『大家さんと僕』で漫画家デビューをした、お笑い芸人で俳優の矢部太郎さんが、2年ぶりとなる新刊『ぼくのお父さん』を出した。
主人公は矢部さんのお父さんで、絵本作家のやべみつのりさん。矢部さん曰く「変わっているというか、不思議な人」だという。
例えば、お父さんはいつでも、何でも絵に描く。食事の時もお父さんが描き終えるまで食べられず、料理は冷めていく……。
そんなお父さんのことを「恥ずかしい」と思ったこともあったけれど、大人になった今、こうも思う。
「変わっているのはお父さんなのか、それともそれ以外の世界が変わっているのか」――。
そんな疑問を感じながら、ちょっぴり変わったお父さんと過ごした子ども時代を描いた。
毎日を全力で楽しむお父さん
子どもの頃、矢部さんは「自分のお父さんは、他のお父さんと違う」と感じていた。
友達のお父さんたちは、会社に行ったり、自営業で働いていたりしていたけれど、矢部家の場合は外で働くのはお母さんで、家にいるのはお父さん。
そんな性別にとらわれない家族のあり方は子育てにも現れていて、お父さんから「男の子だから〇〇しなさい、〇〇しちゃダメ」と言われたことはなかった。
「むしろ何かをしなさいいうこと自体あまり言われたことがなかったし、お父さんも全然大人らしくなかったですね……」と、矢部さんは振り返る。
みつのりさんはユニークな価値観を持っていて、その一つが「買ったら負け」。誕生日プレゼントを含め、色々なものが手作りで、矢部さんはお父さんと一緒に縄文土器を作ったこともある。
この時、お父さんはわざわざ上野の博物館まで火起こし器を見に行って、展示を元に火起こし器まで手作りしたという。
他にも、毎日工作をしたり、つくし取りに出かけたり。
そんなお父さんのことを、幼い頃は「いいな」と思っていたけれど、成長するにつれて違和感も芽生えてきた。
「お父さんが子どもっぽいというか、なんかちょっとズレているんです。街や公園や動物園に一緒に出かけた時、ほかのお父さんは写真を撮るくらいだけれど、僕のお父さんはいつもガッツリ絵を描いている。スーパーでレジの人を描いて、警備員さんを呼ばれたこともありました。恥ずかしいなっていう目線が、段々僕の中にもできてきたのかもしれないですね」
高度成長期からドロップアウトしたお父さん
みつのりさんは元々、車の会社で広告系デザインの仕事をしていた。
しかし、何のために誰のために描いているのかわからなくなり、仕事を辞めて上京。
結婚して絵本作家になった後は、子どものための造形教室なども主催するようになった。
そんなお父さんが、矢部さんが生まれた時につけ始めたのが、矢部さんの成長を記録した「たろうノート」だ。
成長を描くことで、お父さんは「子どもと一緒に、自分も生き直しているような気がしていた」という。
今回お父さんをテーマに漫画を描くと伝えると、お父さんからこのたろうノートが送られてきた。
ノートを初めて読んで、矢部さんは「違和感を感じていたお父さんと自分に、どこか似ているところがあると感じた」と話す。
「僕自身に子どもはいないんですけれど、当時のお父さんと今の僕は年齢が近いし、今だからわかるところもありました」
「例えば僕がお父さんから感じていた、周りからずれたり浮いたりしている感じって、多分、僕が子どもと街に出たら、与えるであろう感覚だろうなと思うんです」
「僕自身大人になっても全然完璧じゃないし、正解もわからないまま生きていて、悩みや迷いもある。お父さんもそうだったのかなあって思ったら、お父さんをもうちょっと肯定的に捉えてもいいのかもと思うようになりました」
他にも「お父さんは子どもに何かを教えようとするより、むしろ子どもから学ぶという気持ちで自分に接していたんだ」ということも感じた。
その一方で、自分の好きなことを全力でやりながら子育てするお父さんに対して「何なんだこの人は…」っていう気持ちが、改めて湧いてきたのも事実。
だから矢部さんは『ぼくのお父さん』を、お父さんを肯定する気持ちと、批評する気持ちの両方で描いた。
「たろうノートを読んで、お父さんは本当に自分の好きなことだけやっているなあと思ったんです。それってすごいことだなと思うんですよね」
「この時代、高度成長期を支えて働いた人もいれば、そこからドロップアウトした人たちもいると思います。ドロップアウトした親のことを、育てられた子ども目線から、批評の気持ちを込めて描いてみました」
お父さんに感謝していること
お父さんに違和感を感じてきたけれど、それでも今の自分は、お父さんの影響を受けていると矢部さんは思っている。
「お金がなくても気にしないところとか似ていると思うし、絵を描くようになったのは、お父さん影響を受けているんだと思います。お父さんが、すごく楽しそうに絵を描いていたから」
そんな矢部さんが6歳の時にお父さんと作った紙芝居には、漫画家矢部太郎さんの原点を垣間も見ることもできる。
紙芝居は、動物保育園で動物たちがお泊まり保育するというストーリーで、矢部さんが絵を描き、お父さんが矢部さんが話したことを文字にしてくれた。
「我ながらすごいなと思うのは、背景を塗るのが面倒くさかったのか、点描でごまかしているんですよ。すごいわかります、その気持ち。今でもやっちゃいがちで、背景をほとんど塗らなかったり描かなかったりするから。どうやって楽するかということを考えているところが、変わっていないなと思います」
お父さんとの思い出はたくさんあるけれど、振り返って何よりありがたいと思うのは、一緒に時間を過ごしてくれたことだ。
「家にいて一緒に遊んでくれたってことが、一番嬉しかったですね。たろうノートを読んで、お父さんがずっと一緒に何かをしていくれていたんだと感じました。毎日つくしとりに行ったりしてしんどくなかったのかなあと思う。本当にありがたいですよね」
子どもの頃、お父さんは絵本が出来たらまず最初に矢部さんに見せてくれた。
だから矢部さんは出来上がった『ぼくのお父さん』を、最初にお父さんに渡した。
読んだお父さんから「こんな理想の父親みたいに描かないでよ~」と言われて、どこをどう読むとそうなるのか、やっぱりわからない、と矢部さんは思っている。
出版にあわせて、みつのりさんはこんなコメントを寄せている。
「自分で言うのもなんですが、つくづく変な『お父さん』ですね。高度成長期に『全力でのらないぞ!』という気合いを感じます(笑)」
「自分の好きなことを、子どもと一緒にやっていたなあと改めて感じました。僕自身が子どもと楽しみながら、生き直していたように思います。子育てをされている皆さん、子育てを楽しんで、子どもから学んでください。子どもはみんなおもしろい!」
どこか不思議なお父さんと過ごした日々を描いた『ぼくのお父さん』。矢部さんは読んだ人に、何か忘れていたことを思い出してもらえたら嬉しいと思っている。
「僕は子どもの頃にこういうことがあったけれど、皆それぞれに何かがあったんだろうなあと思います。だからこの本が、それぞれの子どもの頃とかを思い出すきっかけになったらいいなと思います」