国土のほとんどが平野のバングラデシュ。ガンジス川の河口に位置しているため、平坦で肥沃な沖積層のデルタ地帯が広がっています。
皆さんも、中学・高校の地理などで「海抜0m の国」というキーワードや、近年の地球温暖化からくる海面上昇で、国土のいくらかが海面下に沈んでしまうと危惧される国として習ったことを覚えてはいませんか? 私が人生で初めて「バングラデシュ」というワードを聞いたり書いたりして意識したのは、学生時代試験問題にそう回答した時だったように思います。あ、あと「最貧国」としても習った記憶が......。
でも、こうしてここに住むようになり、現地の少数民族の友人をもったことで、過去の薄い知識を悔やみ、また同時に伝えたいのは、ほとんどが平野のバングラデシュにも「チッタゴン丘陵地帯」という確かな山岳地域があるということ。そして「パハール=山」が少数民族の故郷としてあることです! 彼らには「パハリ=やまびと」という通称もあります。
今でも時折、雑誌やネット記事で「山がない国」とバングラデシュが紹介されているのを見る度「ちょっと待てー!」と物申したい気持ちに駆られます。日本とは「山」の概念が異なるのかもしれませんが......。だから今回は、バングラデシュの山岳風景、そして山の幸や現地で作られているクラフトなどの情報も含めてご紹介したいと思います。
でも、現地の少数民族の友人には「日本には山なんかなくてビルばかりだと思っていた」なんてことも言われたなぁ。
右上の地図、I=インド、M=ミャンマー のことです
チッタゴン丘陵地帯・バンドルボン。この言葉自体には、猿の「橋」「ダム」「せき止め」といた意味合いがあるらしく、その昔、猿が多く野生していて川をせき止めるほどに水浴びする姿がダムや橋のように見えたことから、この名がついたそうです。日本の山岳風景が絵のように美しいとしたら、バンドルボンの山々はまさに手つかずの野性的なカッコよさがあると思います。
チッタゴン丘陵地帯3県のうち唯一、かつては旅行ガイドの定番『地球の歩き方』にも載っていて(現在の版では載っていないようです)、ポルジョトンと呼ばれる観光スポットが現在24ヶ所存在しています......が、この地域は外国人入域許可証を取得しなくてはいけないというやや面倒な問題で敬遠されてしまうのが残念なところ。よほど強い目的がなければ、誰も訪れてみることもないでしょう...。
でも、この景色を見ても「山がない」なんて言えるでしょうか?
私の過去記事に度々登場している「ジュマ」。これはひとつの民族を指す名ではなく、ここチッタゴン丘陵地帯に先住している11の少数民族の総称です。Jumma(ジュマ)と書いて、現地では「ジュンモ」と発音します。Jumma は焼畑をする人の意で、Jum (ジュム) が「焼畑をする」という動詞です。
焼畑農業に関しては反対意見もあるかと思いますが、ここの先住民族 ジュマの人々にとって、ジュム(焼畑)は森林と農地の輪作であって、自然と共存することなのです。
チッタゴン丘陵地帯の山道を進む時、見かける度にいつもキュンとさせられるのが、山小屋「ジュム ゴール」♡
この日はトリプラ民族の村へ向かっている途中にジュム ゴールを見つけ、ちょうど農作業の休憩中だったトリプラ民族の人たちと話すことができました。私はちょうど、大好物のバルミーズ バダム(ミャンマーの旧名はバルマ。バルマから来る豆なのでバルミーズ バダム。ここバンドルボンと有名なコックスバザールが唯一ミャンマーと国境を接している)をもっていたので、それをみんなに差し出すと、替わりに採りたての「ジュンモ ショシャ」を切ってくれました。
皆さん、これ、何の野菜に見えますか? 実はこれ、「キュウリ」なのです。
ジュンモ ショシャとは焼畑キュウリのこと。原型を写真に収め忘れたのですが、外皮はオレンジ色で、味はメロンのよう。信用してもらえなかったら......ぜひ一度食べに訪れてみてください!
