ベルリンと日本を比べて感じる「社会人」という概念の違い

ベルリンで出会うこうしたフリーランサーたちは生活のための仕事は割り切ってやっている印象が強いです。それよりも…

どうも、wasabi(wasabi_nomadik)です。

今日は私のブログがどんなキーワードで検索されるかアナリティクスで見ていたのですが、「社会人とは」というワードで検索する人が圧倒的に多く、この言葉に違和感を持っている人は意外と多いみたいです。そりゃそうですよね、本当に変な言葉だもんコレ。

私の基本的な考えは上記の過去記事を読んでもらうとして・・・。

去年はベルリン在住の日本人フリーランサーをたくさん取材した私。今はドイツ人やその他近隣ヨーロッパからやって来たフリーランサー達を取材しているのですが、改めて「社会人」という概念が日本とベルリンでこんなにも違うのか!といろいろ気がついたことがあったのでシェアしてみます。

「自分の生計を立てている仕事=肩書き」の図式がない

ベルリンにはたくさんのフリーランサーがいます。物書き、アーティスト、エンジニア、などなど・・・もちろん、自分の肩書きの仕事で主な収入を得ている人もいるのですが、自分で名乗る肩書きで生計を立てていない人もたくさんいます。

例えば、自分のことを「フリーランスのイラストレーター」と名乗りつつレストランで働いて生活している人、フォトグラファーと名乗りつつ洋服屋さんで働いている人など、日本だったら「それってただのフリーターじゃん」と思われそうですが、ベルリンで出会うこうしたフリーランサー達は生活のための仕事は割り切ってやっている印象が強いです。

それよりも大切なのは自分が本当に好きなこと。皆、それ一本で食べていけるように少しずつベルリンでチャンスを掴みながら頑張っています。

誰も、そういう働き方をする人に対して「フリーター」とか「社会人じゃない」という区別はしません。

むしろ、そうやって自分で名乗る肩書きを重視してくれる風潮さえあります。

「文化だから受け入れなければならない」という考え方がそもそもない

日本の「社会人」という言葉に疑問を感じている人は、このベルリナー的考え方に共感できる人が多いかもしれませんね。

でも、日本に住んでいる限り海外では通用しない「社会人」という概念がまだまだ根深く浸透していてその差に苦しむ人もいるかもしれません。(私がそうだった)

海外ではそういう考え方はないし、なんかおかしいって思っても、「ここは日本なんだから、日本の文化を受け入れるべき」とか言われると、腑に落ちないながらも自分の無力さを感じて「そっか・・・。」と思ったりしたものです。

でも最近、この考え方自体もかなり脈絡がなかったのだと気がつきました。

「ベルリナーは人生を楽しんでいる人が多い!」DMM.comでのセミナーより。

なぜなら、ベルリンには「ここはドイツなんだから、ドイツの文化を受け入れるべき」と言う人なんて全くいないからです。

それはベルリンがある意味ほかのドイツの都市とも違って国際的な場所だから、ドイツ色が特別薄いというのも理由としてあります。

でも、ここは日本なんだから、ここはドイツなんだから、これが文化だから・・・

だから、従わなければならないのか?

それが、そもそもおかしい。

なぜならここが日本であろうとドイツであろうと、その前に「私は私」だからだ。

「私は私」が大前提のドイツ

最近、作家のサンドラ・ヘフェリンさん原作の新作漫画を読んだのですが、そのコラムに面白い事が書かれていました。

「国の法律よりも〇〇が優先される社会」というコラムで、日本の社会は国の法律よりも「企業独自の規定」が優先される社会だということを捉えた話です。

どういうことかと言うと、例えばドイツでは国の法律が一番なので国が発行している「パスポート」が何よりも最高の身分証明書になるけれど、日本の場合はビデオ屋で会員証を作ろうとすれば、パスポートではなく公共料金の支払い証明書という「企業の書類」が優先されることもあるというたとえ話を出しています。

他の例で言えば、国の法律では髪の毛を染めて良いことになっているのに、学校では髪の毛を染めてはいけなかったり。

それって考えてみれば、国の法律よりも学校の規定の方が優先視されている状況なんですよね。

ドイツ人からすると、国の法律>企業の規定という図式がありますが、日本の場合このへんが曖昧でごちゃ混ぜになっているようです。

そして、ドイツの場合「私は私だ」という個人の「人権」が国の法律の一個手前にちゃんとあるように思います。図式で言えば、

人権>国の法律>企業の規定

ですね。

ここからも分かるようにドイツ人にとっての「仕事のルール」ってめちゃめちゃ低い位置にあるんです。

日本の場合、「企業の規定>国の法律>人権」みたいに真逆になっているパターンがよくありますよね。

どういうことかは言うまでもなく・・・。

こういう図式からも分かるように、ドイツ人にとって「なんかおかしいな?」と思う文化を尊重する考え方は皆無だと言っていいでしょう。

そのず〜っと前方に「私は私」という考えが根底にあるからです。

要するに、「俺がルール」ってやつですね。

そういうジャイアンがいっぱいいるとそれはそれで大変な時もあるけど、個人で話し合って解決すればOKという簡潔さがあるのも事実。

こういうドイツの考え方、どう思いますか?

私は日本も「人権を尊重する」っていう考え方に共感を示しているなら、道筋立てて優先順位をはっきりさせるべきではないかと思います。

そうしないと、いつまでも「社会人」という曖昧な概念に混乱する若者が後を絶たないでしょう。

(2016年3月26日「WSBI」より転載)

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