「ワークインレジデンス」に取り組みました。地域に雇用がないのであれば、仕事を持った人に移住してきてもらう、仕事を作り出す人を呼び込めば、受け入れ側が仕事を準備をしなくていいわけですよね。さらに、誰もが地域に変化を起こすわけではないので、町の将来に必要と思われる人を、空き家を1つの武器にして、ピンポイントで逆指名しようって考え方です。
―移住者を逆指名って面白いですね!
そうそう。この家はパン屋だけに貸し出しますよとか。光ファイバー整備されているから、Webデザイナーにだけ貸そうみたいな。受け入れ側が、職種を特定・限定してしまうっていうことになります。
グリーンバレーはアーティストの移住支援をしていた実績もあったので、神山から移住交流支援センターの運営を委託されていました。そこで、事前に移住希望者の情報を掴むことができたので、それが得られたから町をデザインできることにつながっていったんです。
―町をデザイン、ですか?
具体的には、ワークインレジデンスを商店街の空き店舗に適用します。ここはパン屋さん、別の家にはWebデザイナーさん、次は誰を入れようかなみたいな話が現実に起こり始めて。そうしたら、ほとんど資金をかけずに理想の商店街ができるわけです。
2010年にはクリエイターの人たちがお試し滞在できる場所も作ろうということで、改修工事を進めました。その時に改修工事に手伝ってもらった建築士の友達が、神山町に初めてサテライトオフィスを設置したITベンチャー企業sansanの寺田社長だったんです。
―そこから次々とIT企業のサテライトオフィス設置が進んでいったわけですね。
「もうちょっと今よりワクワクする町が良いよな」
―地域で何かを始めるとき、目指したい方向が、それぞれ一緒とは限らないですよね。大南さんが中心になって目指したい町があるということを周りに伝えていたんですか?
せっかく神山町で生活するわけだから、"もうちょっと今よりワクワクする町が良いよな"ぐらいからのスタートでしたね。みんなが1つのことにフォーカスするのではなく、緩やかに今よりはワクワクできる状態をイメージしていた感じです。
―大南さんの考え方は、どの段階から持っていたんですか?
アメリカでの体験が大きいかな。周りは秀才ばっかりで、自分はそんなに頭の良い人間じゃないんやけど、頭の良いやつはなんぼでもおるなと。せやけども、秀才な人にも弱い部分は必ずあって......。逆に言うたら、自分自身も他の人が持ってないものは何か持っているはずやから、それで勝負しなかったらまともな勝負では絶対敵わんみたいな状況で。普通の人が考えることを逆転させて考える、みたいな発想の仕方を常にしていましたね。
―当たり前を疑うという発想法が、神山町にも活かされているということですね。
そうかな、多少そういうところはあるかも。例えばさまざまなことに取り組んでいたら、必ず分岐点が現れますよね。右へ進むか左へ進むか、みたいな。一般的には、より安全な道を通ると思います。だけども、僕らの場合はワクワク側を選んでいきますね。
―ワクワクする方を選ぶという考え方と、神山町が"日本を面白くする「イノベーティブシティ」ベスト10"で2位に選ばれたのにつながっている気がします。
リスクのすぐ近くに面白さはあるっていうことですね。リスクの周辺を覗くことに楽しさとか面白さを感じ取る人間の数が、神山町に少し多いって話やと思います。少し多いってだけで、人口で言えばたぶん数%くらい。そういう人を味方にできる人間が、5%ぐらいいると町はガラッと違って見えるっていうことになると思うんですよ。
―残りの95%の人は、どのようにグリーンバレーの取り組みを見ていましたか?
勝手に自分たちの好きなことやっとるから、傍観していたんだと思います。でも「アートやっても何にもならん」と、口にせんでも多くの人たちが思っていたと思います。
グリーンバレーの場合は結果を生み出したことによって、住民の間にある程度の信頼感を築けたということなんですよね。結果は人を納得させるから、グリーンバレーは町にとって、悪いことをせんだろうぐらいの安心感を持っていてくれる。安心感を持ってくれることは、行動する/しないにかかわらず、サポートはしてくれるっていう状態やと思うんです。
―地方創生という文脈で国が動いている中、お金もうけで地方に関わろうとする人も増えているように思います。神山町にもそういう人たちは来ていますか?
