概要
他人の文章を自分の文章のように扱う研究上の不正は、「剽窃」または「盗用」と呼ぶのが正確であり、不正確で誤解を招く「無断引用」という表現を用いるのはやめるべきである。
「無断引用」という表現はよろしくない
小保方晴子氏が他者の文章を自分の論文に盗用したという事件※1があった。この事件の報道において「無断引用」という表現が各所で用いられているが、この表現は正確でなく誤解を招きやすいので、使うのはやめるべきだと思う。「無断引用」の代わりに、「剽窃ひょうせつ」か「盗用」と言ってほしいところだ※2。
引用という行為は、引用の作法を守っているかぎり、法的にも倫理的にも何ら問題のない行為である。そして、。わざわざ出典の著者の許可をとらないのである。つまり、無断で行われる引用は全く正常な行為であり、研究上の不正ではない。
。このことを「」と言ったり「」と言ったりする。小保方氏の博論で起きているのは、まさに他人の文章を自分の文章のように扱うことである。これは、「無断引用」と呼ぶべきではなく、「剽窃」か「盗用」と呼ぶべき話である。
マスメディアが科学論文の不正を報道する際に「無断引用」と書いてしまうのは正確ではない。無断で引用する行為自体は正当な行為であって、不正でも何でもない。正確には、「剽窃」か「盗用」と書くべきことなのだ。
引用とは
科学研究において、である。引用は法的※3にも倫理的にも問題のない行為であり、不正でも何でもない。引用は推奨されるべき行為であって、非難されるべき行為ではないのだ。
研究に引用は必要
一般人は「自分の意見を書くのだから、自分の意見だけ書けば良いではないか。他人の文章を持ってこないと論文を書けないなんて情けない」と思うかもしれない。だが、現在の研究において他人の文章に触れずに論文を書くことはほぼ不可能であると言ってよい。現在は、どんな研究分野においても、先人が積み上げてきた様々な知見がある。こうした知見を踏まえないで行う研究は独りよがりなものにしかならない。独りよがりになるのを防ぐためには他人の研究内容に触れる必要がある。また、自分の意見の独自性 (originality) を明らかにするには、他の人とどう違うか明らかにしなくてはならない。その際にも他人の研究を見る必要があるのだ。研究を良いものとするには、今まで行われてきた研究上の知見を踏まえなくてはならないのだ。
先人の知見を生かす際に重要な手段となるのが、引用である。今までの研究ではどういうことが言われてきたのかということを明らかにするために、引用を行うのである。
引用の作法
引用を引用として成り立たせるためには、引用の作法を守らなくてはならない。引用の作法には、大まかに言って以下の3点があるだろう。
- 出典を明らかにすること。
- 引用部分と自分が書いた部分を明確に区分できるようにする※4こと。
- 自分が書いた部分が文章の中で主要な役割を果たし、引用部分はあくまでも文章の中で補助的な役割※5を果たすようにすること。
これらの作法が守れないで、他者の文章を持ってくると、それがまるで自分の文章のように見えてしまう。つまり、他人の文章を自分の文章のように扱ってしまっているということである。これは、「剽窃」(plagiarism) という不正行為と見なされるのだ。
もちろん人間のやることだから、うっかりして上記の作法を破ってしまうこともあるだろう。上記の3点のうちどれか1つを故意ではなく、うっかり忘れてしまってもおかしくはない。例えば、後から出典の詳細を書こうと思って、出典の欄を空白にしておいたが、詳細を書くのを忘れたまま論文を提出してしまったといった程度のことなら起こってもおかしくはない。
しかし、いくらうっかりしていたとしても、上記の3点をすべて守れないということはまずありえないだろう。こうなると、うっかりというレベルでなく、故意によるものだということが強く疑われることになる。故意である場合、他人の文章を自分の文章のように扱う不正を犯していることになり、剽窃と呼ばれることになる。小保方氏の博論の場合、上記の3点のいずれもできていない。このようなものは「引用」とは到底呼べない。「無断」という表現をつけたとしても、それは変わらない。
引用に許可は不要
引用には基本的に許可は必要ない。つまり、無断で引用してよい。そして、実際にほとんどの場合、無断で行われている。世の中に出ている論文は「無断引用」だらけなのである。
なお、公表されていないものから引用したい場合は話が別である。公表されていないものからは、必ずしも無断で引用できるわけではない。日本の著作権法でも、引用して利用することができるものを「公表された著作物」に限っている。
「無断引用」と報道する例
以上で見てきたように、そもそも引用は無断で行われる何ら問題のない行為である。それにも関わらず、他人の文章を自分の文章のように扱ってしまっていること(剽窃)を「無断引用」と不正確に報道する例は少なくない。
