ホロコーストを生き延びた96歳のボリス・ロマンチェンコさんが、ロシア軍の攻撃で死亡した。ブーヘンヴァルト&ミッテルバウ=ドーラ追悼財団が伝えた。
NPRによる同財団のツイート翻訳によると、ロマンチェンコさんは 、ブーヘンバルトやドーラ、ベルゲン・ベルゼンなど複数の強制収容所を生き延びたホロコースト生存者だった。ウクライナの都市ハリコフで、住んでいた高層住宅がロシア軍に攻撃されたことで、3月18日に亡くなった。
同財団は「私たちは言葉を失っている」と悲しみと怒りをつづっている。
BBCによると、ロマンチェンコさんは1926年にウクライナ北東部のボンダリで生まれ、1942年にドルトムントに送還されされた。
そこで強制労働に従事させられ、逃走を試みたものの失敗し、1943年にブーヘンバルト強制収容所に送られたという。
ブーヘンバルト強制収容所では、約5万6000人が殺害されたと推定されている。
ここを含む複数の強制収容所を生き延びたロマンチェンコさんは、ナチスの犯罪の記憶を風化させないための活動に積極的に携わり、ブーヘンバルト・ドーラ国際委員会のウクライナ副代表を務めていた。
2015年に行われた1945年のブーヘンバルト強制収容所解放を祝うイベントでは、「平和と自由の新しい世界を作る」というブーヘンバルトの誓いを読み上げた。
ホロコーストを生き延び、平和を願い続けたロマンチェンコさんの殺害を、ウクライナのドミトロ・クレバ外相は「言語に絶する犯罪」と激しく非難。「ヒトラーを生き延び、プーチンに殺された」とツイートしている。
クレバ外相のツイート:彼は最近までハリコフで静かに暮らしていたが、先週の金曜日にロシア軍に家を爆撃され、殺された。言語に絶する犯罪だ。ヒトラーを生き延び、プーチンに殺された
ロシア軍は3月1日には、首都キエフのテレビ塔と隣接するバビ・ヤール追悼センターを爆撃した。
バビ・ヤールはナチスが1941年に2日間で約3万3000人のユダヤ人を殺害した場所で、ゼレンスキー大統領はこの攻撃の後、「バビ・ヤール跡地に爆弾が落とされても世界が沈黙を守るのであれば、『決して繰り返してはいけない』と80年間言い続けたのはなんだったのでしょう」と世界に訴えた。
国連はロシア軍によるウクライナ侵攻が始まってから3月20日までに、925人の市民の死亡が確認と発表したが、実際の死者数はもっと多いだろうとしている。