日本のキャッシュレス化に向けた課題-日本のキャッシュレス化について考える(3):研究員の眼

政府の定めた「キャッシュレス決済比率」を高めていくことを軸としつつ、考えてみたい。

前々回前回と、日本におけるキャッシュレス化の進展状況とキャッシュレス化することのメリットについてまとめてきたが、日本においてキャッシュレス化を進めていく上での課題を、政府の定めた「キャッシュレス決済比率」を高めていくことを軸としつつ、最後に考えてみたい。

消費者サイドが抱える課題

日本銀行のアンケート調査(*1)によると、日本の消費者が現金以外の決済手段を利用しない理由として「利用する機会や必要がないから」「使いすぎてしまうかもしれないから」「現金以外で支払うことに不安」「盗難や紛失にあうかもしれないから」が上位に挙げられている。これらの回答から考えられる課題について整理してみたい。

(1)「利用する機会や必要がないから」

「利用する機会や必要がないから」については、日本の消費者が現金を引き出したり持ち運んだりすることに、不便さを感じていないことを示唆している。

日本は治安が良く、紙幣も比較的清潔で偽札も少ないため現金に対する信認が高く、前回指摘したが、ATMなどの金融インフラも十分に整備されているのがその理由だと考えられる。

一方で、同じ調査において、クレジットカードを使用する理由として「ポイントを貯めるため」「支払い金額の大きさ」「手もちの現金額」「支払いの便利さ、早さ」も挙げられている。よって、クレジットカード決済に対して、ポイント等の経済利得だけではなく決済の利便性も重視されているようである。

キャッシュレス化を進めていくには、現金決済よりもキャッシュレス決済に利便性を感じられるようなユーザー体験を提供していくことが肝要となるだろう。

例えば、日本銀行の調査(*2)によれば、国際ブランドと提携したデビットカードを発行した国内銀行の数が2015年末から2016年にかけて15行から28行に急拡大しており、国内銀行は顧客に対してATMの利用からデビットカードの利用への移行を推進しているようである。

世界的に金融機関の業務効率化が進められているが、日本においても業務効率化の観点で国内銀行が店舗やATMといった金融インフラを整理していくことになると、相対的にキャッシュレス決済の利便性への評価が高まり、半ば強制的にキャッシュレス化が進展していくようなシナリオも想定しうる。

(2)「使いすぎてしまうかもしれないから」

「使いすぎてしまうかもしれないから」については、行動経済学の観点から日本の消費者がキャッシュレス決済に対してメンタル・アカウンティングを行っている可能性が指摘できる。メンタル・アカウンティングとは、同じお金であっても資金の出所や用途によって使い方を変えることを指す。

メンタル・アカウンティングには良い面があることが指摘されており、子どもの養育費や退職後の生活費を別管理にして使用しない、などの対策には有効性があると考えられる。

前回に、キャッシュレス決済の利用が消費者の需要を喚起する可能性について紹介した。先の回答を行った日本の消費者は、あえて「現金以外の決済手段を使用しない」というメンタル・アカウンティングを行うことで、クレジットカードの信用枠を敢えて活用しないなどの、生活費を節約するための対策を講じている可能性がある。

しかし、行動経済学におけるメンタル・アカウンティングは認知バイアスの一つとされており、学習や金融教育を行うことで抑制できるとされている。

キャッシュレス化を進めていくには、消費者自身がキャッシュレス決済について学習して認知バイアスを抑制し、自らの消費行動をコントロールしながらキャッシュレス決済の利便性を享受する方向に促していく必要があるだろう。

S&Pの調査(*3)によると、日本において金融リテラシーのある成人の割合が43%であることが紹介されている。

これは、東欧のクロアチア(44%)やポーランド(42%)、東アジアの香港(43%)やモンゴル(41%)、中央アジアのカザフスタン(40%)やトルクメニスタン(41%)、中東のクウェート(43%)やレバノン(44%)、アフリカの南アフリカ(42%)やジンバブエ(41%)、ラテンアメリカのチリ(41%)やウルグアイ(44%)などの国々と同等の水準という評価である。

一方で、キャッシュレス先進国と呼ばれることのあるデンマーク(71%)、スウェーデン(71%)やノルウェー(71%)における金融リテラシーは総じて高い。金融インフラが整備されている他の先進国を見ても、米国(57%)、英国(67%)、ドイツ(66%)、フランス(52%)、カナダ(68%)やオーストラリア(64%)など、50%を超える国が多い。

残念ながら、日本人は世界的に見て金融リテラシーが必ずしも高いとはいえない。

日本においてキャッシュレス化を進展させていくためには、少なくとも他の先進国と同等の水準にまで金融リテラシーを高めていくことが必要条件になるだろう。

(3)「現金以外で支払うことに不安」「盗難や紛失にあうかもしれないから」

「現金以外で支払うことに不安」「盗難や紛失にあうかもしれないから」については、匿名性のある現金決済と比べて、キャッシュレス決済を使用することによる個人情報の漏洩や不正使用を日本の消費者が懸念していることを示唆している。

