アメリカ・マサチューセッツ州の沖で発見された難破船・ウィダー号から、新たに海賊と見られる6人の骨が見つかった。
ウィダー海賊博物館によると、遺骨は「伝説の海賊」と呼ばれるサミュエル・ベラミーの部下だと考えられているが、ベラミー自身の可能性もある。
伝説の海賊、サミュエル・ベラミー
ベラミーはイギリスのイングランド出身で、多くの船を襲って富を手に入れたことから、最も裕福な海賊と呼ばれてきた。
ベラミーは1717年、ウィダー号に乗船中にマサチューセッツ州のコッド岬沖で消息を絶った。
そのウィダー号は1984年に、探検家のバリー・クリフォード氏によって発見され、調査が進められている。
クリフォード氏は今回の6人の遺骨発見について、「最新のテクノロジーで、身元を明らかにしたいと思っています。そして存在している可能性のある子孫と引き合わせたい」とボストンTV局のWHDHなどに語った。
見つかった遺骨は、コンクリーションと呼ばれる鉱物の塊に覆われているという。
海のロビンフッド
ニューイングランドの歴史を発信する「ニューイングランド・ヒストリカル・ソサエティ」によると、ベラミーは「海のロビンフッド」と名乗り、クルーを「ロビンフッドの部下」と呼んでいた。
また「ブラック・サム」というニックネームでも呼ばれた。当時流行だった髪粉をつけたかつらではなく、黒髪を生やしていたことに由来するという。
さらに「ベラミーは海賊船をとても民主的に運営しており、自分の部下である奴隷や先住民族や船乗りたちを平等に扱った。そして重要な決定は投票で決めた」とニューイングランド・ヒストリカル・ソサエティは説明する。
ウィダー号自体も、ベラミーが奪った奴隷船だ。
「ウィダー号の乗組員の3分の1がアフリカ出身でした。ベラミーらが奴隷船であるウィダー号を奪ったということから(彼らの行動を)全く新たな観点から見ることができます。伝説的なブラック・サムことサミュエル・ベラミーとその乗組員は、いわゆる文明社会より先に、民主主義を取り入れていたのです」とクリフォード氏は説明する。
ニューイングランド・ヒストリカル・ソサエティーによると、ベラミーらは53もの船を襲撃して最も裕福な海賊と言われたものの、捕虜を殺した記録はない。またベラミーの海賊の船長としてのキャリアは短く、1年ほどだった。
1984年にマサチューセッツ沖で見つかった時、装飾品からウィダー号だと識別された。見つかった装飾品には、船の鐘も含まれている。
今度こそ本人か
ウィダー号を調査する科学者たちは、2018年にも遺骨を発見している。
ピストルとコインを身につけていたことから、科学者たちは遺骨はベラミーのものではないかと考えたが、イギリスに住むベラミーの子孫のDNAと照らし合わせた結果、遺骨は別の乗組員のものだった。
研究者の一人キャシー・シャーマン氏は「あの時の遺骨は、地中海東岸とつながりのある男性のものでした。今回発見された遺骨で、ベラミーとのつながりが見つかるかもしれません」と、ベラミー本人の遺骨発見への期待を語った。
難破船が見つかった場所では新たな発見が続いており、そのほとんどは、ウィダー海賊博物館に展示されている。
博物館のウェブサイトには「難破した時、ウィダー号には、ベラミーらが50もの船から略奪した貴重な品々が積まれていました。そのためウィダー号のコレクションは、18世紀の様々な文化の前例なき代表となるでしょう」と書かれている。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。(翻訳:安田聡子 @satokoysd)