朝日新聞社の言論サイトである「WEBRONZA」は今を読み解き、明日を考えるための知的材料を提供する「多様な言論の広場(プラットフォーム)」です。「民主主義をつくる」というテーマのもと、デモクラシーをめぐる対談やインタビューなどの様々な原稿とともに、「女性の『自分らしさ』と『生きやすさ』を考える」イベントも展開していきます。
「民主主義をつくる」は、
①巻頭論文
の三つで構成しています。
はじめに
齋藤純一さん(左)と議論するSEALDsのメンバー
◆SEALDsとは:2015年5月3日に創設された学生団体「自由と民主主義のための学生緊急行動」(Students Emergency Action for Liberal Democracys」のこと。安全保障法制に抗議し、国会正門前などで大規模デモを展開するなどした。
◆SEALDsからの出席者 千葉泰真(ちば・やすまさ)/元山仁士郎(もとやま・じんしろう)/今村幸子(いまむら・さちこ)/是恒香琳(これつね・かりん)/安部さくら(あべ・さくら)/大高 優歩(おおたか・ゆうほ)山本雅昭(やまもと・まさあき)
◆齋藤純一/早稲田大学政経学部教授(政治理論・政治思想史専攻)
◆司会 松本一弥/朝日新聞WEBRONZA編集長(末尾に参加者の略歴を掲載)
松本 集団的自衛権の行使などを可能にする安全保障関連法が2015年9月19日、参院本会議で可決、成立しました。
この安保法制をめぐっては反対を訴える運動が全国的な広がりを見せましたが、それまで政治には関心がないかのように思われていた若者たちが国会前を始めとする路上に出て、自分たちの言葉で法案に対する疑問や反対を語った姿が強く印象に残りました。中でも立憲主義の重要性を掲げ、「民主主義って何だ」とコールで問い続けることで注目を集めたのが学生団体「SEALDs(シールズ)」です。
この対談は、SEALDsのメンバーのほうから、「『自由』(岩波書店)という本を書かれた早稲田大学政治経済学部教授の齋藤純一さんと話してみたい」という声が上がったことをきっかけに実現しました。
斉藤純一さんが執筆した『自由』(右)と、SEALDsのメンバーが事前に学習したノート
若者の素朴な疑問や危機感から発したフレーズが多くの人に届いたという点にSEALDsの真骨頂(の少なくとも一つ)があるとは思いますが、また「答えは過去に書かれた本の中に必ずしもあるのではない」のだとしても、今回はあえて、デモクラシーに関する古典とされるような書物を事前に読んだ上でじっくり議論してみようと考え、「参加者は頑張って本を読もう」というルールを設けました。
メーンのテキストとしては、斉藤さんの「自由」を読むこと。加えてお金と時間に余裕のある人は(笑)、斉藤さんが本の中で言及されている本の中から3冊ピックアップして読んでみること。
すなわち▼政治哲学者、ハンナ・アーレントの「自由とは何か」(「過去と未来の間 政治思想への8試論」所収、引田隆也、斉藤純一共訳、みすず書房)、▼政治哲学者、アイザイア・バーリンの「二つの自由概念」(「自由論」所収、福田歓一他訳、みすず書房)、▼哲学者で経済学者、J.S.ミルの「自由論」(塩尻公明他訳、岩波文庫、斉藤悦則訳、あるいは光文社古典新訳文庫)をサブテキストとして指定しました。
みなさん、「自由」についてはノートをとるなどしてしっかり読んでくれたようですね(笑)。
安部さくらさん
千葉泰真さん(左)と今村幸子さん
山本雅明さん
元山仁士郎さん
大高優歩さん
齋藤純一さん
松本 SEALDsの活動については「長らく国民的な社会運動が起こらなかったこの国に刺激を与え、デモクラシーの精神を呼び起こした」といった高い評価がある一方で、冷めた見方もあり、加えて「学者やメディアが若者を持ち上げて〝過大評価〟するやり方には疑問を感じる」などといった批判や反発も出ています。みなさん自身はデモなどの活動を通じてどんなことを感じてきましたか?
