あなたの部活、ブラックかも? 『#ゆとり部活動』のこと教育学者に聞いてみた。

内田良氏「好きだからいくらでもやればいい、という考えは危ない」
Rio Hamada/ Huffpost Japan

学校生活で多くの人が経験する部活動。毎晩遅くまで、土日や夏休みも練習や試合に明け暮れる生徒も珍しくない。好きなことに打ち込む反面、「休みがない」「つらくてもやめられない」といった"悲鳴"も聞こえてくる。

学校指導要領では、部活動は「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」と定めている。ところが実際は、当たり前のように入部や参加を求められ、長時間の練習や集団行動を強いられる『ブラック』な活動になっている。

長年学校が抱える安全上の問題について研究し、その実態を『ブラック部活動』にまとめた名古屋大院准教授の内田良氏は、「好きだからいくらでもやればいいという考えは危険。もっとゆるい活動に変えるべきだ」と警鐘を鳴らす。

自主的で楽しいはずの部活動が、なぜここまで生徒や教員の負担になっているのか。どうしてやめられないのか。内田氏に聞いた。

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■「好きだからいくらでもやっていい」という考えは危ない

ーー著書「ブラック部活動」の中で、部活は「自主的だから加熱する」と指摘されているのが印象的でした。その背景には何があるのでしょうか

部活動の話はこれまで、本来は自主的にやるはずが強制されるという点がずっと議論されてきた。他方で、自主的という言葉に任せていくらでもやれてしまうという視点が欠けていました。

それが今回強調したかったことです。

背景には、好きだからいくらでもやってもいいという考え方があります。とても危険なことです。そのため「自主的だから加熱する」というフレーズで問題提起しています。

ーー自主的だからルールがないまま歯止めがきかなくなってしまうのでしょうか

例えば学校の授業なら、「今日は国語の授業が楽しかったので、土日もしましょう」とはならない。ところが部活動は、きちんとしたカリキュラムが決まっていないからこそ、いくらでもできてしまうという点が大きな問題だと思います。

今の教員や会社員の働き方改革でも、やりがい搾取という議論がありますよね。好きだからよいという考えに疑問を投げかけるのが大切だと思います。

ーー何が問題なのでしょうか

まず、入部を強制している地域さえある。これは完全に自主性を無視していて大問題です。次に入部は自主的で強制はしていない学校。多くがこれに当たります。

でも統計上(※運動部活動に関する調査結果の概要に係る基礎集計データ)は、中学校で9割ぐらいの子供が部活に入っています。これは本当に自主的なのか。

その背景には、部活をやって当たり前という"常識"や、部活をしていた方が入試や自分の将来に良い影響があるのではないかという考えがあると思います。

ーー周りが部活動に入っているという理由で、直接的に強制されなくても同調圧力が働いている。しかも学校という狭い空間では、なおさらそういう力が働きやすいのでしょうか

やはり部活動が加熱してきた背景に、部活動が「評価」と関係してきたという点が大きいと思います。

評価とはつまり、入試に使われるということです。直接スポーツ推薦を狙っていない生徒でも、なんとなく部活は大事だという感覚があるわけです。

その雰囲気が学校文化の中で共有されると、同調圧力が強くなってきます。

9割の生徒が部活動に入っているというのは、同調圧力以外のなにものでもないと思います。

photo AC

■勝ちにこだわらず、もっとゆるく

ーー部活に入る生徒の中でも、熱心に部活に打ち込みたい子もいれば、軽く体を動かしたい子もいます。ひとりひとりモチベーションは違うのに、みんな同じようにやらないといけない。この"ズレ"にはどう対処したらいいのでしょうか

