あなたもきっと一度は耳にしたことのある「子どもの貧困」。その対策をすすめるための「子どもの貧困対策法」は、今年の6月で成立から5年を迎えます。
前回は「<前編>2018年、STOP!子どもの貧困の解決へ~対策法は成立5年を迎えます~」で、対策法ができるまでの話を取り上げました。今回は法律ができてからについて、対策を推進する「公益財団法人あすのば」代表理事の小河光治さん、副代表理事の村井琢哉さんに引き続きお話をうかがいます。
小河光治=写真左=
1965年、愛知県生まれ。8歳の誕生日に父が交通事故にあい8年間、寝たきりの末、他界。交通遺児育英会と日本育英会の奨学金で進学。大学卒業後、あしなが育英会に専従。26年間の勤務後、2015年に公益財団法人あすのば代表理事に就任。内閣府「子どもの貧困対策に関する検討会」構成員(2014年)。
村井琢哉=写真右=
1980年、京都府生まれ。子ども時代より「NPO法人山科醍醐こどものひろば(当時は山科醍醐親と子の劇場)」に参加。学生時代はキャンプリーダーや運営スタッフを経験し、常任理事へ。2013年より同団体の理事長を務める。2015年に公益財団法人あすのば副代表理事に就任。京都府子どもの貧困対策検討委員。
国の大綱検討から地域の対策推進へ向けたアクションへ
村尾:前回は「子どもの貧困対策法」ができるまでにどのようなことがあったのかについて、お話をおうかがいしました。
2009年の貧困率公表を受けて親を亡くした学生たちが対策法の成立を呼びかけたことがひとつのきっかけでした。掘り下げてみると、バブル期からその景気の崩壊、格差の広がりと反貧困の運動、リーマンショック、東日本大震災など成立までに様々な源流があることを確認しました。
また、生活保護の切り下げ議論とセットですすめられるなど、課題も残るなか「小さく産んで大きく育てよう」を合い言葉に、2013年6月、対策法は成立の日を迎えることとなりました。
小河:その後、2014年1月に施行し、国の基本方針を決める大綱の検討にステージがすすみました。また、都道府県の対策計画の策定が「努力義務(計画策定の努力をすることが義務)」となり、各地域で実効性ある対策へ向けた働きかけが必要でした。
そこで、しっかり対策をすすめてもらうために「STOP!子どもの貧困ユースミーティング」を学生たちが中心となって開催しました。まず2014年5月に東京でユースミーティングを開き、学生たちは大臣や各党代表へ大綱に関する要望を伝えました。2014年8月に大綱が閣議決定された後は、9月に愛知、10月に京都、11月に北海道など各地でユースミーティングを開きました。
村井:大綱が決まった次の日には、関西の実践者たちと緊急アクションの集会を開催しました。2014年は子どもの貧困率が16.3%とさらに深刻な状態になっていることが明らかとなり、緊急アクションは地域で対策のステージを進めるひとつのきっかけになりました。
村尾:私も対策法の成立と同時に北海道で勉強会をはじめ、村井さんたち関西の動きをヒントに北海道の対策をすすめるためのアクションを起そうとしました。
しっかり対策を推し進めていく民間団体の必要性を痛感
村井:一方で、対策法も、大綱も完璧なスタートではなかったので、具体的に対策をすすめていくためには取り組みを続ける事業体のようなものが必要となっていました。
小河:2014年12月には各地のユースミーティングでつながった人たちも集めた学生たちの全国大会が開かれました。このときには、対策の推進を働きかける民間の団体が必要なことを私も痛感していました。
村尾:11月に北海道で集会が開かれ、なかなか簡単にはすすまない対策への危機感を募らせて、私も同じことを考えていました。12月の全国大会で、3人がはじめて一緒に顔を合わせたんですよね。
村井:そうですね。夜、村尾くんが学生に説教している姿を見て「怖い人だなぁ」と思っていました(笑)