まずはそのあたりから話していただければと思います。
学生団体「SEALDs」などが主催した抗議行動には、多くの人たちが集まり、新宿伊勢丹前を埋め尽くした
元山 まず、SEALDsの、これまでの歩みについてお話をして、その後に、2015年の夏の活動を通じて、現段階で感じている成果のようなものについて話をしたいと思います。最初に僕が話しますが、補足があれば、他のメンバーも付け足してくださいね。
元山仁士郎さん
SEALDsは2015年5月3日の憲法記念日に立ち上がりました。そのあと、5月14日に安保法制が閣議決定されたので、それに対して首相官邸前で抗議を行いました。
それから少し間が空くんですが、6月5日から毎週金曜日、国会前抗議行動を始めました。ときには渋谷や新宿などの街中で、街宣(活動)をすることもありました。そうした活動が、9月19日の安保関連法案が成立してしまった日まで続きました。その後は、10月2日に「安倍政権にNO集会」に参加して、11月14日に辺野古の新基地建設に反対する街宣活動を東京で行い、12月6日には銀座で大行進をしました。
これまでいろんなデモや街宣に参加していますけど、僕たちSEALDsは、「自由と民主主義のための学生緊急行動」とうたって活動しているので、安保法制も原発の問題も、あるいは辺野古の新基地建設についても、自由と民主主義の問題にかかわることだからやっているんです。
SEALDsのウェブサイトを見ていただければわかりますが、「立憲主義」「生活保障」「安全保障」を3つの軸にした政治を求めていて、いまあげた問題は、自分たちが求めている政治のビジョンには相反することだという認識を持って声をあげています。
松本 ウェブサイトには、「私たちは、立憲主義を尊重する政治を求めます」、「私たちは、持続可能で健全な成長と公正な分配によって、人々の生活の保障を実現する政治を求めます」、「私たちは、対話と協調に基づく平和的な外交・安全保障政策を求めます」という三つの軸が打ち出されていますね。
「私」という一人称単数で語る言葉の広がり
元山 そうなんです。つぎに、自分たちが「成果」として考えていることについて、四つお話したいと思います。
2015年の夏、「安保法制に反対」という声をあげ続けてきて、僕が感じた成果はまず、自由とか、民主主義とか、立憲主権とか、主権者とか、そういった少し硬い言葉を広めることができたかな、と思っているんです。一人ひとりが、これらの言葉を、路上でもパブリックな場所でも、発言できるようになったんじゃないか、語れるようになったんじゃないかって。
二つめは、むずかしい言葉だけじゃなく、「私」という一人称単数で語る言葉の広がりというのも同時に実感しているんです。SEALDsは、東京以外にも、関西、東海、東北、沖縄(琉球)と五つの地域にあるんですけど、この地域以外にも、いま、いろんな場所で、僕らと同世代の10~20代の人たちが立ち上がっています。
彼らのデモや街宣のスタイルを見ていると、それぞれが一人称で語っているんですね。つまり、「私」がどうしてこのデモに参加しているか、「私」が政治についてどういう思いを持っているか、「私」が安保法制についてどう考えているかなど、みんな「私」を主語にして語っていて、一人称単数で語る広がりが生まれたかなと感じています。
松本 冒頭でもいいましたが、既存の組織や団体の内部で使われているような「仲間内ことば」を使わず、また特定のイデオロギーや集団としての考え方にしばられることなく、素朴な疑問や危機感を持った一人ひとりが、自分の胸のうちにわき上がってきた思いをそのまま声に出して訴えたという点が画期的だったのではないかと考えています。
そうした運動形態は、戦後の日本の社会運動の中で、あるようで実はなかったと思われるからです。
元山 「成果」として考えている三つめは、野党共闘についてです。今年7月に参議院選挙があるわけですが、SEALDsのこれまでの活動を通して、野党共闘というものを、現実味を帯びた形で可視化することができたんじゃないかと思っています。「安保法制反対」「憲法をしっかり守る政治をつくっていく」という受け皿を、野党共闘によってつくっていけるんじゃないか、ということですね。
松本 野党共闘は具体的にどのように働きかけたのですか?
元山 2015年の6月27日に、渋谷のハチ公前でSEALDsが街宣をしたんです。そのとき、維新の会と民主党、共産党、社民党、生活の党、この五つの政党に所属している国会議員、あるいは市議会議員の方が街宣車の上に立って、スピーチをしたり、メッセージの代読をしたりしてくれたんですね。
そのあと、生活の党の山本太郎参院議員は、用事があって途中で帰られたんですけど、残った野党4党の議員たちが手をつなぐという場を僕たちがつくって、それが報道された。そこから大きな野党共闘に向けた動きが始まったと考えています。
元山仁士郎さん(左)と千葉泰真さん
