こんにちは。
がん患者さんの社会復帰を支援するNPO法人"5years"の大久保淳一です。
私は5yearsの他に「ミリオンズライフ」というウェブメディアも運営しています。
日本各地のがん経験者の方を取材して、がん闘病から社会復帰までの感動的な実話を紹介するサイトです。
これまで28名の方(2017年11月時点)の体験談を公開しております。
今回は、阿部久美子さん(乳がん)をご紹介いたします。
本編は第13話まである長編ですが、ここでは要約した短い内容にさせて頂きます。
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「あの時の電話は久美子のことだったの...。ごめんね、気が付かなくて...。(がんは)私が代わってあげたいよ...」
母親にそう言われ一緒に泣いた。
先月、母親に電話で相談したとき、自分じゃなくて知人のがんのことのように言ってしまった。
それを後悔した。
◇ キャリアチェンジ
長年、パソコンの指導員の仕事をしていた神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2006年当時33歳)は、2006年に一念発起して生命保険会社に転職。
今後のことを考えてキャリア・チェンジした。
担当した仕事はFP(ファイナンシャル・プランナー)部門でのコンサルティング。
保険商品とともにお客様に相談・アドバイスをする仕事だ。
入社して3年が経った2009年(36歳)、健康診断を専門的に請け負うクリニックで、乳がん検診(マンモグラフィー、超音波検査な)を受診。
そして医師からこう言われる。
「画像を観ると乳腺の密度が高いです。まぁ、大丈夫です。今後は経過を診ていきましょう」
"乳腺の密度が高い..."正直、その意味がよく解らなかった。
一方の仕事はと言うと、入社当時の不安は充実に代わり、どんどん忙しくなっていた。
丸1日休める日は1ヵ月に1、2回の時もあり、夜中遅くまで仕事をすることもある。
会社でトップアドバイザーにまで上り詰め、それを当たり前のように続けていくことの大変さと充実感に満たされていた。
◇ 疲れすぎの毎日
多忙な毎日が7年間続いた。
やがて...、
昼間、まぶしくて太陽の光を見られなくなる。
「身を粉にしてまでやる仕事が、本当に自分のやりたい仕事なのか?FPコンサルタントの仕事は自分が元気な状態で初めてできるものじゃないのか?」
2012年の夏から暫くは休みがちの生活になる。
休暇中に自分が担当しているお客さんたちと会い、独立の相談をしたら、こう言われた。
「あなたの会社(が好きで取引をしているん)じゃないのよ。阿部さんだからなのよ」
その言葉が彼女の背中を押した。
◇ 独立する
2013年6月30日、40歳になったのを機に会社を退職し、FPとして独立。
その後、順調に2年間が過ぎ、2015年には再び多忙な生活に戻っていた。
疲れてはいたが、会社からやらされている仕事ではないので、精神的にはつらくない。
ただ...、独立すると「会社の健康診断」と言うものがない。
「いつか(検診に)行かなくちゃ」と思いつつ毎日が過ぎていく。
2015年11月26日、仕事から帰宅し、着替えようとして胸に触れたら右の乳房の上にパチンコ玉くらいの固いしこりがあった。
この時、とっさに思った。
「やばい...、乳がんだ」
慌ててクリニックに行き検査を受けると医師にこう言われた。
「しこりがありますね。良性か、悪性かは半々の確率だと思います。もっと設備の整った病院で診て欲しいので紹介状を書きます」
そして、大きな病院を紹介された。
阿部さんは「お母さん、ごめんなさい」がんになったことで親不孝をしているような気持ちになっていた。
泣いてばかりの毎日だった。
◇ 医療か、美容か
この頃からだ...。
自分の胸にメスを入れるのが怖くなっていた。
できれば、サプリメントとか、身体に負担なくがんが消える治療方法がないか調べ出す。
医療よりも、美容が気になっているのだ。
2015年12月11日 病院・乳腺外科。
マンモグラフィーと超音波検査の後、女性の主治医と言い合いになってしまう。
今後は生検をして、がんの確定診断を行いたいとする医師。
一方、胸に針なんか刺したらがん細胞が飛び散ってしまうのではないかと恐れる阿部さん。
二人とも平行線だった。
それから、阿部さんは、いわゆる民間療法を試した。
美容と治療のはざまで気持ちが揺れ動き、なんとか身体に負担なく終わらせる術がないか試していた。
友人は「ちゃんと標準治療をやろうよ」と諭(さと)す。
高額の治療費、お金がどんどん減り、やがて民間療法に対して疑問を抱き、深みにはまらずに済んだ。
◇ 家族
年が押し迫った2015年12月31日、大晦日の日。
阿部さんは、夜、実家に車で帰り、両親に切り出す。
「ちょっと話があるんだけど...、実はわたし乳がんなの。年明けにMRI検査を受けるし、細胞診も受けるかもしれない...」
そのとたん両親は混乱。父親は動揺し、母親は泣きだした。
大晦日の夜、阿部さんと母親の涙は止まらなかった。
1月20日、主治医の診察室に行くとこう言われる。
