こどもは自由でいいなぁ、と思うことはあるだろうか。
私は道端でゴロゴロしている猫を見ても、自由でいいなぁとは思わない。猫にだって不自由なこともあるだろう、いやもしかしたら私のほうが自由かもしれない、とさえ思う。
ひるがえって、「こどもに自由があるか」と考えてみると、あるような、ないような、よくわからない感じがする。
先日、某大手企業に声をかけていただいて、哲学対話のファシリテーターとして研修室にお邪魔した。
私が企業でファシリテーションをする時は、たいていテーマも一緒に考えるのだが、この時はすでに社員から話したいテーマとして「会社における自由とは?」というお題があがっており、白熱した対話になった。
会社の中で、服装や言葉遣いや、新しいことにチャレンジするような自由がもっとほしいという意見もあった。
一方で、そもそも会社に自由を求めていないし、会社は拘束であり、自由を提供する場所ではないという意見もあった。
会社には自由があるのか、自由がないのか、結局よくわからない。
こどもとは何か。何歳から何歳までがこどもなのか。自由とはなにか。何をすれば自由なのか。私もわからない。わからないのに議論する。わからないのに議論することは、馬鹿げているだろうか。私はわからなくても議論してもいいと思うけれど、どうだろう。広げるだけ広げた伏線を回収しないまま、終わってしまったモヤモヤする映画のように。
自由のための教育
20世紀を代表する教育思想家の一人である、パウロ・フレイレは今から25年前の1992年、ブラジル・サンパウロ市の教育長官を辞した。
1989年から足掛け4年、およそ2年半の実務期間だったが、その功績は大きい。フレイレが導入したカリキュラム「Interdisciplinary Curricurum via the generative theme(生成テーマを媒介とする学際的カリキュラム)」は、生徒が日々の暮らしの中で得た知識について話し合う学校を目指した。
たとえば、生徒たちが「ごみ問題」について思うところがあるならば、ごみ問題から派生する生徒たちが暮らしの中で聞いたことのある言葉を共有し合う。汚染、エコ、リサイクル、というように。
それについて数学的に「今のペースでゴミが増えると、サンパウロ市のゴミ焼却場はどうなるか計算してみよう」と話し合ってもかまわない。
フレイレは、生徒たちの「日々の暮らしの中で得た知識」について「思うところ」から学習を始めるべきだと説いた。
なぜなら教育とは「世界」とこどもたちをつなぐ営みであり、ここでいう「世界」は、子どもたちの目の前に広がっている「日々の暮らしで見た世界」でなければならなかった。
知っている世界を共有しあい、日常の中で感じる疑問や関心についてこどもたちが対話をすることで、自由を手に入れることができるのだ。
長年にわたりブラジルの識字教育に命をかけたフレイレにとって、学習とは「自由」を獲得するためのものだったからだ。
親の「願い」が「ねらい」になる
25 年前のサンパウロ市について語らなくても、こどもと自由について考える上では、日本にも示唆に富んだ多くの論説が存在する。
たとえば2008年の保育学研究第46号には「意図的活動重視の保育から"生活の充実感"を目指す保育へ:ある公立保育園における異年齢保育の展開を手がかりに」と題した渡邉保博氏の論文が掲載されている。
論文では、年齢の異なるこども同士を強制的に「異年齢保育」としていた公立保育園において、保育者と保護者が3歳も4歳も5歳も同じ活動をする不自然さに気づき、「異年齢交流」へとシフトしていった経緯が報告されている。
これについて渡邉氏の論文中には、「意図的だがやや不自然な面もあった異年齢の関わりから、子どもたちを『自由』にする1つの契機になった」とある。
その後、異年齢保育について不自然であると解釈した保護者たちは、大人が意図した活動にこどもをはめ込むのではなく、ひとりひとりの子どものことを理解しようと決意する。
保護者の「ねらい」ではなく、こども自身の「ねがい」が受け入れられる、安心できる保育を目指した。
こどもにとっての自由とは何か。今、こどもに自由はあるのだろうか。
私にはよくわからない。フレイレは、知識を詰め込むような教育を「銀行型教育」と呼び、まるで銀行口座に金を振り込むようだと痛烈に批判した。また同時に、社会の中で権力を奪われた人々は、自由を恐れる可能性があることも示唆した。
今、こどもに自由はあるか。この問いは、そのまま、こどもだった時代を駆け抜け、現代を生きるおとなたちにも通じているのかもしれない。こどもたちにだけでもせめて、安心できる大人に「思い」を聞き入れてもらえる自由と安心が確保されていてほしい。