最後に四つ目の成果としては、これまで活動を続けてきた人や、あるいは学者の人たちに対して、「なぜこんなに危機的状況になってしまったのか?」「あなたたちが今までやってきたことはなんだったのか?」という問いを投げかけることができたのではないかと思っています。
以上四つが、去年の夏、SEALDsが活動してきた成果として僕が認識していることです。
ぶれない軸を打ち出していきたい
今村幸子さん
千葉 昨年の9月くらいまでは、まだ安保法制の話題がホットだったんですが、それ以降はメディアの報道も次第に少なくなっていきました。僕たちは、デモや街宣をし続けてきたんですが、人の集まり具合やリアクション、熱気というものは確実に冷めてきている。
それに加えて、政権側も、参院選では安全保障ではなく経済の分野を争点にして戦うと明言しています。そんななかで、僕たちが何に対して反対しているのか、世間の側から見て、どんどん見えづらくなってきているというのが現状です。
SEALDsは、安保法制にも反対だったし、TPPにも反対、大阪都構想にも反対、結局全部に反対しているだけじゃん、という感じに受け取られてしまっているんです。そこに、ある種ひとつの批判があることは事実です。それに対して僕たちは、SEALDsの公式サイトにアップしている三つのステイトメントにあるような、ぶれない軸を打ち出していかなくちゃいけないと思っているんです。
今後の課題として、僕らは、この国の将来ビジョンを述べているんだということを、まずは多くの人に伝えたいんです。簡単なことではないので工夫が必要ですけど、やはり原点に立ち返って、僕たちが目指すこの国の将来ビジョンを、もう一回明示することで、なぜ僕たちは反対しているのかというところを、今年はギアを上げて伝えていきたいと思っています。
デモをするのがあたりまえの光景になった
千葉泰真さん
今村 結局、安保法制が成立してしまったんだから、デモなんて意味なかったんじゃないかという批判がありますが、私はそうは思っていないんです。
民主主義国家なのに、今までは政治に興味を持つことが国民のスタンダードじゃなかった。その状態からスタートしたのに、デモするのがあたりまえの光景になってきましたよね。国会前には12万人もの人が集まり、全国的には130万ほどの人がデモに行き、連日、デモに関する報道が流れました。
昨年の9月15日には、ただの大学生にすぎない奥田愛基(あき)くん(SEALDsの中心メンバー)が参院特別委の中央公聴会に呼ばれたりもしました。それに、絶対手をつながないと思われていた党同士が、野党共闘で手をつないだり。そういう途中結果が出たことは成果だと思っています。ここから先、「安保法制反対」、「立憲主義や民主主義を守れ」という声をどんどん大きくしていきたい。
興味のない人たちにどう声を届けるか
今村 それと、私たちの意見に反対している人たちからどう共感を得るか、まだ興味を持っていない人に、どう声を届けていくかという課題があります。
いままでだったらデモをやればいい、というのがあったけど、これからは論理の面でも打ち出していかないといけない。それに、選挙の投票率も上げないといけない。参院選に向けて、いろいろとやらなくてはいけないことが増えてきているんじゃないかな、と思います。
千葉 少なくとも、声を上げた人たちや、僕たちの声が届く範囲の人たちには、ある程度、浸透していっているのかなと思う。でも、そうじゃない人たち、たとえば、「国会前で騒いでいるだけでしょ」「そんな騒いだって、デモしたって仕方ないよ」と思っている人たちと、どうやって危機感を共有できるか。
立憲主義や民主主義がどれほどこの国にとって大切なのか、国家というものに対して大事なセオリーなのかということを、ちゃんと届けていくということが重要だし、課題です。
会って話をすることの大切さ
松本 考え方の違う人たちにどうやって自分たちの意見を届けていくか、それはすごくむずかしい課題ですね。もちろんみなさんだけが背負う問題ではなく、メディアも含めてオトナたちが背負っていかなくてはいけない問題でもありますが、みなさんは「壁」の向こう側にいる人たちにどうすれば声が届くと思いますか?
元山 先日、新潟と金沢に行ってきたんですけど、やっぱり、直接話す、話をしに行くというのは、すごく有効で手っ取り早い手段だなと思います。実際、SEALDsという名前を知っている人たちはたくさんいますけど、顔が見えないというところがあって。「何に反対しているのかよくわからない」とか、「誰が言っているのかよくわからない」とか言われるので、実際に地方に足を運ぶことはすごく有効なんです。
新潟に行ったときも、会場に300人くらい集まってくださった。金沢も120人くらい集まって会場は満杯だったんですよ。これはすごい、これだけ広がりがあるんだ、と実感しました。
もちろん、ずっと活動してこられた方の中には、先ほども言ったようにぼくらの主張に賛成の人たちばかりじゃなくて、実際に批判というか疑問の声も質疑応答のときに上がりました。けれども、そういう場に出かけていくことは、まだ声が届いていない人に声を届けるチャンスですし、どうしたらいいかわからずに悶々としている人たちも会場に来てくれたと思うので、そういう人たちと出会えたことはよかったな、と。
