愛知県内で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の会期終了が迫ってきた。開幕から2カ月あまり、脅迫や激しい抗議の電話を理由に一時中止となった企画展「表現の不自由展・その後」に注目が集まり続けたが、ほかにも見どころがある。中心会場の愛知芸術文化センター(名古屋市)から電車で1時間ほどのところにある豊田市の会場をめぐった。
■街のあちこちにアートが点在する
あいトリの概要を簡単におさらいする。あいトリとは、2010年から3年ごとに開催されている「国内最大規模の国際芸術祭」だ。今年は国内外から90組以上のアーティストが参加。8月1日から10月14日まで開催され、「不自由展」が開かれている愛知芸術文化センターのほか、名古屋市美術館、同市内の四間道(しけみち)・円頓寺(えんどうじ)のまちなか、豊田市美術館と豊田市駅周辺などが会場となった。
10月6日日曜日の午後、SNSなどで評判の高かった豊田市美術館と、名鉄豊田市駅前の展示を見に行った。
豊田市駅を降りると早速、展示会場があった。
最初に見たのがトモトシ氏の「Dig Your Dreams.」。空き店舗だったという会場に入ると、遺跡の発掘現場のようなものが目に飛び込んできた。手前側には、出土品のような土器やガラクタがガラスケースに入れられて並んでいた。
奥側にはモニターが置かれ、数人で遺跡を「発掘」する様子が映し出され、テレビリポーターのような男性が「豊田市すばらしいですね」「これから発掘をしていただくということで」と軽妙な口調で語りかけていた。
映像を見ながら、来場者が笑ったり、首をひねったり。会場にいたボランティアが来場者の女性に「ちょっと、よくわからないねえ」と声をかけられ、苦笑いしていた。
会場にはられた作品説明を読み、何を伝えたい作品なのかがわかった。
作家のトモトシ氏は、「トヨタ自動車」の企業城下町である豊田市の街中を歩いていて、トヨタの広告や看板をあまり見かけないことに驚いたという。
しかし、実際に市民に話を聞き、歴史を調べていくうちに、「実はどんなところにもトヨタ自動車に関連する事項が出てきてしまう」ということを知る。その経験が、作品のアイデアになったという。
「発掘」された土器にはトヨタのエンブレムが描かれ、「遺跡」の溝もエンブレム状にほられていた。
次に見たのは、小田原のどか氏の「↓ (1946-1948)」。赤い光を放つ矢が地面にささっているかのように配置されていた。
作品説明によると、これは1946年から48年の間だけ、長崎の原爆投下中心地に設置されていた矢形の標柱からかたどったという。この矢形標柱は、爆心地の中心に置かれていたにもかかわらず、「慰霊や追悼の機能が排除されていた」といい、隣の部屋で展示されていた資料を通してその理由の一端を知ることができた。
豊田市駅から歩いて15分ほどの場所にある豊田市美術館に向かった。
19世紀末から20世紀にかけてウィーンで活躍したグスタフ・クリムトの日本初公開作品を含む「クリムト展」が同時開催されており、多くの来場者でにぎわっていた。
最初に見に行ったのが、美術館から歩いて数分の旧豊田東高等学校会場に展示されていた高嶺格氏の「反歌:見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで」だ。
プール中央部の底が切り取られていて、その底部分が巨大な壁のように立ちはだかっていた。「あえて」なのかわからないが、ほかの展示にはついているような詳しい作品説明が見当たらなかった。よく見ると、プールの壁面に「高嶺格作品解説の歌一首」と題されたプレートがはってあった。
壁の大きさと異様な雰囲気に圧倒された。
美術館の中で特に印象に残ったのが、キューバを拠点とする作家、レニエール・レイバ・ノボ氏の「革命は抽象である」。2つの彫刻作品と、壁にかけられた複数のコンクリート絵画によるインスタレーションだ。まず、天井から突き出ている手の彫刻の巨大さに驚いた。
これは、実際にロシアにあるモニュメントの実物大のレプリカだという。作品は、国威発揚やプロパガンダのために巨大モニュメントやポスターといった「表現の力」が使われてきたことを示しているという。
取材当日は「表現の不自由展・その後」の再開前だった。同展の中止に作家が反対を表明しており、「本来の状態ではない」形での展示だという説明書きがあった。
作品群の一つである床に設置された彫刻は、黒い幕で覆われていた。壁面には、「ソ連時代のプロパガンダ・ポスターからスローガンとイメージを取り去った絵画」がはられていたというが、「表現の不自由展・その後」の中止を伝える新聞紙でくるまれていて、見ることができなかった。来場者の多くが、その新聞記事をじっと読んでいた。再開後の現在は「本来の状態」で展示されているという。
最後に向かったのは、「アート・プレイグラウンド しらせるOUTREACH」。ここは展示ではなく、「人に知らせたいこと、伝えたいことをサポートする」ことを目的とした体験型スペースだ。ペンや紙があちこちにあり、図工室のような雰囲気だった。
誰かに伝えたいメッセージやイラストを、冊子に描いたり、Tシャツに刺繡できたりする。来場者がスタッフらと対面であいちトリエンナーレの感想などについて話せる「ラジオブース」もあった。
人々が分断を乗り越える手段として、こうした深く相手を理解するためのコミュニケーションツールを用意したという。会場にいたスタッフの男性が「Tシャツやバッグに何が書かれているのか相手と会話することを通して、深いコミュニケーションが取れるのではないか、という狙いがあります」と話した。
豊田市を離れて、名古屋市へ戻った。午後6時を過ぎても、まちなかの会場では展示が続き、にぎわっていた。全会場を回るには1日では時間が足りないと感じた。
■展示をめぐって感じたこと
正直に言うと、私には何を伝えたいか、わかりにくいと感じる作品も多かった。
例えば最初に見たトモトシさんの作品。
「トヨタの街でありながら、トヨタの形跡が見えにくい豊田市の中心部に、トヨタの広告を出現させる」という作家の狙いは、一見しただけではわからない。作品説明を読み、改めて作品をじっくり見ることで、作家の発想の豊かさや、どこかシニカルな感覚がじわじわと面白く感じた。
じーっと立ち止まって、「どういうことなんだろう?」「何を伝えたいんだろう?」と考える時間は思えば普段、あまりない。作品自体の力、圧倒的なスケールや色彩や光の美しさ、どこか伝わってくる作家の怒りや不条理に、感情が動いた。作品作りに影響した社会的な背景とはどういうものだったのか、知りたくなった。
メイン会場の愛知芸術文化センターには計3日間、足を運んだ。不自由展は見ることができなかった。足を運んだ3日間のうち、不自由展が再開された10月8日以外は、館内や周囲の状況に「ものものしさ」は感じなかった。会場内では来場者が展示物の前で写真を撮ったり、みんなで床に座り込んで映像作品をじっくり見たり、楽しく、落ち着いた空間だった。