煬帝による巨大な運河の建造
中国の歴史をひもとくと、中国は国運が興隆に向かうときには、しばしば国家百年の大計を立てて、歴史を変えてしまうような壮大なプロジェクトに挑むことがある。
例えば、後漢の滅亡後、360余年にわたる分裂と低迷の時代を経て、581年に中国を再び統一した隋は、第二代皇帝・煬帝(ようだい)の下で、巨大な運河の建造に取り組んだ。
別世界といってよいほど懸隔があった黄河流域と揚子江流域を統合するためである。
煬帝の巨大な運河のおかげで、それ以降、黄河流域と揚子江流域の一体化は、五代十国時代(907‐960年)と南宋時代(1127‐1279年)を除けば、ほぼ保たれてきたといえる。
煬帝はまさに百年先、否、それこそ千年先をも見据えた壮大なプロジェクトを実行に移したといえるだろう。
しかし、煬帝の治世下に生きた民衆は、巨大な運河の建造に駆り出されて、塗炭の苦しみを味わい、ついには反乱を起こすに至った。
隋が40年にも満たない短命な王朝に終わり、煬帝が皇帝として悪評甚だしいのはそのためである。
「一帯一路」のインパクト
さて、昨今の中国も国運が興隆に向かっている。
2010年に日本を追い抜いて世界第二位の経済大国となり、名実ともに米国に次ぐ大国となった。
そして隋などの先例にならって、国家百年の大計を立てるかのように、壮大なプロジェクトに取り掛かろうとしている。
「一帯一路(シルクロード構想)」がまさにそれである。
「一帯一路」とは、2013年に習近平国家主席が提唱した経済・外交圏構想である。
中国西部・中央アジア・欧州を結ぶ「一帯(シルクロード経済帯)」と、中国沿岸部・東南アジア・インド・アフリカ・中東・欧州と連なる「一路(21世紀海上シルクロード)」からなっている。
「一帯一路」をめぐって、日本側では地政学的な観点から、中国の脅威の増大を強調する傾向がある。
中国側の識者も平和的発展を主張しつつも、特に日米との間では地政学的な競合が避けられないだろうと指摘している(凌勝利「"一帯一路"戦略与周辺地縁重塑」)。
「一帯一路」のインパクトは、地政学的な情勢に影響を及ぼし、過去数十年の歴史の趨勢を変え得るものだといえるだろう。
しかし筆者は、インパクトはその程度にはとどまらないと考えている。ひょっとすると過去200年に及ぶ歴史の趨勢をも変えてしまうかもしれない。
19世紀以降、ユーラシア大陸の東西の両端に位置する日本と西欧諸国が、同大陸のそれ以外の国々をリードしてきた。
「一帯一路」が実現すれば、そうした時代がついに終わりを告げるだろう。そして日本や西欧諸国の後塵を拝してきた国々が、かつて世界史の表舞台に立っていたころのように、本格的に復活するだろう。
しかも復活するに当たって、その方途は中国モデルに沿ったものになるにちがいない。(なおここでは、中国モデルを政治面における権威主義と、経済面における市場経済の活用と定義しておく)。
そうなれば、中国はそれこそシルクロードが最高潮に達していた時代の唐さながらに、世界の超大国になるだろう。
少なくとも経済力とソフトパワーの面では、米国に匹敵する存在になることはまちがいない。
戦後の日本のあり方が変容
「一帯一路」の実現によって、過去200年の歴史の趨勢が変われば、戦後の日本のあり方も変容を余儀なくされるだろう。
戦後、日本は日米安保やG7サミットなどを通して、西側陣営に参加してきた。
ユーラシア大陸の東端の日本は、西端の西欧諸国とともに、民主主義や資本主義といったイデオロギーを共有してきた。
それと同時に経済的な豊かさをも共有してきた。
一方、日本や西欧諸国と、ユーラシア大陸のそれ以外の国々との間には、明確な分断が存在していた。
イデオロギーの面では、資本主義対社会主義、民主主義対権威主義などという分断が存在していた。
また経済の面でも、貧富の格差といった分断が存在していた。
しかし「一帯一路」が実現して、ユーラシア大陸の東西の両端を除く国々が、経済の面で、日本や西欧諸国と同レベルとまではいかないまでも、まずまずの豊かさを享受し始めたら、イデオロギーの面での両者の分断は一体どうなるのだろうか。
西欧諸国とユーラシア大陸のそれ以外の国々との間では、民主主義対(中国モデルに包含されるところの)権威主義という分断が依然として存続するかもしれない。
一方、昨今の安倍政権の姿勢を見ても、民主主義が日本に真に定着しているとはいい難いことから、日本とそうした国々との間では、イデオロギーの面での分断は薄れていくだろう。
そうなれば、日本は地理的に遠い西欧諸国とは距離を置いて、より近いユーラシア大陸のそれ以外の国々と歩調を合わせるようになるにちがいない。
その際には、日本にも中国モデルが浸透してくることだろう。かつて唐の律令制度が日本にも浸透してきたように。
安倍政権への中国モデルの浸透
すでにそうした兆候が現われているのではなかろうか。
安倍政権はその反中国的な外交政策にもかかわらず、期せずして中国モデルの影響を受けているかのように、権威主義的な傾向を強めている。
一例として、安倍政権が「共謀罪」法案の強行採決に当たって、人権侵害を懸念する国連からの勧告を、躊躇することなく一蹴したことを挙げることができる。
安倍政権のそうした態度は、中国政府がこれまで人権尊重を西欧特有のイデオロギーとして、人権侵害に対する国際社会からの非難を一蹴してきたことを彷彿とさせるだろう。
一方、これまでにも日本政府は人権問題をめぐって、国際社会から幾度か勧告を受けてきたが、勧告に従わない場合にも、それなりに留意する姿勢を見せてきた。
日本も西側陣営に属する以上、西欧諸国とともに人権尊重というイデオロギーを共有しなければならないとする意識が曲がりなりにも働いていたからである。
また、稲田朋美防衛相が東京都議選の応援演説で「自衛隊としてお願いしたい」と発言したことも、一例として挙げることができる。
その発言について、水島朝穂・早稲田大学教授は「中国は『党の軍隊』だが、まるでそれと同じような感覚」だと評している。
稲田防衛相は周知のように弁護士出身であり、憲法や法律を熟知しているはずである。
それにもかかわらず、そうした発言が飛び出すということは、少なくとも無意識のうちに中国モデルの影響を受けているといえるかもしれない。
我々は何をなすべきか
では、中国モデルの浸透を防ぎ、日本の人権や民主主義を守るために、我々は安倍政権を批判する以外に、何をなすべきだろうか。
筆者はここで、「一帯一路」に批判的な中国の民主化運動の活動家の論説に注目してみたい。
米国に拠点をおく民主派のインターネット雑誌『北京之春』に掲載されたとある論説(羅祖田「習近平与一帯一路」)は、次のように指摘している。
「一帯一路の明らかな効果はただ一つ、エリートたちにまたもやあぶく銭を儲けさせることである」。
一方、中国の一般民衆は、煬帝の巨大な運河の場合と同様に、「一帯一路」からは何のメリットも受けられない。
ただ単に「浪費される財と効果のない労働」を担わされるだけだとしている。
我々は「一帯一路」に批判的な中国の民主化運動と連携して、中国の一般民衆をエンパワーメントすべきではないだろうか。
それがひいては日本の人権や民主主義を守ることにもつながっていくにちがいない。