だから、地方巡業じゃないですけど、地方に足を運んで、直接会って話をするというのは有効な手段だと感じています。
是恒香琳さん(左)、今村由希子さん(真ん中)、安部さくらさん
千葉 あとは、媒体の力。特にメディアの力は大きいと思っています。国会前の行動も昨年5月からやっていたんですけど、6月11日に報道ステーションで中継が流れてから、目に見えて参加者が増えました。それに、あの報道を境に、個人的なリアクションも変わりました。
それまでは、いくらぼくらがフェイスブックなどで安保法制の問題点とかを発信しても、地元の友だちなんかはノーリアクションだったから。報道されることで、それまでは「一部の学生だけが騒いでいるだけだ」としか思っていなかった人たちも、「案外、彼らはちゃんとしたことを言っているのかもしれない」と認識を変えるんです。
だから、大手メディアにはこれからも責任を持って発信し続けてほしいんですよ。昨年は、安保法制はあれだけ騒がれたし、報道しやすかったと思うんですよね。誰もが大事な問題だから取り上げなくちゃいけない、という風潮だったでしょ。でも、今年はそうじゃないかもしれない。
けど、次の参院選はこの安保の問題(立憲主義や民主主義のあり方)が問われているんだということを、大手メディアが責任を持って発信し続けてほしい。昨年は戦後70年でしたけど、戦後71年目の今年を、日本はどう歩むのか。そういう責任意識というか、問題意識を絶えず発信していく、というのはメディアの責任ではないかと思います。
国会前はあれだけ象徴的な場になって、それなりに注目されました。しかし、僕は東北出身で、特に田舎というか地方の人たちには届いてないと思うんですよ。じゃあ、その人たちにどうやって届けるかといったときに、やはり元山くんがいったように、顔と顔を合わせて話すのがいちばん強い。それが間違いなくいちばん強いんですけど、みんなにそれができるわけではない。
そうなると何かの媒体を通して、その人たちに伝える必要があって。僕たちもSNSとかで発信はしていますけど、やっぱり地方の人たちには、既存メディアや紙媒体が強いんですよね。だからメディアの役割はとても重要なんです。
今村 私もメディアはすごく大事だと思っています。でも、報道されることは増えたんだけど、コールの様子が多く取り上げられたので、「論理がちゃんとしていない」とかっていうマイナスイメージがついてしまった面もあって......。
安保法制反対派はなぜ反対しているかを、スピーチとかステートメントなどで伝えてはいるんですけど、論理の面を押し出したコンテンツをもっと作らなければならないな、といまは考えていますね。
誰かに任せず、自分で声を届ける
是恒香琳さん
是恒 私は、またちょっと今村さんとは違うかもしれないんですけど、SEALDsの成果というのは、ある意味、政治への責任の自覚というか、自分で声を上げるぞ、そしてその声を届けるぞということ自体ですね。今まで、やはり人任せにしていたと思うんですよ。
私はこの社会に対して、不満はたくさんあるけど、どこかで誰かがきっとうまくやってくれるに違いない、とずっと思っていた。でもそうじゃなくて、誰かに任せていたってしょうがないんだから、自分で声を上げて、その声を届けて、活かしてもらう、聞いてもらうってことこそ、民主主義じゃないのかと思うんですよね。
それは私たちも同じで、誰かの声に耳を澄ませてみる、いろいろな声を聞いてみるということも民主主義。もちろん、自分の声を届けるってことも大事なんですが、同時に「誰かの声に耳を澄ませる」ということも民主主義の一つなのかな、と。私は昨年の夏、SEALDsを通してそれを学ぶことができたので、それはSEALDsの成果なんじゃないかと思っています。
あと課題としては、わかりやすい結果みたいなものを、まだいまだに多くの人は求めています。でも政治っていうのは、そんなにわかりやすい白か黒かみたいな結果じゃないんですよね。状況というか、グラデーションだと思うんです。
白黒じゃなくて、その間のモヤモヤしたゴツゴツした何かをみんなでつくっていく。それこそが政治なんだ、という感覚が多くの人に欠けている。勝った、負けたみたいな、そういう低い次元で物事を見ているんですよね。野球じゃないんだから、もうちょっとみんなが政治というものに対して、自分の問題として考えていく、グラデーションの中で自分を位置づけていくみたいなことを伝えていけたらいいなと思っています。
自分たちの政治文化を構築する
齋藤純一さん
齋藤 いくつかSEALDsの運動をみていて、こういうことかなと思ったことを、質問を交えながら話していきたいと思います。ひとつは、先ほど元山さんもおっしゃったけど、一人称単数で語ること。奥田愛基さんが「孤独に思考する」とよく言うけど、あれは彼が好きなフレーズでしょ?
元山 あれを言いだしたのは、牛田(悦正、よしまさ)くんなんですよ。
齋藤 奥田さんじゃないんですか?
