Twitterで何気なく呟いたとあるツイートがいい感じにバズった。
誰にでも、叶えられなかった夢や、忘れられない人がいるのだろう。
おばあちゃんの出来事が傷ついた誰かの心の中に、ほんの微かなでも希望の風として吹き込んでくれたら、いいなと思う。
そして、自己紹介文にある通り、わたしはこのアカウントで、ビジネスやアフリカ関連の話題について語っていることが多い。そんな中で、今回たまたま投下した、普段と系統違う、たったひとつのエモい投稿が、2日の間に300人のフォロワーを連れてきたのである。
「どんなひとがフォローしてくれたのかな?」
と、通知先をのぞいてみると...、
絶妙な具合で、心が弱っている女性ばかりでワロタ。
いくら匿名アカウントでも、誇張があるといえども、外見コンプレックスをこじらせた過去の自分が重なってみえた。なので、今日は同じような若い女の子たちに向けて、わたし自身がどうやって乗り越えてきたのか、その軌跡を綴ろうと思う。
【外見コンプレックスを克服するための3 STEP】
1.立体的に自信を拡張していく
2.評価基準が違う環境に身を置く
3.認識のズレを正し、妄想を消す
1.立体的に自信を拡張していく
20歳を過ぎた頃から、なんとなく気付いたのは、「自分は〇〇だ」と自信をもてるようになるためには、他人からの評価という名の実績が必要不可欠であるということ。たとえば、いくら、「わたしは賢い!」、「俺は才能に満ち溢れている!」と思いこもうとしても、周りからそう認められなければ、その気持ちを持ち続けられない。
その理由は、大人になればなるほど、ひとは良くも悪くも、ものごとを客観的に、ただしく認識できるようになるため、根拠なき自信を維持することが、段々とむずかしくなるからだ。
外見コンプレックスとは、「わたしはブスだ、辛い。」、「自分自身をかわいいと思えるようになりたい」という苦しさである。であれば、そのような苦しみを打ち消すためには、「〇〇ちゃんって、かわいいね!綺麗だね」と周囲に評価してもらえるよう、自ら積極的に手当てする必要がある。
ここで心得ておきたい大切になるポイント、それは、
確固たる自信を身につけるためには、評価の深さx面積の両方が必要であり、どちらかが欠けると非常に心もとないものになるという点だ。
①評価の深さ
たったひとりでも、自分を心底カワイイ!綺麗!タイプ!だと認めてくれている人が身近にいると、自信が狭く深く育つ。だからこそ、自分の顔を好きだ、好みだという人をパートナーに選ぶことを、強くおすすめする。
②評価の面積
一方で、いろいろな人から褒めてもらえるようになると、自信が、面状に育つ。いゆわる、広く浅くモテるということと近いが、これにはコツがある。
それは、勇気を出して褒めてくれた人の好意を素直に受け止めて、感謝することだ。
外見コンプレックス女子あるあるなのが「かわいいね」「細いね」と言われても、「いやいや、どうせわたしは...」と拗ねたり、うまく反応できないことである。これは、褒めてくれた相手からすれば、
「せっかく、勇気を出して伝えたのに...」
と、異性のハートを傷つけてしまう上に、その態度がかわいくない。笑
だから、少しでも外見を褒められたり、健全に性欲を表現された暁には、「ほんと!?嬉しい!!!ありがとう!!!その一言を聞くために、生きててよかった!!!」くらいありがたがろ。そして、リアクションを十二分に表現しよう。そうすれば、周囲から「こいつは可愛がり甲斐がある、褒め甲斐がある」と、かわいがりの好循環が生まれる。
③評価の深さx面積=揺るぎない自信
そして、①と②を掛けあわさると、どんどんゆるぎない確固たる自信が育っていく、というカラクリなのだ。
2.評価基準が違う環境に身を置く
今年の1月、アフリカのベナンという国に1週間ほど出掛けた。
そこで、現地人でひとつ年下のジコという陽気な友人と出逢って、兄弟のように仲良くなった。
そして、ジコだけではなく、アフリカ人は皆、陽気だ。
歩いていると、多くの子どもが駈け寄ってくる。
そんなある日、ふと気付いたのは、子どもたちはみなが口を揃えて、
「ヨボ、ヨボ、ボンソワ~!!」と、話しかけてくるのだ。
ボンソワ、というのはフランス語でこんにちはという意味だが、「ヨボ」とはいったい?ジコに尋ねると、
「ヨボとは、白人という意味だ。こっちでは外国人自体がすくないから、アジア人も欧米人も皆、区別なく白人だという認識だ。」
と答えられた。衝撃だった。いや、たしかにローカルのアフリカ人と比べたら、アジア人も欧米人も白い人が多いよ?でも、中国人と日本人ならまだしも、欧米人も同じジャンルで、区別がつかないとは...!解像度、荒っ!!!
