男女隔離や家父長制の文化を背景に、女性の社会的地位が最も低い国の一つであるアフガニスタン。約87%の女性が何らかの暴力を受けたり強制結婚させられたりした経験があるとの調査結果も出ており、女性に対する暴力も蔓延している。
そんなアフガニスタンで「暴力や差別の被害者を支える存在」として、いま注目されているのが同国の「女性警察官」たちだ。
実は日本政府も彼女たちの育成支援に関わっている。その一つが、新人警察官に向けて「暴力の被害者への支援の仕方」を研修するワークショップだ。年に一度、近国のトルコで行われている。
ワークショップに参加する女性警察官の約半数も、多くのアフガニスタン女性と同様、暴力を受けた経験を持つ。
このワークショップで講師を務める国際協力機構(JICA)の久保田真紀子さんは「女性警察官たちが自らの辛い経験をもとにして、暴力に声を上げれない地域の女性たちを支える“支援者”になってくれたら」と期待を込める。
「ある冬の日に…」1人の新人警察官が語ったこと
《私はある冬の日に道端で転びました。転んだ瞬間に私の人生が変わりました。私が何を言いたいか分かりますか?》
久保田さんは、そんな手紙のようなメモを、アフガニスタンの新人女性警官の一人から受け取った。2015年の研修でのことだった。
「何が言いたいのだろう」。久保田さんはすぐに女性を呼び出した。
困惑する久保田さんを前に、彼女は表情ひとつ変えず淡々と語り始めた。
彼女の心と身体、そして未来を壊した、「あの冬の日」に起こったことをーー。
「女性が沈黙を強いられる社会」で期待される女性警察官の存在
アフガニスタンでは、ドメスティック・バイオレンスや性暴力のほか、小学生ほどの年齢の少女が結婚を強いられる「幼児婚」や、婚前交渉をした女性が「家族の名誉を汚した」として親族の男性によって殺害される「名誉殺人」も日常的に行われている。
一方で、被害にあった女性の多くが沈黙を強いられている。
性暴力を受けた女性は「汚れた存在」として家族や社会から排除されてしまう文化が根強く、また、たとえ女性が勇気を持って警察に被害を訴えても「暴力を受けたのは女性側に非がある」と逆に犯罪者にさせられてしまうこともあるからだ。
信じられないことだが、警察が問題解決を地域の意思決定の場に委ね、暴力の被害者女性が加害者男性と結婚することで事の始末が付けられてしまうことすらある。
女性警察官に期待される役割は、そんな声をあげられない女性たちを適切に保護し、支援することだ。男性警察官に言いづらい暴力被害も、女性警察官には打ち明けやすい。
また彼女たちの存在は、地域の治安維持にも欠かせない。アフガニスタンでは、犯罪捜査であっても、女性がいる家に男性警察官が勝手に入ることはできない。女性警察官がいることで、家宅捜索や女性からの情報収集もしやすくなる。
必要なのは女性警察官へのエンパワーメント
こうした背景から、国際機関なども女性警察官の育成を支援している。JICAが新人女性警察官に向けてワークショップを開始したのは2014年のこと。プログラムは4日間で、2018年には168人が参加した。参加者の平均年齢は20代前半だ。
ワークショップの目的は、警察官たちに「女性に対する暴力の現状や背景、要因、影響、そして正しい被害者支援のあり方」について学んでもらうこと。
一方で、ワークショップでは「女性警察官自身のエンパワーメント」にも力が注がれている。
JICAが2015年に行なった調査によると、研修に参加した女性の49%が何らかの暴力を受けた経験を持っていることがわかった。暴力のトラウマを抱えていたり、自己肯定感が低かったり、他者とうまくコミュニケーションが取れなかったりする女性が多い。
警察官たちに、暴力に苦しむ女性たちの「支援者」になってもらうためには、まず「被害者」である彼女たちをエンパワーメントする必要があるのだ。
これまで久保田さんは、多くの女性警察官から性暴力やドメスティック・バイオレンスなどの経験を聞いてきた。なかでも忘れられないのが、一枚の紙で自らの辛い記憶を打ち明けようとしてきた「あの女性」のことだ。
あの冬の日、何があったのか
久保田さんは、あの日女性が話したことを、言葉を一つ一つ選ぶように語り出した。
「当時、彼女は地方から出てきたばかりで、首都・カブールで他の女性たちとシェアハウスをしながら、塾に通っていたそうです。
ある冬の日、いつものように塾へいく途中、彼女は道端で“転んだ”んだそうです。その途端に意識を失って、道を歩いていた女性に体を揺り動かされて目を覚ましたと…。