一同 牛田くん!(笑)。メガネのラッパーの子です!(笑)
安保関連法案の参院特別委の中央公聴会で、公述人として意見陳述する「SEALDs」メンバーの奥田愛基・明治学院大学生
松本 「孤独に思考する」ということに関連して、奥田さんは2015年9月15日の参院特別委の中央公聴会でこう語ったんでしたね。少し長くなりますが引用しておきましょう。
「強調しておきたいことがあります。それは、私たちを含め、これまで政治的無関心といわれてきた若い世代が、動き始めているということです。これは誰かに言われたからとか、どっかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。私たちは、この国の民主主義のあり方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっていると思うんです」
「私たちは、一人ひとり個人として、声をあげています。不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。政治のことは、選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい。この国には、どこかそのような空気感があったように思います。それに対して、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは、あたりまえなんだということ、そう考えています。そのあたりまえのことをあたりまえにするために、これまでも声を上げてきました」
「そして2015年9月現在、いまやデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々が、この社会の空気を変えていったのです。デモや至る所で行われた集会こそが、不断の努力です。そうした行動の積み重ねが、基本的な人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じています」
「最後に私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。どうか、どうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください」
千葉 奥田くんが中央公聴会で参考人として話した内容は、いろんなメンバーがスピーチしたことを結集したものなんです。奥田くんが、SEALDsのメンバーを代表して話すわけですから。彼がいろんなメンバーの言葉をピックアップしたんですよ。だから、もちろん「孤独に思考し、判断する」っていうのは、奥田くん自身の言葉でもあるわけですけど、でも、もともと使いだしたのは牛田悦正くんっていう、太ったメガネのラッパーなんです。
齋藤 牛田さんって、ハンナ・アーレントとか読んでそうだよね。
千葉 そうです、そうです。
齋藤 孤独に思考する、なんて言うのはアーレントかなと思って。「思考という内的な対話は孤独に行われる」。アーレントの「精神の生活 1」(岩波書店)、「思考」編ですね。「全体主義の起源 3」(みすず書房)にはこんなことばもあります。
「厳密に言えばすべての思考は孤独のうちになされ、私と私自身との対話である」
SEALDsは、わりと組織の論理で考えたり、組織の論理で行動したりっていうことと距離をとろうとしているなとずっと感じていました。60年安保のときは、みなさんご存じのように団体からお金が出て人を動員して、参加するときもユニットごとに行って、弱小なところは後ろにつけ、みたいな。そういうことを言われたと聞いたことがあります。
SEALDsは、そういう集団としてやるということとは違うスタイル、違う文化を創ろうとしているんだな、というのはすごく印象に残りました。
実際に、いまお話しにあったように、直接行動で街頭に立つというのが目立ったけど、いろいろと内部で議論を重ねているんだろうという感じはしました。成果を上げるというよりは、むしろ自分たちの政治文化を、どうやって構築していけばいいのか、そのあたりは非常に繊細に考えているんだなと。そういう意味で、僕は非常におもしろかったです。
最初は「デモを見に行こう」から始まった
是恒 昔からデモも気にはしていたんですよね。でも、気になっているのと、そのデモに参加して自分が歩くとか、その中にいるってことは、ちょっと想像つかなくって。私にとって、デモはやはり見る側でした。その主張が、私と同じであっても、自分がその中に加わるかどうかっていうのは、ものすごく遠い問題だったというか......。
齋藤 たとえば、どういうデモに距離を感じたのですか?
千葉泰真さん(左)と是恒香琳さん
是恒 「憲法守れ!」とか、あと貧困問題をテーマにしたデモだったりとか。そいうデモはちょくちょく街で見かけて気になってはいたけど、だからといって、自分が一緒に歩くかどうかというと、そこにまで考えがいたらなかった。見てたんですよね、「がんばってください~」とかいって。
他人事(ひとごと)ごとだったんです。なんで他人事だったのかというと、やっぱり自分のやりかたではないと思っていた。デモという方法で声を上げる人もいるし、でも、それは私の文化ではなくって。私のやり方ではない、私たちの世代のやり方ではないよなって思っていたんです。
