大きなモメンタムには遠く 米最大の環境デモ、40万人の意味

長期化をみせる香港の民主的選挙を求めるデモに先立つ9月21日、米市民は大規模なデモで「歴史」を作った。少なくとも数字の上では−--。

長期化をみせる香港の民主的選挙を求めるデモに先立つ9月21日、米市民は大規模なデモで「歴史」を作った。少なくとも数字の上では−--。

国連気候サミットを前に 、各国政府が利害関係を超えて地球温暖化の加速を抑止するのに協力することを訴えるデモで、約40万人もの参加者がニューヨーク・マンハッタンに集結。気候関連デモでは、米国で最大規模となった。

デモに集まる参加者数を知り比較することは、重要だ。米市民の関心の温度差が分かる。ニューヨークで近年最も大きかったのは、2003 年2月15日に行われたイラク戦争開戦反対デモで、40万人が参加。翌04年に開戦1年を糾弾するデモは約4万人。11年に突然始まった若者の格差反対デモ「オキュパイ・ウォール・ストリート」は、多い時で数千人。毎年6月末、同性愛者の権利を訴える「プライド・パレード」は、約1万人。そして、11年、福島第一原子力発電所の事故をきっかけに開かれた反原発集会は、いつも50--100人程度だった。

こうしてみると、9月21日の「ピープルズ・クライミット・マーチ」は、格差、人権、原発などのテーマより、格段の関心の高さがうかがえる。

デモは、環境保護団体シエラクラブ、非政府団体(NGO)350.orgなどが呼び掛け、米国内だけで約1500団体が参加。米紙ニューヨーク・タイムズによると、全米各地からニューヨークに参加者を運んだリムジンバスは496台、参加したマーチングバンドは20団体に及ぶ。また同日、世界中で行われたデモやイベントの数は、166カ国で2800以上に上った。

簡易風力発電機会社社長のグレッグ・ウィルソン氏は、フロリダ州から教会の牧師が運転する車でニューヨーク入りし、教会の礼拝堂で数百人の人と寝泊まりを共にした。

「20年もこの仕事をやっているから、来ざるを得なかったが、数百人もシャワーを浴びていない人間が集まると、大変なもんだよ。これが終わったら、フロリダに帰ってシャワーを浴びる」

と話し、多くの人がホテルでは収容しきれなかったことが分かる。

私は、知人が参加する反原子力エネルギー団体「ニュークリア・インフォメーション・アンド・リソース・サービス(NIRS)」の集合場所に加わったが、出発予定の1時間前に道路も歩道も身動きならない状況。スタートしない限りは、「将棋倒し」という懸念も頭をよぎるほど。

参加者数の予想は10万人だったが、過去に多くのデモを見てきただけに、今までと異なる予感がした。銃規制の強化、ファストフード従業員の時給の引き上げなど、ニューヨークではよくあるデモで常連の「団塊の世代」だけでは、これほど集まらない。「新規参入組」は誰か、と観察すると、やはり目立ったのは若い世代だ。両親や教会、コミュニティーの活動団体に連れてこられたティーンズ、子供も多く、青い地球の絵や手書きのプラカードが、団塊世代が掲げる太いゴシック体の見慣れた抗議文よりは、初々しさで目を引く。

ジェイコブ・シーハン君(15)は、ニューヨーク州の南にあるデラウェア州から親類・家族8人でバンに乗って駆け付けた。デモが動き出すまで、即席の演台に立って演説を続ける活動家を真下からじっと見つめていた。

「僕の関心事は、発電所や工場がいかに化石燃料を燃焼させないようにすることができるか、ということだ。温暖化ガスの最大の原因であり、クリーンなエネルギーをどうしたら早く使えるようになるのか、学校でもよく話をする」

彼が兄弟姉妹と作ったプラカードには、

「明日のリーダーたちは、今日のリーダーを必要としている」

とマーカーで書かれていた。将来のリーダーが、気候変動問題にさいなまされない世界を引き継ぐには、現在のリーダーらが行動を起こすべきだ、という意味だ。彼が通う高校からは70人以上の生徒が家族とともに参加した。

取材の途中で、350.orgから速報メール。「今日、31万人が、気候問題の解消を呼び掛けて、ニューヨーク市の通りに立った」。主催者側はその後、参加者数を40万人に上方修正した。

マーチングバンドに、笑顔の若者、巨大な山車に囲まれて、日本人の目からみると、参加者の熱気と、アートからパフォーマンスまで、デモを積極的に楽しみ、かつメッセージを発信しようとする創意工夫や気迫には感心する。

しかし、実はニューヨークでは、40万人をはるかに超えるデモが過去にあった。32年前の1982年6月12日、100万人がニューヨークのセントラル・パークに集まり、核兵器廃絶と冷戦の終結を訴えたデモだ。

時は冷戦の最中。レーガン政権が、核兵器と国防の拡大を続けていた。万が一、核戦争が始まった場合、核爆発後、焼け野原となる都市の煤塵(ばいじん)による大気汚染で、地球の気温が低下する「核の冬」が懸念されていた。

当時、同パークから遠くないコロンビア大学に在籍していたのが、現在のオバマ大統領だ。ルームメートとパークをジョギングし、ソビエト連邦との冷戦を終わらせる外交についてのリポートを書いていた学生が、100万人デモに出なかったはずはない。

9月23日、120カ国以上の首脳級を集めた国連気候サミットでオバマ大統領は、

「警鐘は鳴り続けている。我々の市民は、デモを続けている。彼らの声が届いてこないふりを続ける訳にはいかない」

と、40万人デモに配慮した文言を演説に盛り込んだ。一方、日本の安倍晋三首相は、温暖化ガス削減目標にはほとんど触れず、経済大国としては出遅れを印象づけた。

また、地元メディアのデモの扱いも驚くほど小さかった。ニューヨークメディアの顔ともいえるニューヨーク・タイムズのデモの記事は、フロントページに一本載っただけ。ローカルテレビのニュースではトップだったものの、ナショナルテレビは、「イスラム国(IS)」のニュースでいっぱいだった。

40万人デモは、規模としては記録となった。しかし、インターネットやソーシャルメディアがなかった時代に実現した100万人の核廃絶デモに達しなかったという事実は、自由な主張や表現がうまい米国での、デモの「縮小傾向」を感じさせる。主催者側が、国連気候サミットで集まる各国首脳にアピールする人集めだけに躍起になり、デモのメッセージの焦点が定まらなかったという批判も聞く。

米国メディアに比べ、40万人という規模は、日本や海外のメディアに大きく注目された。しかし、2015年の新しい国際枠組み合意と、真に効果的な気候変動対策の実現に向けて、米市民の問題意識のモメンタムが持続するのかどうかは、楽観ができないという印象が残った。

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