その女性はついに成し遂げた。ミャンマーのアウンサンスーチー氏は、何百万人の人々が初めて選挙権を行使する歴史的選挙で対立勢力を破った。
「我々は勝利した」と書かれた赤色の党の鉢巻とシャツで身を包んだ多数の人々は、11月8日から最大都市ヤンゴンにあるスーチー氏が率いる野党・国民民主連盟(NLD)の本部の外で陣営を設営し、巨大なLEDスクリーンに表示される結果を見守った。大通りを占拠し交通を遮断した群衆は、この党が議席を積み上げるごとに歓声を挙げた。対立する政党は、それまで議会で圧倒的多数を占めていた。
しかし8日の総選挙は、1世紀近くの間、とても厳しい軍事独裁政権が支配をしていたミャンマーにとって、感情的で重要な瞬間であった。その一方、民主化への非常に険しい道のりには小さな一歩にすぎない。熱狂が冷めた後、スーチー氏は解決すべき困難な問題を抱える。
その道のりの最初の課題は、軍部が結果を尊重して権力を相手に譲るかどうかである。1990年の総選挙を今でも覚えている多くのスーチー氏支援者にとっては、明らかな不安が残る。選挙はNLDが勝利したのだが、その後、屈辱を感じた軍部が結果を無効とした、ミャンマー最後の自由選挙であった。20年以上もの間、権力に執着した軍事政権は報道を封じ、批判者を投獄して反対意見をする者に暴力による圧力をかけた。スーチー氏は、15年近くも自宅軟禁されていた。2010年の不正な選挙では、旧軍幹部が率いた一連の経済社会改革を無理やり押し通した「偽りの文民政権」に道を譲った。
スーチー氏は軍を刺激することをさけるため、祝賀は「厳かに」行うことを支援者らに求めた。
スーチー氏の影響力が上昇することが脅威であるとみなされると、選挙後の情勢を不安定化するために軍が反イスラム感情を悪用し続けるであろう。
しかし、軍はこれまで用意周到だった。20年近くを費やし、議会の全議席の25%を確保する民主的でない憲法を慎重に作り、政治家を抑えこんできた。軍は文民統制の外に留まり、警察機構の管理や民族地域の監視を行う権力のある防衛、国境、国内事態に関する省庁の大臣を含む、主要な政府機関のトップらを都合よく選出する可能性がある。
大統領候補者は、軍隊経験の必要があり、外国人を家族に持つことができない。この2つの条件は、イギリス国籍の2人の息子がいるスーチー氏をあからさまに排除するために法案化された。議会の75%以上が憲法改正に賛成する必要があり、今回、勢いに沸く政治家にも有効な拒否権を与えなければならない。この状況下では軍がクーデーターを起こすことは少なくとも近い将来にはありえないが、危険な政治力を保つであろう。
選挙の後、政治は何カ月も不安定になり、次の政府体制をめぐる駆け引きが行われる。ほぼ確実なようだが、スーチー氏が議会の絶対多数を確保すれば、同氏は軍部と和解し、軍事政権の流れをくむ与党連邦団結発展党(USDP)と少数民族を基盤にする政党が、NLDと融合する「国民和解」の政府を作ることが期待される。
次期大統領の独自性に関する問題は、2016年初頭までミャンマーの政治主導者たちを悩ませるだろう。スーチー氏は、いかなる場合にも「大統領には権限がない」ことを大胆に主張した。しかし、注意すべき重要な日である2016年3月31日には、軍を背景に持つUSDPは支配権を譲り渡さなければならない。3月までは、ミャンマーの選挙が成功したと言うのは早すぎる。
ともかく、議会がどうなろうともイスラム教徒がいないことはミャンマー史上初めてのことになる。
この他の深刻な懸念は、宗教的な不安定の可能性である。選挙運動は、現地では「Ma Ba Tha」(マバタ)として知られる超国家主義仏教運動の活動が影を落とした。政府と共に活動し、女性や少数の宗教の権利を制限する一連の差別的な「民族保護法」を押し通した。マバタは公然と与党USDPを支持し、繰り返し地域社会に緊張を引き起こし、スーチー氏の政党を「親イスラム」と非難した。最近のアルジャジーラの調査は、政府とマバタに金銭上の繋がりがあることを明らかにした。
スーチー氏の影響力が上昇することが脅威であるとみなされると、選挙後の情勢を不安定化するために軍が反イスラム感情を悪用し続けるであろう。このような問題にスーチー氏がどのように対処し、公然とマバタに対峙するかどうかは不明だ。
ともかく、議会がどうなろうともイスラム教徒がいないことはミャンマー史上初めてのことになる。NLDは仏教国家主義者からの圧力を警戒し、候補者を任命することを見送った。一方、少数イスラム政党は完全に敗北した。スーチー氏の「国民和解」の政党がイスラム教徒を排除するかどうか、いずれ明らかになる(ミャンマーの法律では閣僚は議員から選ばれる必要はない)。
8日以降、希望が国中に広がる一方、社会的に取り残され、以前にも増して将来の見通しが悪くなったあるグループがある。それはロヒンギャだ。約100万人の国籍のないイスラム少数民族は、政府から不法なバングラデシュ移民として退けられた。今年初頭には選挙権が剥奪され、ミャンマー西部ラカイン州で政府による過酷な迫害に直面した。宗教間の争いで地元仏教徒と衝突した2012年以降、何万もの人々が船でその地を離れた。14万人以上が強制収容所のような環境に埋もれ、食事や医療、最低限の公衆衛生を剥奪された。スーチー氏が親民主化で何度となく賛美されているにもかかわらず、同氏はロヒンギャの弁護を拒否し、最近では外国メディアに対してその悪い状況について「誇張」しないよう警告した。
スーチー氏が親民主化で何度となく賛美されているにもかかわらず、同氏はロヒンギャの弁護を拒否し、最近では外国メディアに対してその悪い状況について「誇張」しないよう警告した。
ロヒンギャの地域社会は、アラカン国民党(ANP)の台頭でさらに脅威にさらされる。多くの住人の権利が奪われたイスラム多数派の居住区など、混乱が襲うラカイン州の議席の過半数以上を獲得したからだ。これは特に懸念事項になっている。なぜなら、ANPは国家主義的な反ロヒンギャ主義を掲げ、指導者の幹部らが、少数民族は州から追放すべきだと公然と訴えているからだ。ラカインでの地域的な和解の追求は、NLD主導の中央政府に任される。しかしその動きを求めても、国境警備を独占する軍部によって簡単に阻止される可能性がある。
軍の説明責任の欠如は、ミャンマーの民族平和活動の障害にもなる。武力衝突は国の様々な国境地帯で勃発し続けている。軍は、10月に全国的な和平協定に調印することを拒否した武装民族グループに対する武力攻撃を、激化させている。
スーチー氏は真の連邦主義をミャンマーにもたらすことを約束し、それは内戦を終わらせるための重要な一歩ではあるのだが、軍の協力なしに達成することはできない。そして、連立政権を樹立することでスムーズなミャンマーの転換を手助けすることになるかも知れないが、統治もより困難になるであろう。スーチー氏は抜かりない外交手腕を発揮し、国がこの上なく必要としている政治と社会の改革への道を切り開く必要がある。
8日の投票率は前代未聞の80%に達した。つまり、ミャンマーの国民は全会一致で変化を求めているのだ。前進するためにも、ミャンマーは、人権侵害をすることなく、国の複雑な政治実態を導くことができる指導者を必要としている。人々は、アウンサンスーチー氏に信頼を置いたのだ。時が経てば、彼女がその役割を果たしたかどうか分かるだろう。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
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