小保方氏の事件に関しては、インターネット上で見ることができるニュース記事だけでも、以下のような例がある。
- 日刊スポーツのウェブサイトでは2014年3月1日付の記事として「小保方さんら執筆STAP論文無断引用か」という見出しの記事がある。記事の本文では、「無断で引用した疑いがある」とも述べている。
- テレビ朝日のウェブサイトの「STAP論文 画像加工など確認 理研が調査の現状報告」という記事(2014年3月14日付け)では、「他人の論文の無断引用などが確認されました」と述べている。
- 産経新聞の2014年3月13日付のコラム「産経抄」では「他の論文からの無断引用や画像の使い回し」と述べている。
- 愛媛新聞オンラインに掲載されている愛媛新聞の「STAP論文撤回へ 信頼回復へ全容の徹底解明を」と題する社説(2014年3月15日付け)では、「画像流用や文章の無断引用など「不正」が疑われる多くの指摘が相次いでいる問題」と述べている。
- 朝日新聞の2014年3月15日付けの「「業績優先のあまりか」 若手研究者ら驚き STAP論文」という記事では、「画像データの切り張りや別の論文からの無断引用などが明らかになった」と述べられている。
- 読売新聞社運営のYOMIURI ONLINEの2014年3月14日付けの「小保方さん、博士論文は「下書き段階」とメール」という記事には「大量の無断引用とみられる記述がある博士論文」と述べられている。
また、小保方氏の事件以外でも、「剽窃」のことを「無断引用」としている例がある。例えば、47NEWSに掲載されている記事で「少子化の論文で無断引用 読売新聞社賞取り消し」というものがある。
「無断引用」という表現は教育的にもよろしくない
「無断引用」という表現が不正を報道する文脈で用いられるのは、。
「無断引用」が悪事のように報道されると、研究の実際をよく知らない一般人は、無断での引用は悪いことだと思ってしまうだろう。例えば、高校生が「無断引用」を悪く言う報道を見聞きしたとしよう。すると、その高校生は、学校のレポートを書くときに、引用を回避するために参考となる資料を読まなくなってしまうかもしれない。それではだめなのだ。先に述べたように引用そのものは悪いことではない。むしろ、推奨されるべき行為だ。自分の意見しか書かない文章よりも、他人の意見を踏まえて書く文章の方がずっと良い。他人の意見を踏まえて書くには、引用が大事になる。
「無断引用」が悪いと報道されたとしても、一般の「引用」については悪いと言われているわけではないから問題ないと考える人もいるかもしれない。しかし、先に述べたように、引用は基本的に無断で行われるものである。一般の「引用」は「無断引用」であると言っても言い過ぎではないぐらいなのだ。
考えすぎだと言う人もいるかもしれないが、マスメディアが一般人に与える影響は決して小さくない。そのことを考えると、教育的観点からも、マスメディアには「無断引用」という表現ではなく、「剽窃」または「盗用」という表現を使ってほしいのだ。
まとめ
最後に、今までの繰り返しとなるが、なぜ「無断引用」という表現はやめるべきなのかをまとめておこう。やめるべき理由は2つある。
- 他人の文章を自分の文章のように扱う不正は、引用と呼ぶに値せず、「剽窃」または「盗用」と呼ぶのが正確であるため。
- 一般人が、引用という行為が悪いものだと勘違いしてしまい、適切な引用が行われなくなってしまうおそれがあるため。
これらのことから、科学論文の不正の報道で、マスメディアが「無断引用」というのはやめるべきであると私は考える。
脚注
- 例えば、小保方晴子氏は2011年に早稲田大学大学院に博士論文を提出しているが、その論文では、冒頭の Background (背景)の部分が、アメリカ国立衛生研究所のウェブサイトの文章をそのまま持ってきており、さらに出典元を記していない。(「小保方晴子の博士論文の疑惑まとめ」〔小保方晴子のSTAP細胞論文の疑惑、2014年3月12日付け、2014年3月16日閲覧〕、「小保方さん博士論文、20ページ酷似 米サイトの文章と」〔アピタル:朝日新聞の医療サイト、2014年3月11日付け、2014年3月16日閲覧〕の記述による)
- なお、この私の主張と同様の主張が「「無断引用」はやめて「盗用」か「剽窃」にしよう。」という末廣恒夫氏の2010年1月7日付けのブログ記事で述べられている。
- 日本の著作権法第三十二条では「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と規定されている。
- 引用とそれ以外を明確に区分するために、引用部分については、これをカギ括弧で囲ったり、行を改めて字下げで書いたりすることが行われる。
- やや専門的な言い方をすると、自分で書いた部分が主、引用部分が従でなくてはならないということだ。
(2014年3月16日「Colorless Green Ideas」より転載)