私はどちらかというと、ツイッターとかブログに書いたりとか。もしくは、時事問題や社会についてのお話会をしましょうとか。そっち系のイメージでいたので、あまりデモとは思っていなかった。
千葉 僕たちも、最初はデモに参加しようとか、一緒にやろうっていうんじゃなくて、「デモを見に行こう」というところから始まったんです。大人の社会見学みたいなタイトルをつけて。どうしてかっていうと、「デモに行こう」とか、「いっしょに主張しよう」とかいうと、僕ら自身かまえちゃうし、来る子も少なくなっちゃうので。でも、「見に行こう」だったら、そのハードルも下がるかな、と。
だから、最初は見に行くところから始まって。デモが終わってから、そのとき来てくれたいろんな大学の学生が集まって、原発の話に限らず、沖縄の基地問題とか、社会保障の問題とかについて話し合った。SASPL(Students Against Secret Protection Law、特定秘密保護法に反対する学生有志の会)の原型は、そこからはじまったんです。
「ダサいデモ」から「カッコいいデモ」へ
国会前で声を上げる奥田愛基さん=2015年9月18日
松本 最初にデモを見て、そこから自分たちがいざやろうというときは恐怖感というか、怖さはなかったですか。
元山 オレはありましたね。オレは、怖いというか、やって何の意味があるんだって悩みました。それは、いまもいわれますけど。最初に「SASPL」を立ち上げたときに、「デモやろう」って、今日オブザーバーで参加している山本くんがいったんです。
でも、正直、それってどうなんだろうと思った。いままでのデモのやり方を見ていて、自分も1回参加したことはあったんだけど、「いや、そのやり方ではダメでしょ」と思っていたんです。だから、SASPLで初めてデモをやった2014年2月1日までは、ちょっと斜めに見ているだけでした。
そこから次第に「じゃあ自分でやればいいんだよ、どうせやるならカッコいいデモをやろうよ」っていうことになったので、たしかにそれはそうだな、と。文句言っているだけじゃダメだし、自分でやって、自分が好きなようにできるんだったら、自分が好きなようにやってみてから考えようと思っていたので。そこは、また変わりましたね、自分のなかで。
是恒 やっぱり、国会前というか官邸前の空間はとても大事だったかな。いわゆる街中でやる街宣だとハードルが高くなる感じがするんです。街中では異質の存在になるし、まわりに迷惑だとか、じゃまだとか言われたりするし。
それに比べて国会前とか官邸前は、ある意味、閉鎖的で、一般の人はほぼいない。こっちも気がラクというか、ある種の自由な空間になっていました。そういうのもあって、私がまず参加しやすかったのは国会前。国会前でやっちゃうと慣れる。身体的感覚もついてくるので、街宣も参加できるようになりました。
ここにいない人を"代表"する
齋藤 みなさんは「市民社会」という言葉は使いますか? 「国民なめんな」ということはいっていたよね。
元山 一回、国民なめんな、という言葉を使ったら、左の人たちからの攻撃があって(笑)。だから「市民」という言葉も使うようにしています。
齋藤 「代表」という言葉がありますよね。英語で「representation」。代議制デモクラシーって言葉があるように、代表というのは議会や議員が担(にな)っている、と。ただ、最近のデモクラシーだと、いろんな代表があると思いますね。
たとえば、直接行動。SEALDsのような直接行動も、代表している。現にいない人を代表している。例えば、将来世代の利益とか不利益を代表して原発の問題を考える、とかね。「代表」という問題は、以前よりフレキシブルになってきていると思うんですよね。
みなさんに聞いてみたかったのは、ご自分たちが、ある人たちを代表しているという意識はありましたか? 官邸前や国会前に行けない人たちもたくさんいるわけですが、自分たちの意見だけではなくて、そういう人たちの声を代表しているっていう意識はあったんでしょうか。
おじいやおばあ、戦争体験者の言葉
元山 スピーチで誰に語りかけているかと考えたときに、おそらく多くの人は、自分の友だちや家族に語りながら国会前でスピーチしているんですよね。だからそこは僕も、ふだん友だちがなんていっているかとか、地元に帰って飲んだときとかにも聞いてみたりとか。
あとは、家族と話したり、戦争を体験している祖父母もいるので、彼らの言葉を聞いたりしながら僕はスピーチを練っています。友だちとか家族とか、自分のおじいちゃん、おばあちゃん、あるいは戦争体験者の話っていうものを元に、できるだけ友達が聞いたときに理解してくれるように。そういう言葉を発しようと努力していますね。
齋藤 たとえばどんな言葉?
元山 そうですね、沖縄のことに関していえば、沖縄戦の体験者や、僕のおじい、おばあが「二度と戦争をしてはいけない」と、遠く見つめながら悲しい表情で言っていたことがいつも僕の胸の中にあって。そこにこそ、受け継ぐべき本質があると思っているんです。
ただ、自分の子どもができたときにそれを伝えるとすると、おじいやおばあのその言葉だけを伝えればいいのか、というとそうではないと思うんですよね。本当に、僕自身の体全身を使って伝えていかないと。じゃあどうすればいいか。その問いかけの答えが、僕にとっては、路上に出て声をあげるということなんです。それをいま、自分のなかで実践していますね。