そういう人たちが入る余地がないと思います。普通は行政の手だてがないから、とにかくアイデアを持ってきてくださいみたいな話になって、お金儲けを目的にした人がやってくる。だけど、アイデアだけを持ってきても地域は変わらんから、プレイヤーが欲しいよね。そのプレイヤーが集まるような雰囲気は、他の地域と比べても神山町は充満していると感じますね。
―アイデアではなくプレイヤーが欲しい、ということですね。
大学生に2~3日ぐるっと町を回って、町に何が必要かというプレゼンしてもらうと、ほとんどがありきたりな内容に終始しているような気がします。「情報発信が必要です」みたいな。ほな、そう言うんやったら、あんたら情報発信してよって。
―なるほど...。
うん。逆に自分たちがプレイヤーになることによって、結果的に自分の進路が拓けてきたりっていうことは、出てくると思うんですよね。
エッジの立った人たちが、常に集まれる場作りを
―各地域の取り組みを見ていると、やっぱり地方に移住しやすい職種ってあるじゃないですか。エンジニアとかデザイナーさんとか。個人的にはその人たちによるデザインの多くが東京的であることによって、どこに行っても変わらなくなるんじゃないかという懸念があるんです。
どうなのかな。でも、どの地域でも今あるものをどう売るかみたいな視点って結構多いですよね。ラベルを変えたり、発信の仕方を変えたり。
でも、本当は根本的なものを変えることが重要だと思うんです。神山町の場合は、「Food Hub Project(フードハブ・プロジェクト)」っていう事業があって。食堂やパン屋さんを運営しているんやけど、単純にレストランとかの運営事業ではなくて。地域の人たちが食べたり支えることによって、神山町の農業を持続可能なものにしていこうという考え方なんです。
物を高く売るためのブランド化とかではなく、もう少し根源的な問題やと思います。神山町には根源に向き合う人たち、思想とか哲学をしっかり持った人たちが結構多いから、それにデザインが加わって相乗効果が生まれている気がしますね。
―そこには、"逆指名制"が大きな影響を与えていると思いましたが。
僕らが逆指名してるように見えるけども、実は彼ら自身が自分は神山には合うかどうかを、判断して来ていると思いますよ。それで、ここで暮らしていけるという信念を持った人たちが移住してくるので、色んな化学反応が起こりやすい状況にあると。
―行政も積極的にまちづくりに関わっていると聞きました。そのメリットは何でしょうか。
行政は予算という武器を持っているので、人の流れがよりダイナミックになっていますね。例えばランドスケープのデザイナーや建築家など、行政のプロジェクトを一緒に進めるために必要な、エッジの立った人たちが集まりつつあるというか。永住するかどうかは別の問題だけど、そういう人たちが今まで住んどる人たちと新しい変化を生み出すことにつながると思うんですよ。
―ちなみに、今まで多くのプロジェクトに取り組んでいて、失敗したことってあるんですか?
当然ありますよ。例え話だけど、普通失敗したプロジェクトは、パソコンでいうとゴミ箱に入れてしまいますよね。でも、自分らはこれをあんまりやらんな。「現時点ではうまくいかなかった」っていう捉え方をしますね。だから「ゴミ箱」ではなく、「未来フォルダ」を作って、そこに入れておくみたいな感じやな。
―熟成させるようなイメージですか。
そうそう。失敗したプロジェクトでも、その時にはたまたま時期が熟してなかったり、キーになる人がいなかったりで、うまくいかんかったみたいなものがあるわけですよね。ところが、何年か経つとピッタリな人が現れる場合がある。その時にあらためて、未来フォルダから取り出して、掛け合わせをやりますね。
―その考え方も、神山の「悲壮感がないポジティブさ」が現れていると思いました。
みんな能天気なんです。無理やりしようっていうのは、あんまりなくて。
いっくら頑張っても、できんことってありますよね。今の状態では、できないことって必ずあるから、みんなで顔をしかめて集まって、悲壮感漂わせても解決できない。でも「そういうこともあるわ」って放置しとったら、突然ある時に解決できるような状況ってのが生まれてきたり、タイミングが生まれたりするっていうことだと思うんですよ。
―これからの神山町の役割ってどんなことだと思っていますか?
エッジの立った人たちが、常に集まれるような場づくりが一番大事ですね。自然とそのエコシステムの中で、新しいことが生まれると思っています。
―移住してきた人たちが自走するってことですよね。
そうそう。例えばスマートフォンがなかった時代は、旅行の時に地図を持って行っていた。最近は地図なんて持っていかずに、全部スマートフォンで完結してしまう。
10年前には、こんな未来を考えられていないわけやから。大きな未来図はあるんやろうけど、細かいところまで計画を立てたところで何の意味も持たんかなと思うわけです。白紙の状態から色んなものを加えて、何かが自走して生み出される方が健やかさがあって良いと思っています。
【取材後記】
それぞれの地方がそれぞれのやり方で取り組んでいる問題。それに対して神山町が全国から注目される理由が理解できたように思えます。当たり前を疑い、自分たちがワクワクする街にしていくには何が必要か?と考えること。あなたの地元は、どうでしょうか? どんな取り組みをしているのか、ちょっとインターネットで調べてみるのも良いかもしれません。
(取材:鈴木/編集:庄司)