三浦建太郎さん死去。「すでにそこにはベルセルク」森川ジョージさんが圧倒されたスケッチとは?

『はじめの一歩』森川ジョージさんは「寒気がするほどの才能の塊でした」と三浦さんとの出会いを振り返りました。
『ベルセルク』1巻
『ベルセルク』1巻
白泉社/Amazon

漫画家の三浦建太郎さんが5月6日、急性大動脈解離のため死去した。54歳だった。代表作『ベルセルク』を出版する白泉社が20日、公式サイトで発表した

三浦さんは1985年に週刊少年マガジン掲載の短編「再び…」でデビューした。剣と魔法の世界を舞台に主人公・ガッツの壮絶な人生を描くダークファンタジー『ベルセルク』で世界的に知られている。

『ベルセルク』は白泉社の『アニマルハウス』1989年10月号から連載開始。『ヤングアニマル』に掲載誌を移して、通算30年以上連載が続いていた。単行本は40巻まで発売済みで、シリーズ累計部数4000万部。2度のテレビアニメ化のほか、劇場映画にもなっている。

『ベルセルク』の公式Twitterは、単行本に未掲載分など作品の今後に関しては、ヤングアニマル公式サイトなどで改めて告知すると発表した。

【三浦建太郎先生 ご逝去の報】
『ベルセルク』の作者である三浦建太郎先生が、2021年5月6日、急性大動脈解離のため、ご逝去されました。三浦先生の画業に最大の敬意と感謝を表しますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
2021年5月20日 株式会社白泉社 ヤングアニマル編集部 pic.twitter.com/baBBo4J2kL

— ベルセルク公式ツイッター (@berserk_project) May 20, 2021

■「寒気がするほどの才能の塊でした」森川ジョージさんが思い出を綴る

ボクシング漫画『はじめの一歩』で知られる漫画家の森川ジョージさんは6日、連続ツイートで三浦さんとの思い出を振り返った。

それによると森川さんは、三浦さんにアシスタントをしてもらったことがあった。19歳の森川さんが、1986年に開始した初の週刊連載『一矢NOW』を執筆中に、スタッフが一人もいなくて困っていたときに手伝いに来てくれたという。当時、三浦さんは18歳の大学生。講義明けにスケッチブックを片手にやって来たという。

森川さんは、三浦さんが『一矢NOW』で描いた私立伊集院学園という学校のシーンを掲載した上で「寒気がするほどの才能の塊でした」と振り返った。

森川さんは「彼がどれほど描けるのか知らない」ので、自分の描いたものを見せて「これに似せて下さい」と指示したという。しかし「出来上がりに度肝を抜かれました。あまりにも年齢にそぐなわないのです」と、当時の驚きを語った。

何点が描いてもらった後に、2人は手を止めて漫画のことを語り合ったという。森川さんは、三浦さんが持っていたスケッチブックが気になっていた。そこには『ベルセルク』の主人公ガッツの原型となる大きな剣を持った剣士や、パックの原型となる妖精が描かれていた。「太い鉛筆で描かれたそれは圧倒的でした」と森川さんが振り返る。

「なんだよこれ?」と尋ねた森川さんに三浦さんは、「頭の中にあるものです。力をつけてから描きたいと思っています」と答えたという。「すでにそこにはベルセルクはありました」と振り返っている。 

1989年になって森川さんは『はじめの一歩』、三浦さんは『ベルセルク』の連載を開始し、いずれも2021年まで連載が続く長寿作品となった。森川さんは『ベルセルク』の発表当時、苦労話も聞いていたが、確信していることがあったという。

「絶対にウケる漫画が始まったと。あの建太郎君が力をつけたと自身のことを判断し、満を持して始めた連載なのです。きっと世間は僕と同じように度肝を抜かれるだろうと確信していました。そしてそうなりました。超絶の画力にして渾身の画面。毎回のエネルギーには尊敬しかありません」

その上で「彼とはその時だけですが僕のことを気にしてくれていたと聞いています。僕も彼と出会えたことが自慢であり誇りです」などと結んでいる。

三浦健太郎君のご冥福を祈ります。
あまり知られていませんが彼は少年マガジンでデビューなのです。
写真は僕が19の頃の連載で18才の彼が描いてくれた学校です。
寒気がするほどの才能の塊でした。
お互いこの歳まで作家でいられてよかった、と思っていました。
急な知らせでショックです。 pic.twitter.com/NrF2WIozQw

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

健ではなく建ですね。
申し訳ない。

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

写真は三浦建太郎君が寄稿してくれた鷹村です。
今かなり感傷的になっています。
思い出話をさせて下さい。
僕が初めての週刊連載でスタッフが一人もいなくて困っていたら手伝いにきてくれました。
彼が18で僕が19です。
某大学の芸術学部の学生で講義明けにスケッチブックを片手に来てくれました。 pic.twitter.com/hT1JCWBTKu

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

彼がどれほど描けるのか知らないので自分の描いたものを見せて、これに似せて下さい、と。
出来上がりに度肝を抜かれました。
あまりにも年齢にそぐなわないのです。
何点が描いてもらった後、すでに僕は彼に興味津々でした。
まだ若かった僕らは手を止め漫画のことを語り合いました。

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

気になっていたスケッチブックを見せてほしいとお願い開いてみたら、さらに度肝を抜かれ鳥肌が立ちました。
そこには妖精が、烙印が、大きな剣を持った剣士が描かれていました。後のパック、ガッツです。
太い鉛筆で描かれたそれは圧倒的でした。
「なんだよこれ?」と聞いたら

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

「頭の中にあるものです。力をつけてから描きたいと思っています」と。
いつから温めていたのだろうか。
すでにそこにはベルセルクはありました。
月日は経って僕ははじめの一歩は連載開始します。
ほぼ並行してベルセルクが発表されます。
苦労話も少し耳にしていました。
しかし確信していました。

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

絶対にウケる漫画が始まったと。
あの建太郎君が力をつけたと自身のことを判断し、満を持して始めた連載なのです。
きっと世間は僕と同じように度肝を抜かれるだろうと確信していました。
そしてそうなりました。
超絶の画力にして渾身の画面。
毎回のエネルギーには尊敬しかありません。

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

思い出話は終わります。
彼とはその時だけですが僕のことを気にしてくれていたと聞いています。
僕も彼と出会えたことが自慢であり誇りです。

勝手に喋ってしまって、ごめんね建太郎君。
いつか最終回読みに行くよ。

— 森川ジョージ (@WANPOWANWAN) May 20, 2021

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