そして、わたしは10年前から患っている、ある持病を思い出した。
その病気はなかなか深刻で、いままで、国内外、大中小、いろいろな病院を回っても治らず、原因もわからなければ治療法も分からないと、さまざまな医者から匙を投げられた。
その病名は、ずばり、厨二病なのだが、少々非定型の症状を含んでおり、別名、「石原さとみ嫉妬爆発症」とも呼ぶ(命名わたし)。
何を隠そう、わたしは石原さとみが好きだ。愛しているといっても、過言ではない。
もちろん、一切面識もなければ、直接肉眼で見たこともない石原さとみを、わたしは画面越しから日々、いやらしい目で眺め、拝み、奉り、羨望し、「ああああああああ、なんで、わたしは石原さとみみたいな顔に産まれなかったのおおおおいやああああ」と、もはや閉鎖病棟にノールックでぶち込んだ方が良いのではないかというほど、毎日、1mmも生産性がない自意識と戦っては、苦しみ、嘆き、消耗し続けていた。
しかし...、
わたしは、はた、と思った。
ベナン人は、欧米人とアジア人の区別がつかないと、ジコは言った。
ならば、もしかして、もしかしたら、わたしと石原さとみも、彼らの目から見れば、意外と大差ないのかもしれない...!
なんと恐れ多い発想なんだ。わたしは、武者震いした。
でも、確かめざるを得ない。今しかないと、わたしはiPhoneの中に映るさとみの画像をジコに見せた。
「ねぇ、ジコ。ほんとに、正直に答えてほしい。この人(iPhoneにうつる石原さとみ)とわたし、どっちがカワイイ?」
(ジコ氏。ほほう~、どれどれ~~)
(スマホの画面から、後光がさしている石原さとみ神▲)
ジコは小さい画面上に映るさとみを凝視した。そして、親指と人差し指を器用に使って、画面を拡大しては、縦に、横に、動かして、真剣に吟味した。
3分は過ぎたころだろうか。
ジコの顔つきは真剣そのものである。
「やはり自明すぎる愚問だったよな...。ジコからしても、はっきりさとみの方がカワイイだなんて言いづらいだろうから、困らせちゃったよな...」
バカな質問をやめよう。わたしが口を開きかけた瞬間、
ジコが遂にスマホから顔を上げて、沈黙を打ち破った。
「MIKU。遅くなってごめん。でも、正直に...、正直に言うね」
ジコは申し訳なさそうな笑顔を思い浮かべている。わたしは、固唾をのんで、傷つく覚悟を決めた。
「正直に言うと、この画面に映っている女性と、MIKUの顔の違いが、俺にはあまりわからない。だから、どちらの方がカワイイすらも、わからない。すごく似ているとしか思えない。」
予想斜めを行く答えに、唖然した。
いや、お前、それはない。わたしが石原さとみ様と似ているなんて、あり得ない。だって、ぜんぜん違うじゃん。ちゃんと見てよ。
「OKOK。じゃあ、MIKUとこの女性、どこが違うのか、俺に具体的に教えてくれ。」
ジコは引き下がらない。
「ほら、たとえば、眼の大きさがぜんぜん違うでしょ。」
ジコは、再度写真を確認した。そして、視線をあげて、わたしにこう言った。
「眼であれば、俺が、いちばんデカい。」
「なに、眼がデカければ美人なの?じゃあ、俺、よゆーで優勝っしょ」
「ふたりの眼の大きさを足しても、俺の半目くらいじゃね?」
「てか、そんな細かいこと気にしてどうするんだよ~それよりも、人生たのしもうぜ」
こうして、陽気なジコ、そして、アフリカの大地によって、
わたしのケンチなプライドと自意識は、粉々に打ち砕かれたのであった。
日本にいると、どうしても、皆顔も体型も大差はないため、
ちっぽけな差が気になって、じぶんの粗をさがしては、落ち込んでしまいがちである。
でも、海外に出ると、肌の色も、体系も、顔だちも、びっくりするくらい違うダイバーシティの中に身を置くと、何が美なのか?かわいさなのか?一度しっかりと、見つめなおす機会を持てる。
だから、劣等感やコンプレックスに拗らせて死にそうになったら、なるべく遠い国へ、価値観や評価軸が違う土地へ身を置けば、ずっと楽になれると思うよ!
後半の「認識のズレを正し、妄想を消す」はこちらから!↓
(2018年7月29日未来日記より転載)