「子どもの貧困」という言葉が社会で広がりをみせるまでには、どのような背景があったのでしょうか?
12月16日、北海道と札幌市、そして、母校である北海道大学主催のフォーラムが同大学内で開催されました。今回はフォーラムの内容に基づき「貧困の再発見」を振り返りつつ、今後の対策のあり方についてひとつの提案をします。
そこにあったが、忘れられてきた社会課題
フォーラムには定員を大幅に超える350人が来場し、高橋はるみ知事と秋元克広市長も出席。今後の対策を考えるパネルディスカッションでは、私もパネラーとして登壇しました。
企画の中心となり、道と市の実態調査で研究班の代表を務める松本伊智朗・北海道大学教授は日本における「貧困の再発見」立役者の一人です。
松本伊智朗教授らが出版した『「子どもの貧困」を問い直す(法律文化社、2017)』の結びでは、貧困の再発見について以下のように述べられています(フォーラムで同じ内容が触れられていたので、一部をそのまま引用させていただきます)。
実は第二次世界大戦後の日本社会を振り返ると、貧困問題に対する関心を失っていた時期が長い。厚生省(現厚生労働省)は厚生行政基礎調査(現国民基礎調査)における低消費水準世帯の推計を一九六五年に打ち切っており、それ以降二〇〇九年の相対的貧困率の公表まで日本には公的な貧困率の統計はなかった(現在公表されている一九六五年以降の貧困率は、二〇〇九年に後追いで計算され公表されたものである)。これは、戦後の一定時期まで大きな政策課題であった貧困が、高度成長とともに社会的・政策的関心を失っていくことを示す象徴的な事柄である。(中略)
状況が変化し始めるのは、いわゆる新自由主義的な政策方向が顕著になってきた一九九〇年代の後半である。「格差」を主題としたいくつかの単行本が出版され、「中流社会」だあると認識されていた日本社会が実は格差の大きい社会であること、格差の拡大の方向に向かっていることが、社会的に認識され始めた。こうした「格差社会」への関心を背景に、二〇〇〇年代に入ると、そのなかで生み出される「貧困」が社会的関心を呼び始める。すでに解決済みのマイナー問題であると思われていた貧困が、実は大きな問題だったと社会が気づき始め、議論の対象となっていくのである。
2010年、大学生だった私は同教授の講義で子どもの貧困について学び、大きな衝撃を受けました。私が進学を志すきっかけになった友達の涙と、子どもの貧困がつながった瞬間だったからです。
「進学の夢があるけど、母子家庭で育ってお母さんにこれ以上迷惑をかけられないから、就職します。」
2006年夏、親を亡くした高校生が集まるサマーキャンプで、同じ班だった友達は最終夜のキャンプファイヤー後に涙ながらにそう語ってくれました。
『何でこの子は何も悪くないのに、涙を流してまで自分の夢をあきらめなければいけないんだろう。』そう思った私は、就職しようと商業高校に進学しましたが、進路希望を進学に切り替えました。
さらに振り返ると、2002年に母親を自殺で亡くして父子家庭となったあと、ひとり親や経済的に大変な家庭で育つ友達も少なくありませんでした。私も父子家庭で育ちましたが、私を含め子ども3人と重たい障害を抱えた叔母を父親一人で支えるために決して経済的な余裕はありませんでした。
当時「子どもの貧困」という言葉はまだありませんでしたが、確かにそこに子どもの貧困という課題はありました。子どもの貧困は最近の新しい課題ではなく、格差が拡大するなかで再発見された、社会で忘れられてきた課題だったのです。
困りごとを抱え込みやすい社会で「第一義的責任」を問い直す
また、貧困と子どもの貧困は別にあるのではなく、「子どもの貧困」が貧困を子どもの側面で考える課題であることもフォーラムでは指摘されました。
子どもは生まれながらはじめは家族に依存し、多くは家族の養育を通して成長していきます。保護者には「第一義的責任」があると言われていますが、これは子どもの権利条約の第18条にある「primary responsibility」が由来のひとつになっています。
しかし、この「primary」には「第一義的」よりも「primary school(小学校)」のような「初期の」という意味で捉えるべきだと私は考えています。子どもにとって最初に関わりを持つ他者が家族であり、だからこそ、その責任を追及するのではなく、社会全体で大事に支える必要があるのではないでしょうか。
地域のつながりが薄れて助け合いが少なくなっている昨今、昔は単なる貧乏で「困らずに済んでいた状況」も、今は家族が貧困に陥り「困りごとを抱え込みやすい状況」にある社会なのかもしれません。
先日の全国集会でも「親を悪く言わないでほしい。親だけでなく身近にいる子どもも傷つく。」と伝えてくれた学生がいました。
しかし、教育無償化の閣議決定と同時に、現在、生活保護で母子加算などの切り下げ議論も行われています。生活保護基準が下がると、生活保護基準を参考とした就学援助や様々な支援制度の基準も下がることになり、経済的に大変な家庭はさらに圧迫されることとなります。
保護者にも責任があることは否定しませんが、子どもを育てるための生活基盤が社会情勢で不安定化してしまっていることや、社会保障など子どもに関する公的な支出が各国と比べても圧倒的に少ないことなどにも着目し、同時に私たち「社会の責任」も問う必要があります。
それらを踏まえ、フォーラムでは、①給付金をはじめとする子どもへの物心両面で支える直接支援モデルの構築、②家族もまるごと・切れ目のないきめ細やかな対策、③広大な土地を持つ北海道特有の「地理的不利益」を是正する対策、④貧困状況にある子どもへの対処だけでなく全ての子どもと家族が幸せになれる対策の大きく4点を道と市へ提案しました。
フォーラム終了後、2010年に法成立を求める集会に連れて行った後輩と2014年に道や市に対策計画の策定を求める集会で登壇してもらった後輩の2人と再会することができました。
2人とも当時は高校生で、1人は現在24歳、もう1人は20歳。今回のフォーラムに一緒に参加した後輩も、出会ったときは高校生でしたが現在は大学生になりました。
「待たせて、ごめん」という悔しさや申し訳ない気持ちが、ふつふつと沸き上がってきます。子どもたちは「待ったなし」の状態で今日を暮らしています。手探りで一歩ずつ対策が進められてきていますが、子どもたちが「良かった」と思える方向へ対策は進んでいるのか、いつも葛藤しています。
半年後には「子どもの貧困対策法」成立5周年を迎える今、私たちはその意義をしっかり社会に根付かせるために対策のあり方を問うべき局面に直面しています。あなたはどのように考えますか?ぜひ、ご意見を聴かせてください。