抱き続けた幼き頃の夢、アラビアの魔法の国に憧れて

私の前に現れたのは「千夜一夜物語」に描かれた魔法の国、究極の中世都市だった。
何世紀もの歴史を誇る昔ながらの製革所
何世紀もの歴史を誇る昔ながらの製革所
Nicos Hadjicostis

~夢のアラビア世界はもはや実在しないと結論付けようとしたその時、私の前に現れたのは「千夜一夜物語」に描かれた魔法の国、究極の中世都市だった~

「その時」が来るまでの長い間、私は子どもの頃に思いを巡らせていたアラビア文化のイメージが今も変わらず残されている、そんな場所を探していた。それは「千夜一夜物語」や映画「バグダッドの盗賊」に描かれたような、魔法のカーペットが登場する狭い道が入り組んだミステリアスな街で、喧騒に包まれた商店街には色とりどりの商品が並び、イスラム教の歌や耳慣れない音楽が流れるといった、おとぎ話に出てくる古い魔法の世界である。

ただ、それまでにもキルギスタンやウズベキスタン、イランといった中央アジアをはじめ、近東地域と呼ばれるエジプト、シリア、そしてレバノン、さらにアラビア半島のアラブ首長国連邦やオマーンにまで足を運んだものの、私のイメージに合うような場所はどこにも存在しなかった。

そもそも中央アジアでは、長きにわたる社会主義政権の影響で過去の古き良き伝統は失われ、文化が画一化されてしまっている。イランに至っては、国王が積極的に西洋化を先導したところにシーア派による国内イスラム化の動きも強まったという歴史的背景もあって、昔ながらの街並みは今では完全に姿を消してしまい、かろうじてカーシャーンやヤズドといった古い街の中に、かつて栄えたペルシャ文化の残り香をわずかに感じ取ることができるくらいである。

同じく西洋に追いつけ追い越せとばかりに近代化を推し進めてきたイラクとシリアにも独自の文化はほとんど残されておらず、それどころか、残念な事に両国とも現在は戦火のただ中にあるのが現状なのだ。

一方でアラビア半島諸国に目を向けると、どの国でも日本のような近未来国家への発展を目指して急速に都市開発が進められ、むしろ高速道路や高層ビル、そしてショッピングモールや人工島のイメージで一般に知られるほどになってしまっている。ちなみに、エジプト・カイロにあるハーネルハリーリーなどに代表される歴史ある中東のマーケットに至っては、今では魂の抜けた見せかけだけの観光客向けお土産屋通り以外の何物でも無い。

こういった現実を目の当たりにし、何世紀もの間多くの人々が憧れ思い描いていた夢のアラビア世界というものはもはや実在しないのでないか、と私の中で結論付けようとしていたまさにその時、アフリカ大陸の西端に位置し、かつてアラビア文明が繁栄した国モロッコで、古き良きアラビア文化の名残は至るところで今も変わらず息づいていた。

皮肉な事に、先住民族の遺産として今も社会に根強く残るベルベル文化や、近代フランスおよびグローバル志向などの影響を受けたモロッコという国は、アラブ圏の中で最も「アラブらしくない」国と言える。しかしながら、これら多くの外的影響下にありながらも独自の文化や魂を失うことなく近代化することに成功してきており、アラブ諸国の中でモロッコほど中世の雰囲気を今もそのままに残す街が数多く存在する国はないだろう。

マラケシュ、エッサウイラ、メクネス、セフル、そしてシャフシャウエンといったところは、それぞれがモロッコの文化的特徴を独自に反映させた、魅力あふれる素晴らしい街として記憶に残るが、その中でも夢と魔法の中世アラビア世界、つまり「千夜一夜物語」の舞台のイメージが見事に体現された街と言えば「フェズ」を置いて他にない。

働く人々の日常の一コマ
働く人々の日常の一コマ
Nicos Hadjicostis

8世紀末に建設されたフェズは1912年まではモロッコの首都として機能していた歴史を持ち、フェズ・エル・バリ地区やフェズ旧市街などと呼ばれる一画は、アラブ諸国やアフリカ大陸の中で最も魅力的で面白い街である。特に859年に設立され、現在まで継続的に活動している教育機関としては世界で最も長い歴史を誇るカラウィーイーン大学に代表されるように、フェズは長きにわたってモロッコの文化ならびに社会の中心地として、国民の心の故郷のような存在として重要な役割を担ってきている。

