20回を数えた安倍晋三首相とウラジーミル・プーチン・ロシア大統領の首脳会談は、この1年、本筋と関係のない4島での共同経済活動ばかり討議され、領土帰属問題は難航との見方が支配的だが、実は首脳会談で必ず行う2人だけの密室会談では帰属問題を協議しており、一定の進展があり得るとの見方が一部で出てきた。
北方領土最終解決も?
米有力誌『ナショナル・インタレスト』(電子版、12月12日)は、日ロ両国の安全保障対話が進展しており、「いずれ、両国は北方領土問題を解決する可能性がある」と報じた。
同誌は12月初旬に行われた、ロシア軍制服組トップのワレリー・ゲラシモフ参謀総長の訪日に注目。日ロ両国が海上防衛分野での協力拡大で一致した、と伝えた。日本のメディアでは、「日米韓訓練に懸念表明=ロシア制服組トップが小野寺防衛相に」(『時事通信』)、「ロ軍幹部が北朝鮮で小野寺防衛相をけん制」(『TBSテレビ』)などと対立面ばかり報じられたが、ロシア軍参謀総長が、対立だけが目的で約7年ぶりに訪日するはずがない。
同誌は、「参謀総長は日ロ防衛交流を高いレベルで進める用意があると伝えた」とし、ロシア側の情報として、来年、日ロ間で30以上の合同訓練が実施されると報じた。その上で同誌は、「日ロの協力は防衛面だけにとどまらない。クレムリンはもっと包括的な取引を試みているようで、クリル(千島)問題の最終解決に到達するかもしれない」と書いた。
米軍不使用が条件
モスクワのロシア国立研究大学高等経済学院欧州・国際問題研究センターのワシリー・カシン研究員は同誌に対し、「日ロ間で外交、防衛トップの2プラス2協議が再開されたが、戦略協議は両国の包括的和解の一部でしかない。今後数年間に、経済協力を拡大しながら、領土問題を解決する現実的可能性がある」と指摘した。カシン氏によれば、両国間では領土問題を最終決着させるため、千島の地位をめぐる交渉が行われており、「失敗するかもしれないが、双方は真剣に協議しており、交渉内容は機密にされている」という。
同誌は、「1つの解決策は、経済・技術協力を著しく拡大する見返りに、ロシアが島を返還することで、その場合の条件は、返還される領土に米軍を置かないことだ」と分析した。かつて、ミハイル・ゴルバチョフ旧ソ連大統領は、北大西洋条約機構(NATO)の不拡大を西側に文書で約束させずに東欧諸国からソ連軍を撤退させた経緯があり、ロシアは歴史の教訓を学んでいるという。カシン氏は「係争地の一部にせよすべてにせよ、一定の制限が付けられる。引き渡される領土に米軍のプレゼンスをゼロにすることだ」と強調した。
カシン氏は「その場合、米国は日中間の係争地である尖閣諸島も防衛義務の対象から外す可能性があり、日本政府は日米同盟を弱体化させるとして受け入れを憂慮するだろう」とコメントしている。同氏は「もう1つの問題は、係争地は狭い領土にもかかわらず、日ロの強硬な民族主義者があらゆる譲歩に反対していることだ。だから両国指導部は、民族愛国勢力が干渉しないように交渉を秘密にしている」と述べた。
カシン氏は気鋭の若手中国専門家だが、日本専門家ではなく、どこまでクレムリンの情報にアクセスできるか不透明だ。
ロシア保守派が反発
この『ナショナル・インタレスト』の報道に対して、ロシアの保守派が早速噛み付いた。民族愛国派の日本専門家、アナトリー・コシキンモスクワ東洋大学教授はネット情報サイト『レグナム通信』(12月14日)で、「カシン氏は情報源やその信憑性について何も明記していない」「米国の権威ある雑誌が他のソースにあたらず情報を丸呑みして報じるのは異常だ」と指摘した。
コシキン氏は「日ロ首脳会談では必ず1対1の協議が行われ、その内容は一切公表されない」ことから、カシン氏が何を根拠に自信を持って機密を暴露するのかと批判。経済協力の代償としての島の引き渡しについても、「島を取引材料にしない」と何度も発言しているプーチン大統領やセルゲイ・ラブロフ外相の約束と矛盾すると指摘した。さらに、ロシアの世論調査では90%以上の国民が島の割譲に反対しているとし、ロシア外交官もこの報道を「有害」とみなしており、究明する必要があると訴えた。