国会前に来られない人や、まだ生まれていない人の声
千葉 似たような感覚はみんな持っていると思いますけど、正直僕は、なにかを代表しているという感覚はなくて、単純に自分の率直な気持ち、怒りだったり疑問だったりとかを国会前でぶつけていたんです。でも、特に昨年夏を過ぎたころから、ちょっと変わってきた。
というのも、僕は8月5日、6日に広島に行っていろんな人の声を聞いたんですけど、「国会前で声を上げている若者に勇気をもらっている」と言ってくれる人が多かった。それに、各新聞の投稿欄でも「国会前の若者に勇気をもらっている」という投稿をよく目にしました。
そんなことを聞いたり見たりしているうちに、「僕たちはもしかして、この人たちの声を、あるいは物理的にあの場に行けない人たちの声を、国会にぶつけようとしているのかもしれない」という気持ちになりました。
あとひとつは、今ここにいない人、生きていない人、それは先人であったりとか、まだ生まれていない次の世代だったりしますが、そういう「いまここにいない人」をすごく意識するようになったのは、昨年の夏以降ですね。
この国の戦後のあり方や、それを通しての平和主義というものは、70年前の大きな哀しみから得られたものでしょう。その反省から作られた憲法9条の精神をないがしろにするような対応、そういった暴挙に対する怒りが、僕の中に「先人たちの気持ちを代弁する」っていう気持ちを芽生えさせたのかもしれません。
人の言葉が自分の言葉になる瞬間
元山仁士郎さん(左)、千葉泰真さん(真ん中)、是恒香琳さん
是恒 国会前のスピーチって、すごくおもしろいんですよ。私は人のスピーチを聞く方が大好きなんですけど、自分もスピーチをすることになった。昨年の9月17日のことです。急にスピーチすることになったので、まったく内容を練る時間がなかったんです。
それで、どうしよう......と焦ったんですけど、そのときおもしろかったというか、自分のなかでビックリしたのは、いろんな人のスピーチが自分の中に蓄積されていたことなんです。人の言葉を借りているとかじゃなくて、スピーチを書いているときに、自然に、どんどんこれまでに聞いてきた誰かのスピーチだったり、いままで見てきたこと、勉強してきたことだったりが、頭によみがえってきたんです。
例えば、私は、イスラエル・パレスチナ問題に興味があったり、そもそもイラク戦争のことから社会に対して問題意識を持ったりしていたんですけど、それらについて学んだ記憶が、自然にスピーチの中に練り込まれていく、あの感覚がスピーチの原稿を書いていておもしろいなと思って。
それは誰かを代表しているというわけではないんです。私も自分の言葉を、国会議事堂にいる人たちに対してぶつけてやるぞという気持ちでしゃべっていたし。でも、文化の継承っていうのかな。音楽を聴いていると、どこかで聴いたことがあるメロディーが織り込まれていたりするじゃないですか。あれにちょっと似ているんですけど、言葉が自分のモノになりつつ織り込まれている感覚がありました。
それって、他の人のスピーチ聞いていても感じるんですよね。あ、この子、きっとあのことを言っているんだろうな、という感じ。みんなが、それぞれ誰かのスピーチを聞いて、それを自分の中に練り込んで、そして自分がまた語り出すという、そういう現象がすごくおもしろかった。
ここにいない人が見守ってくれているという感覚
安部さくらさん(真ん中)と今村幸子さん(左)、大高優歩さん(右)
安部 自分がどうしてもうまくいえなかったことを、誰かがスピーチでいってくれたときもすごく感動しました。あっ、それを私もいいたかったんだ、って。あのときの感動は忘れられません。
私は、スピーチをするとき、自分の経験に基づいた話しかできなくて。そんなにむずかしいことは話せないから、自分が思っていることを素直に話すようにしています。ただ、人前でスピーチをするとき、ここに来られない人や、もうここにはいない人、まだこの世に生まれていない人、そういう人たちと一緒にいるなという気がします。後ろでだれかが見守ってくれているような気がするんです。
そう思うと、自信をもって話せるし、自分の言葉にも責任が持てるんです。誰かを代表しているかというと、そうだとはいえないけど、一緒にいる人がいるなって。
松本一弥・朝日新聞WEBRONZA編集長
齋藤 代表っていうのは再ー現前化「re-presentation」なので、いま現前していないものを、あえて表すっていうことなんです。これはハンナ・アーレントの本の中にも出てくるんですけど、いま現前していないものを、あえてその場に出していく。「代表」というと、なんか違う言葉のように聞こえるかもしれないけど。
安部 女の子のスピーチは、やっぱり将来生まれてくる子どものことを想像しながら語ることが多いので、すごくつながっている感覚はありますね。今と未来がつながっているって感じる。
未来の人たちに対しても責任がある
今村 私も最初は自分の気持ちを伝えたくて、代表とかいう意識はなくて始めたんです。それで、コールセンター班のGメールを担当しているんですけど。
齋藤 コールセンター班っていうのは?