「残念ながら、やはり、がんでした。ホルモン受容体・陽性、HER2・陰性タイプ(ルミナルA)です。化学療法は必要ありませんが、手術のあと、ホルモン療法を10年間行います」
今後の治療方針について説明を受けた。
相変わらず、胸にメスを入れるのは恐い。乳房の部分摘出なのか、全摘なのか?再建についてはどうするのか?主治医との関係は上手くいっていない。
悩んだ挙句、聖マリアンナ医科大学病院・乳腺外科を受診。
男性医師は詳しくゆっくりと解説し、納得できる説明をした。
話しているうちに、自然と打ち解け、こう言っていた。
「先生、私、手術を受けたいです。悪いものは取り除いて下さい」
これで前に進めると思った。
◇ 1回目の外科手術
予定されたオペは、乳腺悪性腫瘍手術(乳頭乳輪温存乳房切除術)とエキスパンダーを右胸に入れる組織拡張器による乳房再建手術。
手術は4月1日に行われ、5時間ほどかかった。
回復室に移り麻酔が切れて、強い吐き気がした。
まず気になったのは右胸のこと。
見て確かめることは出来なかったが、感覚は最悪だった。
「なにこれ...、鉄板みたいのが入っている。こんなに硬くて重いのが胸に入ってる」
そんな感じだった。
しかし、手術から数日後、主治医に促され自分の胸をみた。
すると...、
「あっ、オッパイがある。よかった...、手術は成功したんだ」
外見的には部分切除したとは思えないような丁寧なオペで本当に嬉しかった。
喪失感がないのだ。
退院後は、5月よりホルモン療法。
3ヵ月に1回「リュープリン」注射を受け、「タモキシフェン」を毎日1錠服用するものだった。
タモキシフェンについては翌年の1月まで、リュープリン注射は2017年6月までで終了した。
◇ 2度目の手術
翌年、2017年1月5日、遊離皮弁術(乳房再建術)を受けた。
14時間近くかかった。
処置室で目が覚めたが悪寒がして、気持ち悪く吐いてしまう。
やがて身体が熱を帯びていて暑い。かなりの発熱だったはずだ。
組織を切り取った腹部は焼けるように痛く、喉が息苦しい。
想像していた術後とは大違いで、重い病気にかかったかのように心身辛く苦しい状態だった。
「乳房再建の手術って、こんなに大変だったの...」
こんなに大変なオペだとは思いもしなかったから、想像と現実のギャップに苦しむ。
前年4月のがん手術以降、順調に回復していた阿部さんは、心が振出しに戻ってしまい、乳がんになった自分を責め続けた。
正直、再建手術なんてやらなければ良かった...。
みたび、どん底から這い上がっていくことになる。
◇ かつての自分を取り戻す
手術直後、ひどい体調不良になり、一時はどうなるかと思ったが、その後、ゆっくりと回復し歩行器をつかって歩けるまでになった。
退院後、1ヵ月間は自分のアパートで自宅療養に充てた。
2月中旬から少しずつ仕事を再開。
体力と筋力を失っていたのでお客さんと会うことはまだできない。
だから、電話とメールで仕事をした。
そんなつらい頃、「応援しているよ」とお客さんから言われ、うれしかった。
考えてみると自分は、経済的に自立はしていても、心が自立していなかった。
独立したファイナンシャル・プランナーだからお客さんから良い評価が欲しくて、どんな状況でも頑張って働くのが美学だと思っていた。
しかし今、体調がよくないときに無理なんてしちゃいけないと思えるようになった。
それを心の自立と表現した。
2017年4月、がん摘出の手術から1年が経過。
時間が経つにつれ、また、できることが増えていく。
仕事で使う車の運転もできるようになった。
電車にも乗れるし、立ってつり革につかまることもできる。
そして今年8月、週に5日間も働けるまでに回復した。
どんどん、かつての自分を取り戻している。
1回目の「ゼロからスタート」は、退職して独立したとき、2回目は乳がんの手術を受けたあと。
そして、3回目は乳房再建手術を受けた2017年1月。
打ちのめされるたびに這い上がって、再び生活を取り戻してきた。
そして都度、大切な何かをもらい受けてきた気がする。
家族、友人、お客さんたち、会社の人、そして彼氏、感謝してもしきれない人たちに囲まれ、自分の仕事をさせてもらえることのありがたさをかみしめる。
不思議なもので、新たに知り合うお客さんに自己紹介する際、がんを患ったことを明かすと、相手の人が心を開いてくれて話が弾むことがある。
そんな"心から出る言葉"でFPの営業が出来るようになったと思うと嬉しい。
かつては営業成績とか数字を大切に思い、実績を追いかけがちな自分がいた。
しかし今、本質的な価値とはそう言うものではないと感じていている。
人生の本質を理解し、豊かな人生を追い求める。
新たなスタートをきった。
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阿部さんの取材を通じ、人生に挫折はつきもので、それを乗り越えた時、本当の幸せを感じられるのではと思いました。
そして、やる気さえあれば、何度でも這い上がれる、そんな強いメッセージをもらいました。
また、他の28名のがん経験者の方々のストーリー記事はこちらです。