今年4月、東京レインボープライドに足を運んだ筆者は、その熱狂ぶりに息を呑んだ。
足踏み状態の続いているLGBT法案や、政治家の差別発言などに肩を落としていたが、今年の来場者数は24万人に上り、過去最大規模の盛り上がりとなったと聞いて少し気持ちが上向きになった。
向かい風の社会かもしれないが、LGBTQ+の権利をめぐる闘争の火種は、決して消えてはいないのだ。
そこで今回、「当事者の気持ちを、リアルを、もっと知りたい」という思いから、筆者の友人で、アロマンティック・アセクシュアルであることを公表している黒崎侑美さんにお話を伺った。
キスシーンを見て「こういう人たちもいるんだ」
ーー今日はよろしくお願いします。早速ですが、アロマンティック·アセクシュアルはどんなセクシュアリティなのでしょうか?
簡単に説明すると、アロマンティックは「他者に恋愛感情を抱かない」という意味です。身近な関係はもちろん、例えば、映画でキスシーンが出てきても「こういうことをする人たちもいるんだ。へぇ~」くらいの気持ちになるくらいで、キュンキュンときめくという感覚がないんです。
アセクシュアルはいくつか定義があるのですが、私が調べてきた中で一番しっくりきているのは「他者に性的魅力を感じない性的指向」です。誰かの体や顔を美しいなと思うことはありますし、ずっと見ていられるような“推し”もいますが、そこから性的魅力を感じることには繋がりません。
つまり「アロマンティック・アセクシュアル」は、他者に対して恋愛感情と性的欲求の両方を抱かないということなんです。
一口にアセクシュアルと言っても、そこにはグラデーションがあります。
セルフプレジャー(自癒)をする人もいればしない人もいますし、恋愛感情を持つアセクシュアル(ロマンティック・アセクシュアル)の人でも、パートナーに性的な気持ちがあるとわかったら手を繋ぐのも無理という人もいますし、相手を問わずハグは性的な行為に入るので苦手という人もいます。
これはセクシュアリティを問わず言えることですが、友愛と性愛の境界線は人それぞれです。ちなみに私はハグが大好きです(笑)。
セックスは「健康診断のバリウム」みたいなもの?
ーー自分のセクシュアリティに気づいたきっかけを教えてください。
はじまりは小学生の頃です。友達同士で「好きな人誰?」みたいな会話がある中で「みんなはそういう人いるんだなぁ」とずっと他人事に思っていて、「私は遅いだけかな」なんて思うこともありました。それが中学校や高校に進んでも変わらなかったので、そこで「ちょっと自分はみんなと違うかも」と感じはじめたんです。
転機になったのが、大学2年生のときのアメリカ留学。ある授業で色々な性的指向と性自認がずらっと書かれたプリントが配られたんです。その時に先生がアロマンティック・アセクシュアルの説明もしてくれて「あれ?これじゃない?」と感じました。
その「そうかも」が確信に変わったのは、帰国後にお付き合いをしたときでした。私が当時のパートナーに感じていた「好き」と、彼から私への「好き」が明らかに違うなっていう感覚あって、ふたりで話し合ったんです。好きだったら“普通”は感じる感情とか、カップルが“普通”にすることを、彼が並べて教えてくれたときに「全然わかんないな」と少し動揺したのを覚えています。キスやセックスについても、ちょっとバリウムみたいな感じだなと思いました。
ーー バリウムですか?
そうです。すごく嫌なのに、健康診断って都合上飲まなくてはいけないじゃないですか。私にとってセックスはそういう感覚だったんです。嫌だけどカップルだからっていう。
周囲の人と話をしていても「無理してやってる」という人がいなかったので、そこでアロマンティック・アセクシュアルって言葉を思い出したんです。そこから改めて色々調べてみて、やっと「自分はそうなんだな」って腹落ちしました。
私の場合は、自己受容における葛藤みたいなことはなくて、「長年の謎が解けたぞ!」ととにかく嬉しかったのを覚えています。ずっと「私はおかしいのかな」「病気なのかな」って気持ちがあったので、その期間は辛かったですね。
セクシュアリティを「誰に、いつ、どんな言葉で伝えるか」
ーー黒崎さんはSNSのプロフィールをはじめ、ご自身のセクシュアリティをオープンにしています。その背景には、どんなものがあるのでしょうか?