ジュム ゴールで休憩していると、この日もいつものように、突然の雨が降り出しました。
年間の収穫物や現地の人の自然体な姿は、出会ってすぐ収められるものではありません。去年クラウドファンディングのリターンとして私が制作した写真集「A Window of Jumma」から、一風景を共有しますね。
丘陵地帯の焼畑からは、お米、とうもろこし、バナナ、オクラ、きゅうり、なす、青唐辛子、他多様な野菜が収穫できます。
トリプラ パラ(トリプラ民族の村)に行きたかったのは、以前から彼らの伝統のオーナメント/ビーズ ネックレスを作るところを見てみたかったからです。ジュマのうち、トリプラ民族、クミ民族、ムロ民族がこのビーズのネックレスをつけています。
写真右のおばあちゃんは、私が頼んだからこんなにネックレスを飾っているというわけではなく、彼女にとってはこれが自然な格好。トリプラ民族の伝統スタイルなのです! ちなみに、おばあちゃんは怒っているように見えるかもしれませんが、怒っていません(笑)。
残念ながら、ビーズ ネックレスは制作中ではなく、最近出来上がったばかりということで、娘さんが作ったふたつを見せてもらい、私はその場でひとつ(1000タカ=約1400円)、空色にバングラ国旗がたなびくようなデザインのものを買わせてもらいました。制作ペースは人によりけりですが、これは3週間かかったそうです。「この人が作ったんだな」と想いを馳せられるようなものを買って、身につけて大事にすることが好きなので、またひとつ嬉しい買い物でした。日本人の感覚でも、ふつうに可愛いと思いませんか?
ちなみに、ここでは布製品やオーナメント類も、本来は娘や家族、また自分自身のために作るというのが主流で、結婚式やお祭のために用意するものだそうです。さらに余裕があると、こうして売るためにも作ります。
ちょっと休憩に入ったチャ ドカン(お茶屋さん)は「無人か?」と思いきや、竹の家の小さな扉から女の子がひょっこり顔を出しました。
女の子の顔は汚れているわけではなく、むしろその逆で「チョンドン」と呼ばれる天然パックをつけています。チョンドンの木から取れ、老若男女問わず、ジュマの人々(特にマルマ民族やトリプラ民族)がふだんからこれを愛用しています。パックと聞くと、日本では外にして行くものではありませんが、ここでは出かける時にもしたりするので、お化粧代わりともいえます。ミャンマーでは、このチョンドンを「タナカ」と呼ぶそうですね。
こちらも道沿いに、週に一度開かれる、ジュマ女性によるクラフト市場がありました。
主な商品はブランケット(毛布)で、この写真の10倍ともいえるほどズラリ横並びにブランケット屋が並び、色の組み合わせやサイズも多様でした。
暑い時期の長いバングラデシュも11月から少しずつ寒くなり、12・1月は吐く息が白くなることもあります。丘陵地帯は尚更です。
そのため現地の人々にとって必要アイテムではありますが、そう頻繁に買い替える物でもなく、ましてや山まで遠くから買いに来る人もいないので、近隣の人が時々買うだけのようです。これなら女性たちも2日くらいと早く編めるらしく、ここよりもっと寒い日本の人々に興味をもってもらえないかな......と今、思案しています。記事を読んでくださった方のご意見も聞きたい......。
この地域で盛んな竹細工、ビニールの紐から編めてしまうオシャレバッグ、ビーズのアクセサリー、手編みのブランケット、エスニック柄の様々な布......。
人の往来が少ない山岳地帯ですが、こういう物を通してチッタゴン丘陵を知ってもらえたり、工芸品を身につけてもらえたりすることを現地で計画しながら、今後も携わっていけたらと思います。
※公開した内容に一部誤りがございましたので、一部修正・削除しております(17年11月7日)
Ambassadorのプロフィール
Natsumizo
1985年、宮城県女川町生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリー制作のためバングラデシュを訪れる。卒業後、Documentary Japanに務める。2014年、学生時代作品への心残りや日本よりも居心地の良さを感じていたバングラデシュに暮らし始めることにし、作品テーマや自分の役目(仕事)を再び探すことに...その中で出会ったこの国の少数民族に魅力とシンパシーを感じて、彼らと共に生活していきたいと思う。ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』(国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞および青年海外協力隊50周年賞受賞 http://youtu.be/BlxiN2zYmjE)、カメラ教室、クラウドファンディングや写真集『A window of Jumma』の制作などを行ってきたが、この地で映像作品制作を続け、この先は映画上映会(配給)や映画祭などの企画にも挑戦していきたいという夢を抱いている。