人生で一度は訪れておきたい場所の一つだった強制収容所アウシュヴィッツをまだ雪の残る2月下旬に訪問してきた。乗り合いバスでアウシュヴィッツの入り口に到着すると大型バスが数多く停車しており、入り口付近は来訪者で大混雑。行列に交じって、チケット窓口まで15分は待たされた。チケット購入時に唯一こちらでツアーガイドをしているという日本人にお願いできるか聞いたが、残念ながらこの日は不在だったため、英語のツアーガイドをお願いすることにした。
チケットカウンター付近にモニターがあり、英語、フランス語、スペイン語等各言語のツアーが何分後に開始見込みであるか表示されていた。チケットカウンターを通過すると、まずは映画を観るようにとシアタールームに案内され、ドキュメンタリーをしばらく観ることになる。それから表に出て、待つことさらに数十分してツアーガイドが現れ、ヘッドフォンセットを渡され、20人ぐらいの参加者全員にガイドの発言が離れていても聞こえるという仕組みだった。
ここまでは人気な観光地といった雰囲気で、このままツアーが始まっても客観的に見学できるだろうとたかをくくっていた。しかし実際にはツアーの半分が終わった頃には、重たすぎる凄惨な出来事をだんだんと知るにつれて、心の中にあるコップの水が満たされていくようにあふれんばかりに辛い気持ちで満たされてしまい、ギブアップしてしまい、後半のツアーで行くことになっていた二つ目の強制収容所、ビルケナウまでは行くことができなかった。
アウシュヴィッツ第一強制収容所ツアー最後で見るのはガス室。ツアーガイドの説明を聞いて、皆中に入っていくのだが、これが入れない。足が動かなかった。それでも「知らなければいけないことなんだ」と言い聞かせて、ツアー参加グループの一番最後に手を合わせてから入って行った。
後半のツアーには参加しないとガイドさんに告げると、ポーランド人ガイドさんは、丁寧に参加してくれたことをありがとうと感謝してくれた。その目から、明らかに心がこもっていることが明らかだった。
「こちらこそ、こんなにも大変な場所でのガイドをありがとう。こちらなんか、数時間いるだけで心が折れそうになるのに、毎日ガイドすることはさぞ大変なことでしょう」
と言うと
「ええ、でも何とかやっています」
どれくらい続けているのか聞くと、5年も続けているとのこと。
「誰かがやらなければいけない大切な仕事だから」
こんなにも長くこの辛い仕事を継続している彼女を心から尊敬したし労いの言葉をかけたかった。
「本当に貴重な仕事をしてくれていることに感謝します」
2時間ぐらいのツアーで、彼女がガイド中に何度か言葉に詰まるような場面があった。それは子どもに関する場面で、ユダヤ人の子どもはここに連れてこられると、そのままガス室行きだったことや、子どもたちの遺品について話すときだった。彼女にも同じぐらいの子どもがいるのだろうか。
何も分からずにアウシュヴィッツに到着して、シャワーの後にご飯が出ると嘘をつかれて連れて行かれる子どもたち。
「この子たちの表情を見てください」
ベルリン行きのバスに乗るために、何キロか歩きながらアウシュヴィッツで体験したことを反芻した。ここだけでも110万人もの人々が殺害されたという信じがたい事実を前に、呆然と歩きながら思いを巡らした。一体何だったのか。何が目的だったというのか。
自分たちが絶対的に正しいという信条を持つと、他者を殺害するほど人間は暴力的になってしまうのか。このように絶対的な信条、イデオロギーを持つことは避けなければならないと思う。人種、国籍、宗教が違えども、私達は同じ人類という幹を共有している。このような悲劇が二度と起こらぬよう、アウシュヴィッツで私達一人ひとりが学べることは大きいように思う。