村尾:はい、そのこと、覚えています・・・(笑)私は大学を卒業して、後輩たちの活動を応援する立場でもありました。
小河:団体が必要だということは考えていたけど、専従職員を置いての形は想定していませんでした。2015年2月、本格的に取り組む必要性から私は26年間続けた仕事を辞める腹をくくりました。
法成立5年を契機に、次のアクションを考えるタイミングへ
村尾:そして、はじめて作戦会議を開いたのは、2015年4月のはじめでした。
村井:そのときは、いかに子どもや、対策に関わるみんなの声を代弁していくかを考えていました。
当時もSNSを活用して対策への発信をする人もいましたが、政策をつくる人たちは僕たちが使うツールを必ずしも見ている訳ではなかったので、どぶ板的に提言をしていく必要がありました。また、小河さんは山科醍醐こどものひろばの全国版みたいなものをつくりたい雰囲気で、直接支援を捨てきれない感じでもありましたよね。
村尾:そのときの会議では本当に何も決まっていなくて、そこで対策をすすめるために団体の「調査・提言」、「中間支援」、「直接支援」事業の3本柱が決まりました。
小河:そうです。事業の3本柱は、村尾くんがとりまとめてくれたよね。
村井:学生や実践者も会議に参加してもらいました。事業以外にも子どもの声を対策に反映させるために「代表も学生で良いかも」と学生を理事に入れることや高校生を中心とした子ども委員会、子どもの視点に立った対策の推進の徹底などコンセプトも話し合いました。
新しい「団体」をつくるというよりは、これまでのご縁を手繰りながら、今から子どもの貧困の解決や新しい社会をつくるために必要なものは何なのかを考えた時期でした。
村尾:最初の役員候補もユースミーティングでつながった人たちが中心で、対策をすすめるための大同団結みたいな形でした。あの頃、少なくとも2週間に1度は北海道と東京を往復し、村井さんも京都と東京の往復の連続でした。
関わってくれた学生世代も連日やるべきこととできることの議論を重ねて街頭募金やメディアで働きかけをしてくれました。「子どもの貧困対策センター設立準備会」として設立賛同人と創設寄付者を募集し、想いを共有する多くの皆さんと一緒に団体をつくりました。
村井:そこで考えたことを、2015年6月に団体を立ち上げて今まで約3年かけて実行してきました。逆に言うと、3年も時間がかかったという感じです。
今までつながった人たちと一緒に、次の政策提言をつくることやアクションを起こす時期がようやく見えてきました。そういった意味では、今度の対策法の成立5年や国の大綱や地域の計画見直しに間に合う議論ができると良いですよね。
小河:この3年間で児童扶養手当の拡充や給付型奨学金の創設など、当時では想像できない対策もすすめられてきています。まだまだ課題も多く残るなか、次のステージへ向かうために取り組みをさらに進めていく必要があります。
村井:これからは、つながった人たちや今いる学生世代の子ども・若者、子どもの貧困に関心を持った人たちと次の一歩を一緒に考えるタイミングです。今回の対談を通して、そのことを強く感じることができました。
村尾:今回の記事が対策のあゆみを改めて見つめ直し、次のアクションへとつながるきっかけに少しでもなればと切に願っています。貴重なお話、ありがとうございました。
(終わり)
今回の対談の目的は「子どもの貧困対策法」のあゆみを振り返ることで、子どもの貧困に関心を持つ人や担い手が増えているなか、対策法の成立から5年を契機に、次のアクションを皆さんと考えて行動に移すきっかけをつくることです。私も後輩学生の「僕は一人でも街頭に立って呼びかけます!」という気持ちに応えたいと、仕事を辞めて北海道から上京し、専従職員として関わる決意をしました。
子どもの貧困の解決には、さらに社会で広がりを持って動いていくことが重要です。2018年、あなたもその一歩を一緒に踏み出しませんか?