『レグナム通信』によれば、北方領土を管轄するサハリン州の記者らが、12月14日のプーチン大統領の記者会見でこの報道を大統領に直接ただそうとした。しかし、地元の記者は指名されず、3時間半に及んだ会見で日本への言及はなかった。
「二人の世界」
日ロ交渉では、安倍・プーチン・プロセスの総決算だった昨年12月のプーチン訪日で、領土問題が事実上のゼロ回答だったこともあり、平和条約交渉の難航説が強まった。大統領はその後の会見で、「島を日本に引き渡したら、そこに米軍基地が作られる恐れがある」(6月1日)、「平和条約については、多くの挑戦がある。われわれは日本が安全保障上のパートナーに負う義務を注視せざるを得ない。(平和条約締結は)誰が政権の座にあるかに左右されない。安倍かプーチンかといったことは重要ではない」(11月11日)などとハードルを高めている。
日ロ交渉の焦点は共同経済活動に移り、領土線引きは後回しとなった。共同経済活動が行われたところで、それが領土画定にどう作用するかも不透明だ。日ロ交渉へのメディアの関心も激減した。
だが、近年の日ロ首脳会談で必ず行う「差し」の会談で、両首脳が共同経済活動や元島民の墓参だけを話しているとも思えない。平和条約締結の必要性を訴えるプーチン大統領は、領土問題が決着しない限り条約締結があり得ないことを認識しているはずだ。
この点で、首相官邸筋は筆者に対し、「安倍・プーチン会談のテタテ(記録係も同席しない1対1の会談)の部分は通訳しか同席せず、われわれも一切内容を聞かされていない。信頼関係が深まり、『二人の世界』がある。そこからサプライズが飛び出す可能性も否定できない」と述べた。
往年の石原裕次郎の歌の世界だが、日本側は来年3月の大統領選を経て、プーチン大統領が5月に就任した後が勝負とみているようだ。
「日ソ共同宣言」履行策を協議か
こうした中で、意外な角度から秘密会談の内幕を示唆する情報が出てきた。『週刊文春』(12月21日号)は、2014年から安倍首相の通訳を務める外務官僚のA氏が出会い系アプリで女性漁りをし、知り合った女性と食事した時に交渉の一端を暴露していた、と報じた。
同誌によれば、女性は「彼は得意げに日ロ外交の裏話も話していました。『プーチンは政治だけでなく、サイバー攻撃や核開発にも詳しい手ごわい政治家』とか『これから2島返還の話になるだろう。自分の役割も大きなものになる』なんて話をしていました」と明らかにしている。
通訳が日本外交の最も機微な部分である日ロ首脳交渉の内容を第3者に話すのは機密漏えい違反だが、この報道が事実なら、記者や専門家らが最も知りたかった部分に肉薄している。安倍、プーチン両首脳はやはり、密室会談で線引きの問題を話し合っていたのだ。プーチン訪日前の昨年秋にも、「最低でも2島」(『読売新聞』)、「北方領土で共同統治案」(『日本経済新聞』)などと誤った楽観論が報じられた。しかし、秘密交渉の内実を知らされていない高官が意図的に流すリーク情報よりも、通訳が女性に語った内容の方が、信憑性が高いとみられる。
カシン氏は「係争地の一部にせよすべてにせよ、(返還には)一定の制限が付けられる」とし、4島返還の可能性にも言及したが、A氏の女性への発言から、「2島」の攻防であることが分かった。両首脳は、平和条約締結後の歯舞、色丹引き渡しをうたった1956年日ソ共同宣言を基礎に交渉し、その履行策を協議している可能性が強い。
国後、択捉についてプーチン大統領が帰属協議に応じる姿勢を見せたことは1度もないのに対し、日ソ共同宣言履行については何度も言及しており、公約違反に当たらない。来年5月以降に再開される首脳交渉は、「2島」が焦点に浮上しそうだ。(名越 健郎)
名越健郎 1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。