彼女が言うことには『洋服は普通だった。でも下着だけは汚れていた』んだそうです。そう話しながら彼女は『でも何ともなかった』と私にしきりに言うんです。
その日から10日ほど経って、あの日以来ずっと体調が優れなかった彼女は病院に行ったそうです。
そこでお医者さんから『あなたはもう“女の子”じゃありません』と言われたんだそうです」
「その話を彼女は、顔色も変えず、涙も流さず、ただ淡々と話すんです。それでいて、話しながら『よく覚えていない』って何度も言うんです。要は、彼女の中でまだその日のことを消化できていないんですね…」
アフガニスタンでは、たとえレイプであっても婚前交渉があったことが知られると、結婚は難しくなる。初夜の日に出血しなければ「処女ではない」と判断され、病院で処女検査が行われたり、新郎側から裁判を起こされたりすることもある。
「彼女は上京してくる前、年老いたお父さんから『何があっても自分の身体だけは守れよ』と言われたそうです。『それなのにこんなことになって、本当に辛い、苦しい、悲しい。でもこうなってしまった以上、一生家には帰れない。だから私は一生警察官として生きていくしかない』って彼女は言いました」
エンパワーメントの第一歩は辛い経験を誰かに話すこと
ワークショップで講師を務めるのは、長年日本国内で暴力の被害者女性を支援してきた専門家たちだ。
アサーティブネス研修と呼ばれるプログラムでは、「自分も相手も大切にすること」を基本とした自己表現やコミュニケーションを学ぶ。女性たちの心のケアをし、彼女たちに自信を付けてもらうことが目的だ。
たとえば「私は私でいい。人と違っていい(自分自身である権利)」「自分の意志を表現したり、能力や才能を発揮したっていい(自分を表現する権利)」など、10個の「心の基本的人権」を学ぶ研修。
また「自らと異なる主張に対してどのように反論するか」を学ぶワークもある。感情を抑え、相手の感情も尊重しつつ、明瞭かつ堂々と意見を伝えることがポイントだ。「『女のくせに生意気だ』と言われたらどう対応するか」などのお題に対して、ロールプレイ形式で練習・発表をしていく。
過去にアフガニスタンの女性課題省などで4年間ほど働いた経験のある久保田さん。アフガニスタン女性に対しては「控えめで慎ましい」イメージを持っていた。
しかし2014年に初めてワークショップを行ったとき、女性たちの活発さに驚いたという。
「みんな『どうして私を当ててくれないんだ』という感じで、次々と手を挙げ、発言していく。そのエネルギーに圧倒されました」と久保田さん。
休み時間やワークショップ後には、久保田さんや講師陣の前には列ができる。女性たちが自らの体験を聞いてほしいとやってくるのだ。
こうした光景には、アフガニスタン人の通訳者も「公の場で女性が自分の被害体験を語るなんて、アフガニスタンでは滅多にない」と毎回驚くのだという。
女性たちはなぜワークショップで沈黙を破ったのか。久保田さんはその理由をこう推測する。
「講師の方が、とことん被害者に寄り添った姿勢で女性たちに語りかけていくんですね。だから彼女たちも『この空間は何を話しても受け止めてもらえる安全な場所なんだ』と安心して、自分の経験を語り出したんだと思うんです」
久保田さんは「わずか4日間のワークショップが提供できることは多くはないですが」と断りつつ、「エンパワーメントの第一歩は、自分の辛い経験を誰かに話すというところから始まる。そのための“空間”を彼女たちに提供しているということにおいて、この研修の意義があると感じています」と話す。
アフガニスタンの女性警察官の割合は2018年の時点で、警察官全体のわずか4%だ。女性警察官に対する社会の偏見も根強く、地域住民や男性警察官からの嫌がらせやセクハラなど、解決すべき課題は山積みだ。
しかし、ワークショップを終えた新人警察官の言葉には確かな希望が感じられる。
<私が暴力を受けた時、力になってくれる人はいなかった。だからこそ、私が警察官になって弱者を助ける仕事がしたい。社会が安定し、正義が支配する社会になるまで、女性への暴力がなくなるまで、警察官として働きたい(性暴力被害者 20歳)>
「アフガニスタンの女性たちは、決してかわいそうな“被害者”ではないんです。過酷な環境に置かれながら、それでも自分の人生を作っていこうと必死に前に進もうとしている」
そう力強く語る久保田さんの言葉に、この国の女性たちが安心して自由に生きられる未来を願わずにはいられない。