そしてこのフェズ旧市街は、今では中世期の伝統が昔ながらの形で守り受け継がれながら生きて機能している、世界で唯一の街となってしまった。「生きて機能している」というのは、同じく中世期から残されてきている他の街とは違って、観光客のために人工的にうわべだけがそれらしく見えるように整えられているというわけでは無いからだ。

全長8キロに渡る高い壁に囲まれて、ここの住人たちは今日も普通に生活を送りながら仕事をし、数百年に渡って受け継がれてきた工芸品や各種技術を今も守り続けている。この街にも当然、電気や携帯電話などといった最新テクロノジーは浸透してきているが、街全体の生活のリズムや時間の流れというものは何世紀もの間少しも変わっていない。それは、この地区が世界最大の車両進入禁止・歩行者天国エリアであり、モロッコ国内の他の都市よりもはるかに観光客の数が少ないという事実にも少なからず関係があるだろう。

フェズを旅行で訪れるにあたっては、事前情報を頭に入れておいたり地図や観光名所リストを持って歩く必要は全く無い。余計な事は考えずに、ここでするべきことと言えば、

美しく青みがかった壮大な門を通り抜けたら迷宮のように入り組んだ路地に迷い込み、流れる空気の中に自分を同化させながらゆっくりと周囲に溶け込んでいく

・・・ただそれだけだ。

そして、何百という数のアーチ状の門を見上げながら街を散策し、共同噴水で水筒に水をくむ女性や、祈りのために靴を脱いでモスクへと入っていく信者たち、そして狭い通りで遊ぶ子供たちの姿を眺める。

美しい広場を抜けて屋根付きのマーケットに入ったら、金属細工やバブーシュ・スリッパ、色とりどりの生地が並ぶ屋台や有名な製革所などを見て回り、建物の外壁を青く飾るガラスのタイルや複雑な模様を携えた木造装飾にため息をつく。

さらに隠れるように地下へと続く階段を降りていき、ステンドグラスの灯篭や銅製のシャンデリアに目を奪われた後に「リアド」と呼ばれる宿泊施設に着くと、そこには文字通りアラブの魔法の絨毯が旅行者をやさしく迎えてくれるのだ。

ギリシャの詩人カヴァフィスは自身の不朽の名作「イタカ」の中で、「旅は急がずに、真珠やサンゴ、琥珀に黒檀、そして魅力的な香りを放つあらゆる種類の香水といった、素敵な品々を手に入れる喜びを満喫するのだ」と詠っているが、まさに夢に見たアラブの魔法の国での私の経験を言い得て妙だ。

ここでカヴァフィスはあえて「香り」を強調しているが、この香りこそフェズの真の醍醐味であるという事実との関連も面白い。実際に街の中を歩き回ると分かるのだが、常に異なる香りが魅惑の走馬燈のように入れ代わり立ち代わり訪れる者の嗅覚に訴えかけてくる。それは加工皮であったり、牛テールの蒸し鍋料理、もしくは暖かい日差しの中に干された洗濯物や、ローブに身を包んだ老人が美味しそうにすするミントティーから立ち上る香りが織りなす、いわば美しくも混沌としたハーモニー。

香りの他にも、フェズという街を語る上で「音」の存在も忘れてはいけない。客とやり取りする商人や、同僚に指示を出して叫ぶ肉屋の声。ロバが背中に乗せて運ぶ大きな鉄製のボウルがぶつかり合う音や、礼拝への参加を繰り返し呼びかけるアナウンス。旅行者はこうして「香り」と「音」に魅了され、カヴァフィスが言うところの「このまま永遠に宿には帰りたくなくなる」状態になり、無意識のうちに道に迷ったフリをしてまで自分をだまそうとしてしまう。

そう、フェズこそが誰もが子どもの頃に思い描いたアラブの街そのもので、驚くべきかな、その街は今もこの地球上に実在している。

伝統的な手作りのバブーシュ・スリッパ
伝統的な手作りのバブーシュ・スリッパ
Nicos Hadjicostis
魔法の絨毯、あなたも一枚いかが?
魔法の絨毯、あなたも一枚いかが?
Nicos Hadjicostis

英語の原文より翻訳(翻訳者:河野英幸)

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