私は日本に生まれ育ち、日本語が母国語で、国籍は日本です。
何の疑いもなく、日本人だと信じてきました。
私の祖父は台湾人で、日本に渡った後に帰化しました。
自分の4分の1は、台湾です。
祖父の故郷は子供の頃に一度訪れただけ。
外でも、家庭でも、使うのは日本語。
日本人の父の姓を名乗り、日本の学校に通っていました。
ある日、忘れ物をして学校から慌てて自宅に電話をかけました。
祖父に届けてもらえないか、と話したときに、私はこう言ったのです。
「アコン」
日本語を話す家庭で、唯一使う台湾語でした。
意味は「おじいちゃん」。
一緒にいた友人に意味を聞かれて説明すると、こう言われました。
「あなた、日本人じゃないんだ」
刺すような言葉と、よそ者を突き放すような眼差しは、今でも忘れられません。
「私は、日本人じゃないの?」
母に学校での出来事を話すと、こう言われました。
「あなたは日本人になりなさい。それが祖父の、家庭の教育方針だから」
自分は日本人に「ならない」といけないのか。
4分の1は台湾なのに、どうして100%日本人になれるのか。
自分は日本人として、「できそこない」なのか。
今のようにインターネットを使って仲間を探すわけにもいかない。
息苦しい。日本の外に出たい。
そう考えて、留学を目指して英語を学ぶことしかできなかった。
日本の大学に進学しても、頭の中は留学のことばかり。
必死で英語を勉強した甲斐があり、交換留学制度で1年間アメリカの大学に留学させていただきました。
移民の国での気付きと、自分の中の決めつけ
移民の国アメリカで最初に感じたのは、自由な空気。
「自分の祖父は台湾出身だ」
と言っても、そうなんだ、と返されるだけ。
アジア系に対する人種差別は確かにありました。
しかし、日本で感じた、よそ者を突き放すような眼差しとは別物でした。
そして、台湾からの留学生たちと仲良くなれたのは、人生の宝です。
日本に戻って大学を卒業し、研究者を目指してアメリカのニューオーリンズにある大学院に進学。
大学院2年目の夏、巨大ハリケーン・カトリーナによる洪水で町は壊滅状態に。
避難先のテキサス州で呆然としているときに、手を差し伸べてくれたのは、台湾系アメリカ人と日本人女性のカップルでした。
そして、辛くも水害を免れたニューオーリンズのアパートに、英語と漢字混じりのリストを手に私の残した持ち物を回収してくれたのは、台湾人の友人でした。
彼らには今でも感謝しています。
転校先のオクラホマ州の大学院で、社会学、英語教育の2つの修士号を取得、講師として留学生に英語を教えていました。
2009年に卒業後、家族のいる日本に帰国することに。
それは、あの「眼差し」の中に戻ることでした。
しばらくして日本人の男性と出会い、結婚を意識するように。
当然のように家族の話が出ると、私の口は重いままでした。
アメリカでは普通に話していた祖父の話が、なかなかできない。
いつかは話さなくては、と思いながら、過ぎていく時間。
プロポーズをされたときは複雑な心境でした。
「自分のバックグランドを知ったら、突き放されるのではないか」
観念した末、ようやく家族の話を口にすると、
「僕は、そういうことは気にしないよ」
という、あっさりした返事に拍子抜けしました。
「彼は日本人だから、きっと自分をよそ者扱いするだろう」
日本人に対する決めつけがあったことに気づき、自分の愚かさを恥じました。
祖父の故郷で感じた、日本への敬意
台湾に対する意識がさらに変化したのは、結婚後に夫と訪れた祖父の故郷でした。
特に台北の、日本食レストランや日本語学校の多さ。
ローカルメディアでの日本の扱いの大きさ。
そして、日本人への丁寧な接し方。
子供の頃のわずかな記憶や、「台湾は親日国」という単なる知識を吹き飛ばす衝撃を受けました。
台湾が日本に払っている敬意を、日本は台湾に返しているのだろうか。
私は自分の台湾の血に、心から敬意を払っているだろうか。
台湾や台湾の友人に対して、恥ずかしい気持ちです。
時折、大学時代にアメリカで出会った日系人の方の言葉を思い返します。
「僕は、4分の1の日本人の血をとても誇りに思っている」
アメリカ人なのに、なぜ日本を誇りに思うのか、当時の自分にはわからなかった。
しかし、祖父の故郷で、彼の言葉の真の意味に出会うことができました。
線を引くよりも、互いに尊敬する
「日本人」とは、誰のことですか。
誰が「日本人」の定義を決めたのでしょうか。
たとえ「あなたは日本人じゃない」と言われても、私は、日本も台湾も、一緒に誇りに思います。
私は日本で起業し、英語とプレゼンテーションを教えています。
言葉や発音を学ぶだけでなく、より視野を広く持ち、世界を見てほしいのです。
また、異文化の方たちと仕事をするときには、言葉だけでなく、相手を属性で決めつけず、お互いを尊敬することを大切にしています。
多様なバックグラウンドの人を尊敬する態度は、一日で身につきません。
自分とは違う人に向かって互いに歩み寄り、時に衝突するプロセスを経て、はじめて共に在ることができる。
「あの人は日本人」「あの人は日本人じゃない」と線を引くことは簡単です。
しかし、誰かが作った日本人の定義のために、突き放される人がいることを知ってほしい。
どのような国籍、文化の人に対しても敬意を払うことが大切だと思います。
様々なルーツやバックグラウンドの交差点に立つ人たちは、自分を取り巻く地域の風景や社会のありようを、どう感じているのでしょうか。当事者本人が綴った思いを、紹介していきます。
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