日本クレジット協会の調査によれば、2016年1月から12月までのクレジットカードの不正使用による被害総額は140.9億円で、2017年は1月~6月の時点で既に118.2億円と上昇傾向にある。

2016年の不正使用の内訳は偽造カードによるものが21.6%(2017年は17.1%)、番号の盗用によるものが62.4%(同72.1%)となっている。また、2016年のインターネットバンキングによる被害額を見ると16.9億円で、こちらは減少傾向にある。

これらの情報がキャッシュレス決済のセキュリティに対する日本の消費者の懸念に繋がり、相対的に現金決済に対して安心感を持つ理由になっている可能性がある。

上記の回答をした消費者は、敢えて現金決済を選択することで、キャッシュレス決済に伴う不正利用によって損害を被るリスクを逓減させようとしているものと考えられる。

また、日本人は他の国々と比較して、個人情報の提供に対して肯定的ではないという傾向も見られる。「情報白書平成28年度版」(総務省)の中で、日本において金融機関と一般大企業の事業目的に対して「情報提供しても良い」または「条件によっては提供しても良い」と答えた割合はそれぞれ58.6%と52.0%だと紹介されている。これは、中国(84.8%と76.5%)やインド(79.4%と70.6%)、米国(76.2%と59.2%)や英国(70.3%と53.9%)に比べて低い。また、ドイツ(58.8%と38.7%)と韓国(65.6%と45.2%)は日本と同じ傾向にあるといえる。

程度の違いこそあるが、キャッシュレス決済の利用に際して個人情報の管理に対して懸念するのは、世界共通の認識である。

INGの欧州諸国におけるキャッシュレス化に対するアンケート結果(*4)では、日本と同様に個人情報に対する意識の高いドイツにおいて、「個人情報の確保のレベルが高い」または「とても高い」と回答した割合は、現金決済で86%、キャッシュレス決済で28%であった。

当該アンケートの対象となっている欧州諸国の中で、ドイツは現金決済に対して個人情報が確保される程度が高いと答えた割合が最も大きいが、欧州諸国の平均で見ても現金決済に対して66%、キャッシュレス決済に対して37%と回答しており、この結果から、欧州でも一般的にキャッシュレス決済の利便性が個人情報の流出リスクとトレードオフにあると認識されているといえるだろう。

個人情報の漏洩やそれに伴う不正使用に対する懸念の払拭は、世界的に見てもキャッシュレス化を進めていく上での重要な課題といえる。

(*1) 「生活意識に関するアンケート調査(第45回)」(日本銀行情報サービス局, 2011年4月1日)

(*2) 「最近のデビットカードの動向について」(決済システムレポート別冊シリーズ、日本銀行決済機構局、2017年5月)

(*3) "Financial Literacy around the World: Insights from the Standard & Poor's Rating Services Global Financial Literacy Survey," Klapper L., Lusardi A. and van Oudheusden P., 2015

(*4) "ING International Survey Mobile Banking 2017 – Cashless Society April 2017"

小売業者サイドが抱える課題

小売業者から見ても現金決済に相対的に利便性を感じる理由がある。一般的なクレジットカード決済のインフラを導入する場合、決済端末費用として10万円程度、決済手数料として2~8%のコストがかかり、カード会社からの入金に15日~30日を要する(*5)。

現金決済であれば、以上のようなコストは必要なく、コンバージョンサイクル(仕入れから販売に伴う現金回収までにかかる日数)も短期化して資金効率が高まる。

一方で、キャッシュレス決済を導入すると、現金を管理・運搬するコストが逓減でき、人件費の効率化も期待できる。キャッシュレス決済に限定することで人件費を削減し、安価で物やサービスを提供しようとする小売業者も出てきている。

それに加えて、顧客の購買データの分析を行うことで収益性の向上を図ることもできる。また、最近はインバウンドや地方創生という観点で、外国人観光客による購買活動も無視できなくなってきているが、キャッシュレス決済が一般化している国からの観光客に対するビジネスという意味で、新しい収益源の獲得も期待される。

経済産業省の資料(*6)によれば、各業種でカード決済可能な割合は、スーパーで71%、フランチャイズで63%、タクシーで51%、旅館で90%であり、小売業者サイドにおいてもキャッシュレス化に向けた環境整備は十分広がっているとはいえない状況にある。

キャッシュレス決済の導入コストを引き下げていくような新たな仕組みが今後導入されれば、現金決済とキャッシュレス決済のトレードオフ問題が緩和され、「キャッシュレス決済比率」の向上に寄与することになるであろう。

(*5) 「決済の構造変化と銀行への影響」(金融庁, 決済業務等の高度化に関するスタディ・グループ資料, 2014年10月9日)

(*6) 「キャッシュレス決済の現状と推進」(経済産業省, 2017年8月)

関連レポート

(2017年12月25日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

金融研究部 准主任研究員

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