アメリカ同時多発テロからあと4ヶ月あまりで20年。その時ニューヨークに学生としていた私にとって、忘れられない光景がある。911現場近くでのダイナー(食堂)の中でのことだ。
2001年9月11日のニューヨークの朝、窓の向こうには日差しがあふれ、ハドソン川が煌めいていた。いつもの朝が始まっていた。
学生寮のベッドのそばで、携帯電話が鳴って取ると、東京からだった。母が緊迫した声で伝えてきた。「テレビをつけて。大変なことが起こっている」
当時、私は現地の大学院生で、学校に行く準備をしていたと思う。ケーブルテレビのCNNをつけると、ワールド・トレードセンター(WTC)が煙を上げている様子が映し出された。間も無くして、飛行機が突っ込んだ。2機目だという。
人それぞれで流れる時間が違う「時の歪み」
「これは大変だ。パンがなくなる」
2つの川に挟まれたマンハッタン。橋が封鎖されれば食糧がなくなるかもしれない。
すぐに学生寮を飛び出した。近くのマーケットにパンを買いに。
しかし、大通りへ出ると、そこには、いつもの時間が流れていた。
スマホはない時代。事件を知らない人が大半だった。
狐につままれたような気分。
するとなぜか「ワールドトレードセンターまで行こう」という気持ちになり、スーパーの前あたりでダウンタウンに向かうバスに乗った。貧乏学生でタクシーに乗るお金はないのでバスだったが、ニュースメディアでインターンをしていた経験から、カメラは持ってきていた。
バスに乗ると、若い女性たちがキャッキャと笑い声を上げて、おしゃべりをしている。一人焦っていた私は、変な気分になった。
しかし、少しして、運転手がラジオの緊迫した状況を伝える音声を車内に流し始めると、バスの中は打って変わったものになった。悲鳴のような声が上がったかもしれない。
119丁目からワールドトレードセンターのあるダウンタウンまでは、120ブロックあまり下る必要がある。バスはタイムズスクエアの42丁目までだったので、いったん、タイムズスクエアで降りた。
当時はスマートフォンがないため、頼りにするのはラジオや大型画面から流れるニュースだけだ。普段は陽気な映像ばかり流れているタイムズスクエアの大型スクリーンには、ワールドトレードセンターの様子が映し出され、それを見上げる人々で溢れていた。
バスからおろされてからは、8th Avenueを小走りを交えて下っていった。
嗅いだことのない変な臭い。扉を開けると別世界が
遠くにグレーの煙が立ちのぼっているのが見えた。灰まみれで歩く男性や、道端に座り込んで大きな声で泣いている女性がいたり。扉を開けた車から流れるラジオに人だかりができていた。
だんだんと近づいているのがわかる。
ワールドトレードセンターから数ブロックのところまでいくと、規制線が張られていた。そこにはあらゆる人がいた。警察官、報道陣、消防、地元の住民、メッセンジャー ....。煙っぽいような、砂っぽいような、嗅いだことのない変な臭いもする。
そのそばに食堂があった。ガラス戸には「どうぞ勇敢な消防員、警察官、自由にトイレを使ってください」という張り紙が。
扉を開けるとそこは別世界。いい匂いが漂い、注文が次々に入っていた。
パンケーキを頬張る老夫婦、ミルクシェーキを飲んでおしゃべりする若い家族...。その隣の通路を、灰まみれの消防員や警察官がトイレに通うことだけが、すぐ側で事件が起こっていることを感じさせた。
「こんな時でも人は、人はパンケーキを食べられるのだな」
非日常の中でも、もりもりと食べる。人の性ーー。
有事の時に人は
学生寮を出発してわずか数時間の間に、強烈な現場と、その現場に取り込まれていない人の時間感覚をいったりきたりした。事件が起きた時、人それぞれで違う「時間の歪み」だ。
それと似たようなことを感じることになったのは、東日本大震災だ。10年前の現地取材で、大きな揺れが収まった後、途中だった掃除機をかけ続けたという人がいた。
有事の時、人は日常どおりの行動を取ろうとすることがあるのだという。パンケーキを頬張っていた人は、もしかしたら、「信じたくない事実に直面し、何も起きてないかのようにいつもの行動をとっていた」とも言えるのかもしれない。
自分にとっての「事実」にしなければ、違う時間が流れる。
目に映る景色と流れる時間は、有事だからこそ人それぞれ違うのかもしれないと感じた。
【ハフポスト日本版・井上未雪】
(朝日新聞「エーダッシュ」(2021年春号)の原稿に加筆・編集しています)