「死」と向き合うことで、生きることを考える。ロンブー田村淳さんが慶應大学院で実現したいこと

2019年4月から慶應大学大学院に通い、「死者との対話」について研究を続ける田村淳さん。タブー視されている「死」というテーマをもっと「気軽」に話せるような文化を作りたいというが、その真意とは?

ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが8月3日、大切な人に「遺書」をのこすための動画サービス「ITAKOTO(イタコト)」の開始を発表した。

大人気番組「ロンドンハーツ」のMCをはじめ、数々の人気番組やラジオなどに出演し、タレントとして多忙な生活を送る田村さんだが、2019年4月から慶應大学大学院に通い、この遺書サービスを形にするための研究開発を進めてきた。

この1年半、仕事や育児に加えて学業に打ち込むために、スケジュールを調整し、周囲に頭を下げた。

すべて英語でおこなわれる修士論文の中間発表にむけて、所属する吉本興業には「英語が話せるマネージャーを担当にしてほしい」と頼み込むなど、必死で英会話を勉強してきたという。

なぜ「遺書」なのか。

46歳。学び続ける貪欲さはどこから来るのか。

本人に話を聞きに行った。

取材の日、晴れやかな表情で登場した田村淳さん。ずっと気がかりだった英語による修士課程の中間発表が終わったのが、まさにその日の午前だった。

田村さんが研究しているのは「死者との対話」という深遠なテーマだ。自分が死んだ時、パートナーや子ども、親友などの大切な人に宛てた「遺書」を動画で届けられるように記録しておくサービス「ITAKOTO」を形にし、多くの人に届けるために研究開発を進めている。

インタビューに応じた田村淳さん
インタビューに応じた田村淳さん
Kazuhiro Matsubara(ハフポスト日本版)

 「死」というテーマに興味を持ったのは、番組の企画で「イタコ」を見たことがきっかけでした。死者を自分の体に降臨させて、生きている人に代理でメッセージを伝える、北東北の霊能者「イタコ」。僕は最初、そういう非科学的なものに少し懐疑的だったのですが、目の前で、“死んだお姉さんの言葉”を聞いた男性が泣き崩れて「ああ、これで楽になった、明日から前向きに生きていける」と言っていたのが、すごく印象的だったんです。

 死者の言葉は、生者の生き方を前向きに変えられる可能性があるんだと気づいて、これをデジタルの技術を使ってサービス化できないかと考え始めました。

その時ふと、僕の頭の中でリンクしたのが、うちの母ちゃんの「もしもの時、私には延命治療をしないで」という言葉でした。母ちゃんはなぜか僕たち家族に繰り返し、こう伝えていたんです。最初はピンときていなかったけど、段々と尊重すべき意思として受け止めるようになって…。死ぬ間際というわけではなく、健康な時から言われてきているからこそ、いざという時、僕たち家族はちゃんと母ちゃんの思いを汲みながら、判断ができる気がするんですよね。

そう考えると、遺書って元気なうちに残した方が、本人にとっても遺された人にとってもいいんじゃないかと思いました。

インタビューに応じた田村淳さん
インタビューに応じた田村淳さん
Kazuhiro Matsubara(ハフポスト日本版)

 母の「フラフープ動画」と、生きていく

「手紙」でなく「動画」で残す形式にしたのは、リアルな声やイントネーション、姿かたちを含めて記録したいから。手紙には行間を読みながら気持ちを増幅させていくような効果があると思うけど、僕は動画にこだわりたい。

僕、じいちゃんやばあちゃんがどんな声だったのか、全然記憶にないんですよ。全部忘れてしまっていて。それってすごく寂しいし、思いが伝わりにくくなる部分もあるじゃないですか。だからというのもあって、うちの母ちゃんには、動画でとにかく残してくれって頼んでいて…。どうにも気恥ずかしいみたいなんですが、何度も頼んでいたら「久々にやってみたら100回できたよ」といって、フラフープをしている映像を送ってくれて。これがまぁ遺書ムービー代わりになっています。

いわゆる遺言っぽい定型句も湿っぽさもないけれど、母ちゃんの声や動き、それを撮っている父ちゃんの気遣いの言葉や、背景にある実家の畳の雰囲気…。言葉や文字だけでは伝わらない臨場感があって、僕はこれが動画の力だなって思うんです。

遺書動画サービス「ITAKOTO」
遺書動画サービス「ITAKOTO」
株式会社itakoto

遺書を書くことで、自分を知る。

サービスを構想して3年。「死者との対話」というテーマで研究開発を進める中で「遺書」についてもわかってきたことがある。

研究していくうちに、これは「死」そのものに関するサービスであると同時に、「生きている時間」のためのサービスだと思うようになりました。

日本では「死」はタブー視されていて、僕が「死」について研究していると言うと最初はみんな眉間に皺を寄せたりするんです。「遺書」というものへのネガティブなイメージも強い。

でも、大学院で実施したワークショップや、身の回りの人やTwitter上で検証してみた結果、健康で思考がはっきりしている状態で遺書を書くと、書き終わった後に遺書への印象がネガティブからポジティブに変わる人が多いことがわかりました。