部活動に参加することで、全国大会につながる県大会や地区大会に出場できる。つまり競争原理の最底辺を支えてきたわけです。

でも、そこまで勝つことにこだわらず適度にやりたいという子供たちにとっては肌に合わない。

私がこれから部活動に期待したいことは、もっと"ゆるい"活動です。週に2、3日程度、趣味として楽しむ。大会も頻繁にやらず、年1回交流を目的とした試合をするか、あるいは全くやらなくてもいい。部活動をもう少し多様にしていくべきだと考えます。

ーーゆとり教育はあっても、ゆとり部活の議論は今までなかったですね

部活動の時間は、多い県で週約1100分もあるんです。中学校の授業が週1400、1500分ですから、それに匹敵するぐらいの時間を部活に割いている。どう考えてもやりすぎではないでしょうか。

ーー部活動の総量を減らして、それ以上にやりたい人は別の場所を探す形にしていくべきと著書で指摘されていますね

今までは、競争原理の下でスポーツや文化活動が構想されてきました。もっとゆるやかに、楽しんでやる機会を確保する必要があります。私は「居場所の原理」と呼んでいます。

公教育や公共のサービスは、ひとまず最低限の機会を保証することが大事です。五輪選手は民間のスポーツクラブで育っていますから、強化選手として一生懸命頑張りたい人は民間に行く仕組みづくりが必要だと思います。

ーー部活の規模を縮小して競技にかける時間や人口が減ると、競争力が落ちてスポーツそのものが弱くなってしまわないでしょうか...

そのような指摘は確かにあります。ただ、そもそも競争に向かう人とゆるくやる人と、棲み分けが必要です。決して競争を否定するわけではありません。

実際に今、オリンピック選手は一部の民間クラブで育っています。学校の部活に依存しなくても、一流選手を輩出するのは可能だと思います。

ーー私自身の経験を振り返っても、当時は特に疑問を持たずに部活動をしていました。そういう人も多いのではないでしょうか

決して、みんなで一緒にやること自体が問題ではありません。やりたい人はやればいいですが、そこから降りる自由があるかが大切ですよね。

部活動をやらない人、ゆるやかにやる人、民間クラブで強化選手を目指してかなり頑張る人、3つに分けて制度設計したほうがいいと思います。

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■部活動の改革「保護者や観客の問題でもある」

ーー例えば甲子園では、真夏の炎天下で倒れそうなりながら選手がプレーする姿が毎年新聞やテレビに流れます。加熱する部活動の一例に当たると思うのですが、どのようにご覧になっていますか。

甲子園はあくまでも部活動で、学校教育の一環です。しかし実態は完全に商業化しています。観客もそれを見て一喜一憂していますが、プロとは違うということを考えないといけないのではないでしょうか。

実は今の甲子園はかなり熱中症対策が進んでいて、ベンチにはエアコンがついています。自分たちの攻撃中で打席や塁にいない選手たちは、涼しいところにいます。

私がそのことをTwitterでつぶやいたら、ある方から「俺の感動を返せ」という反応が返ってきました。確かに、選手たちが暑い中くたくたになりながら頑張っている姿を見てじーんとくる、という気持ちも分かります。

でもよく考えたら、子どもを酷使して感動をもらっているのはすごく危ないメンタリティーです。私たち大人がそのことに目を向けて、考えを改めないといけないのではないでしょうか。

※写真はイメージです
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ーーベンチにクーラーが入っていたんですね。知りませんでした。

ベンチにいる選手よりも、アルプススタンドで応援している生徒の方が絶対に大変ですよ。暑くて屋根もない場所に長時間いますし、吹奏楽部の生徒はさらに演奏してますから。彼らこそ休まないといけないですよ。応援そのものが強制されるっていうのもおかしな話です。

ーー自分たちの大会を棄権して甲子園の応援に行くという話もありましたね。(※1)

そう、吹奏楽の。応援が強制されるのはわけが分からないですよ。希望する人がいけばいいわけで、応援に行かされる生徒がかわいそうです。

それも美談になってしまう。

※1 2016年の甲子園で、熊本・秀岳館の吹奏楽部が自分たちのコンテスト出場を諦めて野球部の応援を優先した

※写真はイメージです
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ーーメディアが感動話として取り上げてしまうのもよくないですね。

