観光は「数ではなく質」の時代へ。アレックス・カーさんに、日本観光産業の現在地と未来を聞いた

半世紀以上にわたって変わりゆく日本の文化と共に歩んできた東洋文化研究者・著述家のアレックス・カーさん。日本の歴史や海外の事例を見つめ、観光の「これから」をひもといていく。

コロナ禍を経て、急速な回復期を迎えている観光産業。新たなカルチャーやイノベーションに注目が集まり、日本の魅力が再発見されるなど、日本全国の観光地が賑わいを見せている。

一方で、膨大な需要に対応する仕組み作りの欠落や、ソーシャルメディアが普及した時代ならではの課題も後を絶たない。

「観光産業は、数ではなく質の時代になっています」

そう話すのは、東洋文化研究者・著述家のアレックス・カーさん。『美しき日本の残像(英題:Lost Japan)』や『観光亡国論』などの著者として知られ、現在はNPO法人「篪庵(ちいおり)トラスト」の理事や、京都先端科学大学人文学部の教授を務めている。

半世紀以上にわたって変わりゆく日本の様子を見つめ、日本の文化と歩みを共にしてきたカーさんに、日本の観光産業の現在地と未来を聞いた。

執筆家、古民家改修の専門家のアレックス・カーさん
執筆家、古民家改修の専門家のアレックス・カーさん
アレックス・カーさん提供

始まりは19歳で購入した古民家

ーー 主に執筆活動で知られるカーさんですが、拠点にされているのは古民家宿泊施設の「篪庵(ちいおり)」なんですね。

私が日本に初めて来たのは12歳だった1964年。アメリカ海軍所属の弁護士だった父と一緒に、横浜に暮らしていました。その後、日本に留学した大学生の時に訪れた徳島県の祖谷(いや)にすっかり魅了されてしまい、築300年ほどの藁葺き屋根の古民家を購入しました。

徳島県祖谷(いや)にある篪庵(ちいおり)
徳島県祖谷(いや)にある篪庵(ちいおり)
アレックス・カーさん提供

当時はお金がなかったので村の人たちに協力してもらいながら改修工事をして、家は「横笛」と「草屋」を意味する二文字をあわせて「篪庵」と名づけました。当時の年齢を思うと、大胆なことをしたなと思いますね。

その後、大学卒業後に日本に戻って、京都市に隣接する亀岡市にある大本(おおもと)という神道系の宗教法人の通訳や古典美術の研究を始めました。そこから執筆や講演などの活動を少しずつするようになり、今に至ります。

ーー篪庵は半世紀以上が経った今でもカーさんの活動拠点になっていますね。

はい。篪庵は祖谷に現存するもっとも古い民家の1つで、元禄時代のものと考えられています。近くにある木村家も同時期に建てられた家で、今では重要文化財に指定されています。

篪庵
篪庵
アレックス・カーさん提供

茅葺き民家は風情があってとても美しいものですが、特に2000年代に入ってからは日本全国で何万軒という数が壊されていきました。2012年に「この状況をどうにかしたい」「築300余年の年月を経て今も現存する茅葺き民家を現代に伝えたい」という思いで、大規模な改修工事を行い、宿泊施設としてオープンしたんです。

内部は建造時のころからの床板を使っており、黒く光る空間はここにしかない奥深い魅力を残しつつも、宿泊施設として居心地の良い場所になっていると思います。イタリア・トスカーナ地方やアメリカ西海岸のサンタフェなど、世界中の観光地でこうした古民家をリノベーションする取り組みは以前から進んでいたので、それを日本でもできないかと考えたんです。

その後、香川県宇多津町や亀岡市でも同じように古民家の宿泊施設を作り、現在では約50軒の古民家と町家を改修して、そのうち14軒を運営しています。また、名高い観光地ばかりだけではなく、人は集まっていないけれど美しい風情が残っている地方もあるので、そういった地域にも焦点を当ててきました。