田村さんが実施した調査では「『遺書』への印象が「ネガティブ」と答えた人が51%」だったという。
田村さんが実施した調査では「『遺書』への印象が「ネガティブ」と答えた人が51%」だったという。
Kazuhiro Matsubara(ハフポスト日本版)

遺書は他人のために書くものだけど、結局は自分を知る機会になるんですよね。

自分は何が大切で、どうやって生きていけばいいのかという道が見えてくる。死を語ることは生を語ること。だからみんなもっと若いうちから、何度でも遺書を残した方がいいと思う。僕はそういう文化を作れればいいな、と思うんです。

もちろん実験に協力していただいた中には、「書くんじゃなかった」とか「憎しみがもっと深くなった」という人もいます。だから全員が全員、遺書を書くべきだ、なんて思いません。自分を“棚卸し”することでポジティブになれるなら......そう感じる人に使ってもらえたら嬉しい。

今後、ストレス値や脳波などを見ながら、遺書を記録することで人がどう変わるのか、さらに研究を進めていくつもりです。同時に色んな人にITAKOTOを使ってもらって、率直なフィードバックをいただきたいですね。

大学院での講義風景
大学院での講義風景
本人提供

興味を口に出すことで、情報が集まってくる

タレントとしての仕事と研究を両立させ、「死」というテーマに向き合う。忙しい日々のなかで、うまく学ぶコツはどこにあるのか。

大学院では、所属する学科のほとんどの教授が、僕が遺書の研究をしていることを知っています。入試の時からずっと言い続けてきたので、遺書に関する研究や新しい論文、サービスが発表されたりすると色んな先生が「こんなのがあるよ」と教えてくれるんです。

それから先輩や卒業生が「自分はこういう研究をしているんだけど、淳さんのサービスと合わせてやるのはどうか?」という提案をしてくれることもあって、とても刺激になります。

ある人は焚き火の研究をしていて、「焚き火を前にすると人は本音が出る」というような論文を書いているそうで、「遺書を焚き火の前で書かせるのがいいかも」と提案してくれました。他にも、「習字の墨をすっている時に人間はストレス値が減少する」という研究データを持っている先輩に「何か役に立てるかも」と声をかけていただいたこともありました。本当に色んな研究をしている人がいて、情報をどんどんシェアしてくれる。ありがたいことです。

自分の興味や意見を発信するのは大事だなと思います。口に出すことで情報は集まってくるし、交流できるんですよね。「学び」って大げさだけど「刺激」でいいんだと思います。

大学院での講義風景
大学院での講義風景
本人提供

「ムラ」にとどまらず、常に取材者の目線を持つ

様々な情報や出会いを、自らの「刺激」に変えていく秘訣は何だろうか。田村さんから何度も飛び出したのは「取材」というキーワードだ。

刺激を刺激として受け止められるのは、日々「取材」をしている感覚で人と接しているからかもしれません。

 例えば僕は、2019年の1月からアニメを見始めたんです。きっかけはお笑いコンビ「天津」の向というアニメ好きの芸人。自分がまったく知らなかった世界に熱中している向に興味を持ち、取材しまくりました。それで、僕も見始めたら案の定面白くて、今もアニメを見続けています。

ただ、そういう趣味で集まる人たちの飲み会に誘われても全然行かないですね(笑)。そこで話される内輪の話には、僕は興味がない。

お笑い業界であれ、テレビ業界であれ、何かの趣味であれ、とにかく「ムラ化」した場所にとどまるのは嫌なんです。だったら次の違う刺激を求めて、どんどん取材していった方が楽しい。

「取材」って言った瞬間、お互い適度な距離感と緊張感がでていいんですよね。この感覚って結構大事な気がします。

学び続ける姿勢。キーワードは「軽さ」

「どうやったら淳さんみたいに学び続けられるの?」ってよく聞かれます。確かに、誰もが僕みたいに大学院に通って勉強できるわけじゃないですよね。正直、僕も仕事や子育てもある中で大学院に通うのはかなり大変で、色々周りにも迷惑をかけていますし…。

でも、先ほど話したような「取材」のマインドを普段から持ってみるのはいいんじゃないでしょうか。自分とは違う趣味や価値観、専門性を持った人に話を聞いてみる。興味の赴くままに衝動で動いてみて、何か違ったなって思った時にはすぐに引き返せばいい。

フットワーク軽く、自分が刺激を受けられる人をどんどん取材して、学び続ける人生もアリじゃないかなぁ。

こういうある種の「軽さ」って、僕はすごく大事にしているんです。

「ITAKOTO」に関してもそうで、もっとみんなに気軽に遺書を残して欲しいという思いがあります。

あれこれ語ってしまったけれど、遺書って突き詰めると結局は「ありがとう」の一言だと思う。だけど「何が、どう、『ありがとう』なの?」っていうのが、その人たちの関係性を表すわけじゃないですか。

それをもっと気軽に記録して、棚卸しすることで、生きているうちにもっといい関係を築けるんじゃないか。それぐらいの軽さで「生きること」を見直し続けられたらいいですよね。

▼動画で語る「遺書」への思い(2分20秒)

(取材・文:南 麻理江/ 写真・動画:松原一裕)   

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