甲子園は感動ネタを強調しすぎる面がありますよね。大半の人が求めているからこそだと思います。

ーーそうすると観客の考え方も変えていかないと、加熱する部活動の解消にはなかなか結びつかないのでしょうか

部活動は多くの人が経験しているので、自分の過去と重ね合わせながら観戦を楽しんでいますよね。

保護者であれば、子供の応援に熱中したり、顧問の先生に対して練習内容に注文を付けたりする人もいます。部活動は、先生と生徒だけの問題ではありません。教育行政や国、そして応援する保護者の問題でもあります。部活動の成績次第で学校が有名になるという点では、地域も関わってくる。みんなで考えなければならないと思います。

■自分の時間を大切に

ーー内田先生ご自身は部活動をされていたのですか

私は、みんなでずっと一緒にいるのが本当に苦手で、できるだけ自分の時間を大事にしたいタイプです。中学校の時は、みんなで一緒に部活動をやるというのは苦痛で仕方がなかった。私の中学では、1番ゆとりを持って活動できるのが卓球部だったので、卓球部を選びました。

ーーそれでも部活動には入っていたんですね

やらないという選択肢はなかったですね。それこそ文化部は格好悪いという感覚があって、運動部で1番練習が少ない卓球部に入りました。私はスポーツは得意ではないですが、やるのはすごく好きなんです。だからゆとり部活動みたいなものがあったらいいなと強く思っていました。

高校の時は、部活動に入らなくても許されました。代わりに、たまの放課後に友人と学校の周りを走ったりしていました。

本当に自分がやりたいことだったので、すごく楽しかった。体調が悪かったり、忙しかったりすればやらない。まさに自主的な部活動ですよね。

自分の時間を大事にするという考え方が、これからの部活動や大人の働き方でも必要で、日本全体でつくっていくべきです。

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■勝利至上主義や「評価の世界」から降りよう

−−内田先生が言う自主的な部活動は、どうすれば実現できるのでしょうか。

部活動を評価の対象から外せばできると思いますよ。

私が解決策として挙げている「部活動の総量規制」のポイントは、お金が1円もかからないことです。

現在の部活動の量を半分に減らすのに予算はいりませんし、むしろ今までかかっていたコストが浮くので、実行するのは難しくはないです。

後はみんなで勝利至上主義から降りるだけ。

生徒や先生にとって、入試や自分の評価に響くのではと思ったら頑張らなければいけない。でも、みんなで「評価の世界」から降りることができれば、部活動改革は意外と簡単に実現できるのではないでしょうか。

ーー部活動や会社で「ひとりの時間がない」「みんなに合わせないといけない」といった悩みを抱えている人はどう解決したらいいのでしょうか。

今の学校には「部活動をやるべきだ」という価値観の先生がたくさんいて、もし「部活動をやりたくない」と言ったら、白い目で見られてしまいます。

その中で先生たちは、自分と考えが近そうな人に話をして、少しずつ理解者を増やしています(※2)。

会社も同じで、「残業はおかしい」「土日は休むべき」と共感する人が多くなれば、みんなで会議で議論することに繋がる。

Twitterでつぶやいて仲間を増やすのもいいと思います。

少しずつみんなが考えをシェアしていけば、全体が変わっていきます。みんなで希望を捨てずに頑張っていけると良いのかなと思います。

※2 20〜30代の若手の教員を中心に、2015年12月に「部活対策プロジェクト」が発足。生徒や教員が抱える部活動の問題点などをインターネット上で共有し、署名活動などを行なっている。2017年4月に発足した「部活改革ネットワーク」は、全国の教員に向けてTwitter上で情報発信している)

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ハフポスト日本版は、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。

学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。

企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。

読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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