はじめは仲の良い人や、身近な信頼できる人だけに話していました。そんな中であるとき、友達が私に「知り合いに『多分そうかも』って悩んでる子がいるんだけど、会ってみてくれない?」と相談してくれたんです。
実際にその人とお話ししてみたら「私だけじゃないんですね」と、ほっとした表情を浮かべてくれて、そのときに「私が自分について話すことで救われる人もいるんだ」と気付かされて、それ以来オープンにしています。
一口に「オープンにする」と言っても、もちろん、出会う人すべてに「私はアロマンティック・アセクシュアルなんです」と伝えているわけではなくて、誰にいつどんな言葉で伝えるかは、常に緊張感を持って考えています。
相手によっては「まだ良い人が見つかってないんじゃない?」とか「そのうち感じるようになるよ」といった想像力の欠けた言葉が返ってくることもありますし、それまでの会話の文脈から「アセクシュアルって言葉を使うと混乱しそうだし『恋愛感情とか性的欲求が湧きにくい』くらいにしておこう」と“調整”することもあります。
そして、一番難しいのがタイミング。私は恋愛感情がわからないので、他人からの恋愛的な好意に気づくことが苦手なんです。たとえば、ある男性が何度目かの食事に誘ってくれたとして、私は友達として楽しんでいるつもりでも、相手は「脈アリかも」と思っているかもしれません。
そのあとで「実はアセクシュアルなので、あなたの求めているような関係にはなれません」と伝えてしまうと、「最初から時間の無駄だったのか」と相手を虚しい気持ちにさせてしまうかもしれない。もちろん伝えるか否かの決定権は私にあるんですけど、「できるだけ傷つけたくない」という意味で、早い段階で伝えるべきときもあると感じています。
アセクシュアルでも、愛に溢れた人生を生きられる
ーーアセクシュアルであることを理解されなかったり、「自分はアセクシュアルかも」と悩んでる人に、伝えたい言葉はありますか?
「アセクシュアルであっても独りじゃないし、何もおかしいことじゃない」。そして何より「アセクシュアルでも人生カラフルで楽しいよ!」ですね。
「人生がモノクロ」とか「寂しそう」と言われることもありますし、男女のロマンスや性愛が一番高尚みたいな雰囲気の社会で生きている以上、自分でもそう思わされてしまうことも時々あります。でも、世界には友愛や家族愛をはじめ、いろいろな形の愛があります。
私の人生にも心から愛する人たちがたくさんいますし、本当にカラフルで愛で溢れているんです。何かが欠けてるわけでもないし、人として壊れているわけでもありません。
そして「自分の性にぴったりの言葉が見つからなくても全然OK」ということも伝えたいですね。性は曖昧だったり、揺れ動いたり、変わっていったりすることもあるので、例えば「アセクシュアルかも」と思っても、そのラベルの全てには当てはまらないこともあるかもしれない。でも、それはそれで普通のことなんです。「今の自分はこれに近いのかも」くらいの姿勢でOKですし、「違うな」と思ったら剥がしてもOKです。
ーー 6月は世界各地のプライド月間です。どんな1ヶ月になってほしいですか?
LGBTQ+という言葉の先へ進むための1ヶ月になってほしいですね。
認知度が上がってきた一方で、その言葉だけが一人歩きしている印象もあるんです。LGBTQ+は「セクシュアルマイノリティ」という一つの属性ではなくて、多様な性を総称した言葉。ゲイ、バイセクシュアル、レズビアン、アセクシュアル、パンセクシュアル、トランスジェンダーなど、それぞれに異なる歴史や直面しやすい悩みがあります。
そこを一緒くたにして「自分はLGBTQ+に寛容だ」と片付けてしまっては、本当の意味での共生にはならない。LGBTQ+という大きな言葉のフタを開けて、「こういう人もいるのか」「こういう人たちは、こんな“あるある”の悩みがあるのか」と、少しディグってみてくれたら嬉しいです。そうやって積み上げた知識が、より想像力のある包括的な社会を創っていくのだと思います。
私も引き続き、自分とは違う属性のマイノリティの人たちについてディグっていくつもりです。