今村 別に電話をかけるわけじゃないんですよ(笑)。SEALDsの公式サイトにくるメールの対応を、みんなで変わりばんこに担当しているんです。昨年の夏は、「行けないけど応援しています」っていうメールとか、「子育てが大変だから行けないけど、この子どもに、そういう未来を残してはいけないので、署名とか別の方法で応援します」というメールがたくさん届いて。そういうメッセージを読むと、コールをするときも、彼女たちのぶんまで声を上げなきゃなって。いっそう気持ちが引き締まりましたね。
あと、先人たちの思いで言えば、すごく印象的だったのは、朝日新聞の投書。昔、特攻隊だったが、SEALDsの姿を見て、特攻隊で亡くなってしまった先輩たちが生まれ変わって国会前にいるように思えたっていう投書が載っていて。やっぱり私たちだけの問題じゃなくて、いま現在をつくりあげてくださった先人たちに対しての責任が私たちにはあるし、また未来の人たちに対しても責任があるし。いま現在だけの話じゃないんだこれは、とすごく感じました。
「憲法には過去における不正義との闘いが刻み込まれている」
齋藤 以前、国際基督教大学で集会があったときにも話したことなんだけど、ユルゲン・ハーバーマスというドイツの哲学者の名前、聞いたことありますか? あまりうまい文章を書かない人なんだけど(笑)、一つすごくかっこいいことばを残しているんです。それはこんな感じです。
「憲法には、過去における不正義との闘いが、一箇条一箇条に刻みこまれている」
かっこいい文章でしょう(笑)。これは「事実性と妥当性」(未来社)という、地味というか華やかではない本に出て来ます。
この言葉には私も非常に感動してしまって。憲法を守るというとき、現在の憲法だけではなくて、憲法に結晶化していった過去の闘いとか、それらが憲法の中に刻み込まれているわけですね、形跡のように。だから憲法自体がある意味これまでの闘いを「代表している」ってあるときから思えるようになって、憲法との距離が非常に近くなりました。
(撮影:吉永考宏)
◇出席者の略歴一覧
◆SEALDs
千葉泰真(ちば・やすまさ)
1991年生まれ。宮城県出身。明治学院大学卒業後、現在明治大学大学院博士前期課程に在籍。奥田愛基に誘われSASPLに参加。以来、SEALDsの中心メンバーとして活動。
元山仁士郎(もとやま・じんしろう)
1991年生まれ。沖縄県出身。国際基督教大学教養学部4年生。立憲主義と日米地位協定について学んでいる。SEALDsやSEALDs RYUKYUの中心メンバーとして活動。
今村幸子(いまむら・さちこ)
1993年生まれ。日本大学文芸学科3年。現代詩や小説の創作を専攻。SEALDsではサロンの企画、広報、『SEALDs 民主主義ってこれだ!』本の作成、選書などをしている。
是恒香琳(これつね・かりん)
1991年生まれ。日本女子大学文学研究科史学専攻修士二年。1991年生まれ。東京都出身。6月からSEALDsに参加。デモ班、メール対応、SEALDs選書プロジェクトなどに所属。
安部さくら(あべ・さくら)
1994年生まれ。東京都出身。明治学院大学国際学部3年。SEALDsでは出版班、写真班、広報班、サロン班に所属。
大高優歩(おおたか・ゆうほ)
1994年生まれ。千葉県出身。専門学校3年。SEALDsでは、コール、デモ等に使う機材の管理、運搬、交通整理、車輌の運転を担当。
山本雅昭(やまもと・まさあき)
1989年生まれ。東京都出身。獨協大学卒。SEALDsの前身、SASPLで、全体の統括、デモ現場の責任者などを担当。
◆齋藤純一(さいとう・じゅんいち)/早稲田大学政経学部教授(政治理論・政治思想史専攻)
1958年生まれ。早稲田大学政経学部卒。横浜国立大学経済学部教授を経て現職。著書に『自由』、『公共性』、『政治と複数性――民主的な公共性にむけて』(岩波書店)、編著に『親密圏のポリティクス』(ナカニシヤ出版)、訳書(共訳)にハンナ・アーレント『過去と未来の間』(みすず書房)、『アーレント政治思想集成』全2冊(みすず書房)など。
◆松本一弥(まつもと・かずや)/朝日新聞WEBRONZA編集長
1959年生まれ。早稲田大学法学部卒。月刊「論座」副編集長、オピニオン編集グループ次長、月刊「Journalism」編集長などを経て現職。満州事変以降のメディアの戦争責任を、朝日新聞を中心に検証したプロジェクト「新聞と戦争」では総括デスクを務めた。著書に『55人が語るイラク戦争―9・11後の世界を生きる』(岩波書店)、共著に『新聞と戦争』(上・下、朝日文庫)
WEBRONZAは、特定の立場やイデオロギーにもたれかかった声高な論調を排し、落ち着いてじっくり考える人々のための「開かれた広場」でありたいと願っています。ネットメディアならではの「瞬発力」を活かしつつ、政治や国際情勢、経済、社会、文化、スポーツ、エンタメまでを幅広く扱いながら、それぞれのジャンルで奥行きと深みのある論考を集めた「論の饗宴」を目指します。
また、記者クラブ発のニュースに依拠せず、現場の意見や地域に暮らす人々の声に積極的に耳を傾ける「シビック・ジャーナリズム」の一翼を担いたいとも考えています。
歴史家のE・H・カーは「歴史は現在と過去との対話」であるといいました。報道はともすれば日々新たな事象に目を奪われがちですが、ジャーナリズムのもう一つの仕事は「歴史との絶えざる対話」です。そのことを戦後71年目の今、改めて強く意識したいと思います。
過去の歴史から貴重な教訓を学びつつ、「多様な言論」を実践する取り組みを通して「過去・現在・未来を照らす言論サイト」になることに挑戦するとともに、ジャーナリズムの新たなあり方を模索していきます。