訪日外国人観光客は20年で5倍に

渋谷のスクランブル交差点(イメージ画像)
渋谷のスクランブル交差点(イメージ画像)
Francesco Riccardo Iacomino via Getty Images

ーー現在は、京都先端化学大学人文学部の教授を務めていらっしゃいますね。

古民家を改修して宿泊業が上手くいっていれば万事解決というわけではないんです。日本の文化や情景を残していくためには「そもそも観光って何?」という大きな問いに向き合わなくてはいけません。交通整備や美術館や寺院の管理など、大学では学生たちと共に観光産業における先端技術について考えています。

グローバル規模で観光客の荒波が押し寄せていますが、十分に適切な対応をできている国はありません。大なり小なり観光の負の側面の影響を受けていますが、そうした中で国や地域ごとに色々な取り組みがされています。楽観的に考えるなら、その多様性や可能性に面白さがあるとも言えますね。

日本の観光において最も特徴的なことは「観光客が短期間で激的に増えた」ということです。2003年の訪日外国人旅行者は521万人でしたが、2023年では2500万人を超え、遠くない未来に6000万人に達するとも言われています。しかし、観光客が多すぎることが問題ではありません。訪日観光客数が今の倍になったとしても、人口あたりの観光客数は、例えばイタリアのそれには及ばないんです。

「ものづくりの国」と言われてきた日本ですが、観光産業の力も大いに借りなくては経済が回らない時代なので、大急ぎで環境を整えているのが現況です。

ーー 不慣れなことを急いで進めなくてはならない状況なんですね。

そうなんです。急すぎるが故に、海外の寺院や美術館、世界遺産、ホテルなどでどんな施策を実施しているのか、日本人の多くは知らない。それによってキャパオーバーの混沌状態が頻発しています。

こうした状況を加味して、誤解を恐れずに言うならば、これからの観光は「数より質」の時代です。

観光は「数ではなく質の時代」へ

ーー「数より質」ですか?

はい。例えば世界の名だたる観光地では、入場制限や入村料の制度を導入しています。アテネ(ギリシャ)のアクロポリス、ベネツィア(イタリア)をはじめ、最近ではマチュピチュ(ペルー)でも厳しい入場規定があります。エベレストの山頂で人が渋滞して死者が出た事例などもあり、富士山も最近になって入場制限が設けられるようになりましたが、まだまだ適切化していく必要があると思います。日本は訪日外国人観光客を増やすことに重きを置く傾向にありますが、ニュージーランドやハワイに至っては、外国人観光客の目標人数を少なくしているくらいです。

一見すると冷たい印象を受けるこれらの施策ですが、実はその逆で、本当に現地に興味と愛情がある人たちに、より深い体験をしてもらうことが主な狙いです。

例えば京都では、セルフィースティックを掲げる人たちでごった返しているような状況が続いています。それでは元々の日本文化を体験しに来た人が気の毒ですし、そもそも人が溢れすぎていると文化財へのダメージも大きくなりやすい。

日本は平等主義的と「誰でも歓迎」の境界線が曖昧な傾向にあるので、常にオープンにしておくことを好むのかもしれません。しかし、例えば500円くらいの入場料を設定するだけでも「無料だから」という理由でツアー内容に組み込む企業は減るでしょう。または完全予約制を導入して、そこにいくまでの一手間を設けるだけでも、お客さんの「質」は変わってきます。本当の平等は「誰でも歓迎」ではなく、心から望む人にしっかりと応えることでしょう。

ベネツィア(イメージ画像)
ベネツィア(イメージ画像)
Jerome LABOUYRIE via Getty Images

ーー最近は観光客が現地で買い物をしないことも問題になっていますね。

いわゆる「ゼロドル観光」が代表するように、観光業が現地経済に貢献できていないことは、世界中で問題になっています。

例えば岐阜県の白川郷は大人気の観光地ですが、蓋を開けてみると観光客の平均滞在時間は40分程度。忙しなく多くの人が移動していると、国内からの観光客も敬遠して来なくなってしまいます。

