イギリス西部の都市ブリストルで、ジョージ・フロイドさんの死と人種差別に抗議していた一部のデモ参加者が、街に長年建っていたエドワード・コルストンの銅像をエイボン川に投げ込んだ。
コルストンは1600年代に奴隷貿易で富を築いた人物だ。彼を記念するための銅像は1895年に建てられていたが、近年は銅像に対する批判もあり、撤去の署名活動も行われていた。
銅像は6月7日、「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」デモ参加者たちによって頭にロープをくくりつけられ、地面に引き下ろされた。
デモ参加者たちは銅像を転がして街の中心から運び出し、ブリストルの港に投げ入れた。そこはコルストンの船が、奴隷貿易のために西アフリカに向けて出立したのとほぼ同じ場所だった。
地元警察は銅像を投げ込んだ少数のグループについて捜査している。
「エドワード・コルストンの銅像、Googleマップですでに移動されている」
奴隷貿易と関係の深い街
ブリストルは、奴隷貿易と深い関係があった街だ。18世紀、この街の港はイギリスで最大の奴隷貿易港の一つだった。
また、銅像が投げ込まれた場所のすぐ横には、ブリストルに奴隷として連れてこられたペロ・ジョーンズに敬意を表して名付けられた「ペロの橋」がかかっている。
コルストンの銅像を港に投げ込んだデモ参加者のひとりは、「投げ込まれて然るべき人物です。私はこれまでずっと、こうなることを待ち望んでいた」とハフポストUK版に話した。
「本当に素晴らしい気持ちです。一つの章が終わった気がします。私たちがこれを待ち望んでいたのです」
「奴隷貿易商のエドワード・コルトンの銅像がブリストルの港に投げ込まれた」
その人物は、「銅像を引きずり下ろしたことがあなたにとってどういう意味があるか」という質問に対して、不平等に対して立ち上がらなければいけないと答えた。
「人種差別がなくなることはないと思います。しかし未来のために必要なのは、悪い行いが然るべき報いを受けること、そしてお互いに助け合うために人々が立ち上がることです」
「どんな人種やセクシュアリティ、宗教も、不平等な扱いを受けているのであれば、一緒になって抗議しないといけません」
「エドワード・コルストンの銅像についての議論に、これで終止符が打たれることになる(誰かが元に戻さない限りは)」
「エドワード・コルストンの銅像が、BLMデモの参加者によって引き下ろされた。コルストンは17世紀の奴隷商人で、ブリストルには彼の名前がつけられたランドマークがたくさんある」
どんな人物だったのか
コルストンが残した功績をめぐって、これまで大きな対立が起きていた。コルストンは資産の多くを慈善活動に使い、そのいくつかは現在まで残っている。しかしそのお金のほとんどが奴隷貿易によるものだった。
コルストンはブリストルの裕福な商人の家に生まれた。ロンドンで学んだ後、1673年にマーサー社に入社。毛織物やワイン貿易に携わったとPA通信は伝える。
その後1680年に、ロンドンに拠点を置く王立アフリカ会社(Royal African Company)に入社し、イギリスの奴隷貿易をほぼ独占していた同社の副代表を1689年から1690年まで務めた。彼のきょうだいや父も同社と関係があり、家族で奴隷貿易から利益を得ていた。
王立アフリカ会社は1689年までに、約10万人のアフリカ人を奴隷としてアメリカに送った。奴隷となった人たちの胸には、王立アフリカ会社の頭文字であるRACの焼印が押された。
奴隷船の船内は、非衛生的で多くの人たちが詰め込まれた状態だった。多くが目的地に着くまでに亡くなり、遺体は海に投げ込まれたと言われている。
1721年に死去するまで、コルストンはブリストルやその周辺にある教会や、救貧院、クイーン・エリザベス・ホスピタル・スクールなどに寄付した。男子のための宗教系の学校も設立した。
彼の従事した慈善活動により、コルストンの功績は市によって讃えられ、通りや記念碑、建物の多くに、彼の名前がつけられた。
しかし前述したように、財源のほとんどは奴隷貿易によるものだった。
イギリスのプリティ・パテル内務大臣は、銅像を港に投げ込んだことを「恥ずべき行為」と批判しているが、労働党の議員の中には支持を示す議員もいる。
変えるのは暴力ではなく教育
銅像は引き下ろされる前、デモ参加者の目から隠すために、黒いゴミ袋が被せられていた。
この黒いゴミ袋を剥ぎ取ったジョン・マカリスターさんは、PA通信に次のように語っている。
「この銅像には『市が生んだもっとも高潔で賢い人物のひとりを記念して、ブリストル市民によって設置された』と書かれています」
「しかしこの男性は、奴隷商人だったのです。彼はブリストルにとっては寛大な人物だったかもしれませんが、その寛大さは奴隷によるものであり、恥ずべき行為です。これはブリストル市民にとって侮辱です」
警察は、ブリストルで行われたデモには約1万人が参加し、大半が平和的なものだったと発表している。
銅像が引きずり降ろされた後、主のいなくなった台座の上から一人の参加者が群衆に向かってこう叫んだ。
「2〜3年に一度、私たちは『Black Lives Matter(黒人の命を守れ!)』と叫んでいる。しかし今この地球で起きていることを、どうやって変えればいいのでしょう」
「私たちは自分たちとそして子ども達を教育しなければいけません。教育は力です。暴力は何も変えない。私たちは将来のために、小さな子どもたちに教えなければいけない」
ハフポストUK版の記事を翻訳しました。