不可抗力で生まれた不思議な共同作業

初見の人が僕の容姿だけを見ると、大抵の場合は"外国人"だと判断します。

僕は日本育ちのアフリカ人です(カメルーン出身)

しかしその事実は、僕と会話してみて初めて知り得る事。

初見の人が僕の容姿だけを見ると、大抵の場合は"外国人"だと判断します。

それは無理もない事でしょう。

見た目が典型的な日本人と違う人が、日本語を話せるというイメージはまだ日本の中では一般的ではないようですね。

しかし、今着実に日本における日本語話者の人種の幅は急速に広がっています

仕事や、結婚、両親の都合で来日し、日本に長く住み、日本語を操る外国人やハーフ、帰化した人の

数は年々増えています。

そして、僕もそんな"日本に長く住み日本語を話す外国人風の人"の1人です。

僕が、駅の乗り換え案内などを不安そうに見ていると、僕のことを"日本語が不得意な外国人"だと

思った、親切な方がたまに助けてくれます。

これはとても親切な行為なのですが、問題はここからです

日本人の方が英語を使って案内しようとしてくれるのです。。。英語。。。

僕は日本育ち、しかもカメルーンのフランス語圏出身なので、あまり英語は得意ではありません

ここで、「日本語で大丈夫ですよ」と言えば済む話なのですが・・・

一生懸命に英語で案内しようという、人の優しさと勇気が伝わってきて、つい、外国人を演じて

その誠意に応えようとしてしまう不器用(不可解?)な僕がいるのです・・・・。

こうして・・・

『困っている外国人を助けようとする思いやり』と

『頑張って英語を使って外国人を助けようとしている人の、望みを叶えたいという僕の謎の配慮』

が合わさって

摩訶不思議な共同作業が生み出されるのであった・・・・

それでは異なる2つの心遣いが奏でる協奏曲をお楽しみください。

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