災害ラジオ局で考えた「メディアの経済的循環」

当たり前ですが、メディアを運営し続けていくにはお金が必要です。だからこそ僕はツイッターでも、このメルマガでも意図的にかなりぶっちゃけモードで「メディアのマネタイズ」の話をするようにしています。情報で世界を救うことはなかなかできないかもしれないけど、情報で今立ち止まっている人の背中を押すことはできる。

現在全国で公開中の『ガレキとラジオ』を見てきました。これは津波の被害がひどかった宮城県南三陸町に震災直後生まれた災害ラジオ局「FMみなさん」ができてから2012年3月31日に閉局するまでを描いたドキュメンタリーです。

わずか1年足らずのラジオを南三陸町に何をもたらしたのか。期間が限られていたからこそ、彼らは放送をするだけじゃなく、町のために何ができるのか真剣に考え、あるイベントを企画するのですが......。

詳しい内容はぜひご覧いただければと思うのですが(ちなみに僕は途中からずっと泣きながら見てました)、映画を見ていて僕が考えたのはやはりラジオというメディアのことでした。ラジオが良い、人に思いが伝わるメディアであるというのは、ラジオ好きな俺としては当然のことで改めて主張する必要はないんですが、そんな暖かいメディアであるラジオ、基本的にはどこも収入が激減していて存亡の危機にさらされています。

この「FMみなさん」も町の予算が逼迫し、これ以上続けられないという理由で1年足らずでその役目を終えました。9人のスタッフの時給は850円。1人あたりの月収はわずか12万円。当然ながらこの収入で日々暮らすのはかなり厳しいわけです(そのこともストーリーのフックとして組み込まれています)。

しかし、12万円×9人となると月に人件費だけで108万円。1年にすると1296万円、ラジオ局の運営にかかります。「FMみなさん」が南三陸町にもたらしたさまざまな「希望」は間違いなく1000万円以上のものがあった。しかし、同時に「行政」はそれを客観的に評価することができないだろうな、と。

ラジオが良いのはとにかく放送するコストが安いことです。最近はネットもあるので、放送をサイマルにすればUstやニコ生使って全世界に発信することもできる。あとは情熱とセンスがある人をラジオにつなぎとめる経済的循環さえ作れればいいんです。しかし、それが一番難しい。『ガレキとラジオ』を見ていて、途中からずっとそのことを考えていました。

2011年の東日本大震災直後となる5月19日、資生堂は、東日本大震災の被災者に向けた支援活動として、岩手、宮城、福島の3県のコミュニティFM局と臨時災害FM局にコンテンツと支援金を贈ることを発表しました。また、資生堂の人脈で芸能人に応援メッセージを録音し、それらのコミュニティFMや災害FMに「コンテンツ素材」として提供したのです。僕はこの支援活動を聞いたとき、ほかの企業ではなかなかできない気の利いた支援活動だなといたく感心しました。

しかし現実は厳しく、震災後生まれた臨時災害FM局の半数は閉鎖を決めました。

FMみなさんの例をめっちゃ単純化して考えると、年間1000万円前後の予算があれば、被災者の被災者の心と心をつなぎ、立ち上がって生きていくためのコミュニティを作ることができるとも言えます。年間1000万円は決して安くない金額です。

でも、資生堂のようなCSR活動を「継続的」にしてくれる企業が日本に100社でも存在すれば、実はかなりのコミュニティFMや災害FM局が救えたはずなんです。

震災から2年を経て、日本国民の、そして企業のCSR活動を通じた東北への興味・具体的な支援は急速に失われています。どうすればその状況下で支援を継続的に行う仕組みを作れるのか。被災地はどこも同じ課題を抱えています。

当たり前ですが、メディアを運営し続けていくにはお金が必要です。だからこそ僕はツイッターでも、このメルマガでも意図的にかなりぶっちゃけモードで「メディアのマネタイズ」の話をするようにしています。情報で世界を救うことはなかなかできないかもしれないけど、情報で今立ち止まっている人の背中を押すことはできる。

公益的な情報環境を守るというのは、実は自分たちの生活や心、コミュニティーを守るという効果もあるんですね。

情報で世界を救うためには何が必要なのか。多分答えは一生出ないと思うけど、それを追い求めて生きていきたいし、そのために僕はひたすらメルマガの感想リツイートを続けようと思っています。なんつって。

情報で世界は変わるのか。変わりますよ。「変えよう」と思う人が一定以上現れれば世の中は動くんです。

(この記事は、2013年5月17日発行の有料メルマガ「津田大介の『メディアの現場』」vol.77の冒頭部分の転載です。有料メルマガの申し込みは、こちらからできます)

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