(A First Farewell 第一次的离别/2018/中国)
―第31回東京国際映画祭「アジアの未来」部門作品賞受賞作―
トランプ大統領の登場で、中国と米国の貿易摩擦が世界経済を揺るがしている。中国の経済成長も頭打ちとなっている。国全体としては人口13億人の大国であり、民族は漢民族が9割以上を占める。しかし、加えて55民族が中国国内の周辺に暮らしている。その"周辺"の様子が良く分かる作品である。
中国の地方を舞台にした本作は、この地域の"日常"が描かれている。美しい風景の中における子供たちが映像の中心。それもそのはず、地元出身の新人女性監督リナ・ワンが「故郷に捧げる詩」とした作品だからである。中国映画界では、最近、内モンゴル、チベットなど自治区出身の監督が次々に成長している。
中国の地方の乾燥した農村が舞台、主人公であるムスリム(イスラム教徒)の少年アイサは小学生で、聾唖でときどき家を抜け出して徘徊する母の面倒を見ながら、父親の農作業も手伝っている。アイサは仲の良い同級生の少女カリビヌールと一緒に遊びながら羊の世話をしている。一方、カリビヌールは"中国語"の成績が悪く、彼女の母親は中国語を習得しなければ将来がないと考えている。やがてアイサの母は養護施設に入ることになり、別れがやってくる。アイサにとってみればそれが初めてで、別れが続いてやってくる・・・。
その、風景は一時期の日本の地方のようにも思えた。農業では食べて行くのが難しくなり、都会への人口が移動始める。この作品の場合は、民族が違うので「言語」の壁もある。それは、戦前の日本が海外に移民していった歴史とダブル。しかし、現在の日本も同様で国際的な仕事において英語は必須となりつつある。
そもそも、現代の日本の地方の問題ともダブル。おカネだけばらまいてもダメで、企業・産業の育成こそ大事なである。その課題はアベノミクスでは地方銀行が担っている。金を貸すのではなくて、"人"を貸して、企業・産業を育成させようとしている。大変良い切り口ではないかと考えている。
筆者はよく海外出張する。この映画の舞台もアジアであるが、とくにアジア諸国で電車に乗ると、特に若者が必死に勉強する姿を見ることが多い。日本では若者も大人も、電車の中ではゲームをしたり、スマホをいじっていて、とても勉強しているようには見えない。それはあくまでも一面であるが、日本の国民の"やる気"や"能力"自体も低下が著しい。道徳観も低下し、犯罪も増えている。これではアジア諸国に追い抜かれるのも時間の問題である。言い方が難しいのであるが、前向きに勉強を継続する気持ちを持ち続けることが大事である。道徳や修身というか、自分で人生を切り開く気持ちを持たせることを教育することこそが必要ではないか。
しかし、スタートアップと呼ばれるフィンテック新興企業に犯罪が多いのもまた残念なことである。これも"そもそも"のところが出来ていないからではないか。