大学6年生の春だったと思う。ある日、通りがかりに献血バスを見かけた。だが、貧血のためにこれまで一度も献血ができた試しがなかった私は、今回も献血はできないだろうなと思い、献血バスの前を素通りしてしまった。
「鉄欠乏性貧血って言われ続けていたものの、特に治療や予防をしてこなかったのは、本当は良くないのかもしれない。」帰宅した私は、ふとそう思い、インターネットで「鉄欠乏性貧血」について調べてみた。
すると、驚くべき内容が私の目の中に飛び込んできた。妊娠初期から中期にかけて貧血だった妊婦の子供の低出生体重のリスクが1.29倍、早産のリスクは1.21倍に増加した、とアメリカのハーバード大学の研究者たちが報告しているではないか。
私は、心底驚いた。正直、そこまで深刻な影響があるとは思っていなかったからだ。妊娠すると、母体だけでなく胎児にも酸素や栄養を与えなければならなくなり、多くの血液が必要になる。そのことが、妊婦が貧血になりやすい原因の一つだ。実際、妊婦さんの約3〜4割は貧血だと言われている。妊娠中の貧血の緩和には、鉄の補充しかない。食事からの鉄の摂取では追いつかない、となると、鉄剤を内服しなければならない。だが、鉄剤の内服による嘔吐や便秘といった副作用が原因で、鉄剤の内服を続けられない人が多い。まして、悪阻に悩む妊婦さんは、内服はとても厳しい。
さらに、鉄剤内服を開始してから貧血が改善されるまで1〜2ヶ月を要する。妊娠が判明するのは、妊娠6週目ごろ。この時点で鉄剤の内服を開始したとしても、妊娠10週目をすぎないと貧血は改善されない。だが、胎児の臓器が形成されるこの時期こそ、発達に重要となる。妊娠する前から貧血であれば治療する必要があるし、貧血でなかったとしても予防が重要になってくるのだ。
2006年の報告で、50歳未満の日本人女性の22.3%は貧血であることがすでに報告されている。2013年の「国民健康・栄養調査」によると、20代の日本人女性の平均エネルギー摂取量は1628 Kcal。なんと、1946年2月の都市部の平均エネルギー摂取量の1696 Kcalよりも少ないのだ。ダイエットや痩せ、偏食や外食により、貧血はさらに深刻になっている可能性がある。だが、女性の多くは、貧血の恐ろしさを認識していないのではないだろうか。そう考えた私は、「日本は貧血大国だ」という文章を書き、ハフィントンポストに掲載していただいた。反響は予想以上に大きかった。なんと、掲載から1ヶ月後に、新書を書かないかという連絡をいただいたのだった。
1年という歳月はかかってしまったが、「貧血大国・日本」(光文社新書)が完成。若い女性だけでなく、高齢者や幼児期、スポーツの貧血や世界の貧血事情、そして貧血が美容に与える影響まで幅広く解説した。
新書を出してから、私は多くのチャンスや出会いをいただいた。たくさんの媒体で貧血について取り上げていただいた。新書を読んだよ、とメールや手紙をいただいた。臨床の現場でも、貧血で相談に来る患者さんも増え、治療に携わることができている。私は、医師人生をかけて取り組んでいきたいと思える「貧血」の問題に出会うことができた。感謝の気持ちでいっぱいだ。
昨年からは、ロート製薬や永谷園さんと共同に貧血問題に取り組んでいる。鉄を取り入れた商品を実際に売り出したり、女性の健康問題の一つとして貧血について話をしたり、健康のサポートをお手伝いすることができている。今年度からは、アスリートの貧血改善にも取り組む予定だ。
もっと多くの人に貧血について正しく知ってもらう必要があるということを実感すると同時に、日本人の貧血の実態について私自身が知る必要がある、ということを臨床現場やヒアリングをする上で痛感する日々だ。次回は、ロート製薬や永谷園さんと一緒に具体的に何をさせていただいているのかについて、お話しさせていただきたい。
* 医療タイムスの連載に加筆いたしました。