もうひとつの問題は、日本は「観光地には便利な交通アクセスが必須」と考えがちですが、実はそれによって観光客が現地の商店で買い物をしたり、現地の暮らしや情景をゆっくりと楽しむ時間を削ぎ落としてしまっているんです。すぐ隣の寺院は大盛り上がりなのに、参道にはほとんど人がいないなんてことも珍しくありません。敢えて少し離れた駐車場にバスを停めるなどして、観光客に歩き回ってもらう仕組みづくりをする必要があります。

ーー「歩く」と言えば、観光で人気の都市は車をシャットアウトしている場所も多いですね。

はい。例えばニューヨークのブロードウェイでは、タクシーやデリバリーを除き、周辺ブロックに乗用車が入ることはできません。これにより限られた空間により多くの人が入ることができるので、観光の側面からは大きな成功となりました。

東京・銀座も土日は歩行者天国にしていますが、そもそもあれだけ電車やタクシーが充実した地域に自家用車を運転していく人はほとんどいないので、常時歩行者天国にしてしまっても良いような気もしますね。京都でも4車線だった河原町から烏丸間の四条通りを2車線に減らして歩行者スペースを拡大しましたが、この変更による渋滞は発生していないように思います。

外国人観光客と日本人、双方にとって心地良い未来へ

浅草寺に参拝に来る人々(イメージ画像)
浅草寺に参拝に来る人々(イメージ画像)
Soshiro via Getty Images

ーー日本の観光の未来について、カーさんの願いや読者へのメッセージがあれば、教えてください

とにかくテクノロジー(技術)による仕組みを整えてほしいですね。「入場料〇〇円」などの画一的なルールを設ける場所は多いですが、それは行政システムであって「テクノロジー」とは呼べません。テクノロジーは「この場所には、どんな時間に、どんな人が、どんなニーズで、どれくらい来るんだろう」と調査して、それに合わせた枠組みを作ることです。「学割」「現地の人は無料」のような例外も取り入れる。他の場所の成功例を元に最適化していけば、より良い観光システムができると信じています。

観光客に人気の外資系ホテルが軒を連ねていることを受けて、綺麗で美しい旅館や日本企業の手がける和の風情のあるホテルが増えました。そして、そうした宿泊施設が国内からの観光客を呼ぶきっかけにもなっているように、海外から受けるポジティブな文化的影響も多くあります。冒頭の話に戻りますが、訪日外国人をターゲットにしていた古民家宿泊施設の利用者の8割近くは、実は日本人なんですよ。

快適で美しい日本を探求することは、訪日外国人観光客と日本人の両方にとって心地良い未来への一歩になるはずです。

【アレックス・カー】
執筆家、古民家改修の専門家、 京都先端科学大学教授1952年米国生まれ。1964年に初来日。イエール大学にて日本学専攻。オックスフォード大学で中国学の修士号を取得。1977年以来京都府亀岡市に在住。1973年徳島県祖谷(いや)にて、築300年の茅葺き民家「篪庵(ちいおり)」を購入して以降、古民家再生に取り組み、約50軒の改修を行っている。2024年に日本建築学会から「日本建築学会文化賞」を授与される。インバウンド観光に力を入れており、2008年「Visit Japan 大使」に任命され、現在も活動を続けている。書道、伝統舞踊、茶の湯などの文化活動についての講演、イベントなどに携わり、2019年には文化庁から「文化庁長官表彰」を授与される。著書:『美しき日本の残像』(1993年、新潮学芸賞受賞)、“Lost Japan” (1996年)、『犬と鬼』(2002年)、“Living in Japan” (2006年)、『ニッポン景観論』(2014年)、『もう一つの京都』(2016年)、『ニッポン巡礼』(2021年)、”Hidden Japan” (2023年)など。

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