僕の子供は「台日系アメリカ人」。日本を離れて20年以上経った今、思うこと

二国以上にまたがって暮らす人々に二重国籍を認めて何の不都合があるのだろう。
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生まれ育った東京を離れ四半世紀。数年のつもりで留学したカリフォルニアで台湾出身の女性と出会い家庭をもった。子育てに励んだ20余年の後、住み慣れたバークレーからニューヨークに転勤して5年になる。

妻は アメリカの国際政治下では見えない国、台湾の国籍にこだわり続けてきた。台湾からの移民が幅を利かすニューヨーク市クィーンズ区のフラッシングに引っ越して来てからは、台湾語を話し御当地グルメを楽しむ集まりも頻繁となりさらに生き生きとしているようにも見える。レストランや商店でも北京語が標準語として話される日常。一体ここはニューヨークなのかと眼や耳を疑うことも、しばしばだ。

バークレー生まれの子供たちは、自分自身を "Taipanese-American" 「台日系米人」と呼ぶ。江戸っ子の父と台湾国籍の母をもち、カリフォルニアに生まれニューヨークに暮らすという自分たちの生い立ちを誇りとしくれることがありがたい。自然と自分自身の「日本人らしさ」を意識し、それと向き合う毎日。いくらアメリカ生活が長くなっても自分のなかの「母国日本」の存在は変わらない。

"Which do you prefer, Japan or the United Sates?" 「日本がイイ?それともアメリカ?」とよく尋ねられる。それはちょうど子供が「ママが好き?それともパパ?」と尋ねられるのに似ている。幼い頃は「ママ」とあまり考えもせず答えられた。というのも国家公務員だった父は地方出張が多く、母が「うちはsingle parenting familyだから」と冗談を飛ばすような家庭に育ったから。

その母も4年前に他界し、父も90歳代半ばを過ぎた今、親がいてくれるという有難さを遅ればせながら思い知った。父は父、母は母という其々の存在を大切にしたいと思う。"Mother country is mother country, but I chose to live here." 「母国は母国。でもここを選んで住んでいるけどね。」と答える。

"You are less-than Japanese." 「半人前の日本人」 "Not Japanese enough." 「不十分な日本人」。この批判がともにアメリカで暮らす日本人の同胞から私に投げつけられた時、アメリカ人の友人たちはそれを聞き言葉を失った。彼らの眼には私は「日本人」以外の何者でもないからだ。

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二重国籍の許されない日本国民にとって、アメリカ人になるということは、日本国籍の喪失を意味する。

現行国籍法 第11条 「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。」

アメリカ生活が十二支一巡りを過ぎて長期化し始めた時、母は普段言わないようなことを口にした。「もしアメリカ国籍を取得することを考えているなら、よくよく考えてね。お父さんは耐えられないでしょうから。」

父は大学生の時、第二次世界大戦の学徒動員によって、「同期の桜」として知られた第14期の海軍航空隊の飛行兵となり多くの友人たちを「特攻」特別攻撃という名のsuicidal missionで失くした。長男である私に「和」と名付けるほど世界の平和をこよなく求める一方、日本という国にこだわって生きてきた世代でもある。

息子として果たすべき責任を子供の頃から諭されて育った自分に日本国籍を捨てるなどということは選択肢外だった。そんな「日本男子たるもの」を重んじる世代に育てられた自分は、いくら父に反抗してみたところで所詮お里は知れたもの。

時代の移り変わりによるa modified versionの日本男子であることに違いない。それでも同胞の眼には私はアメリカに寄り添う不十分な日本人であり、アメリカ人の眼には友好的な異邦人であり続ける。

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自宅から徒歩で行ける距離にUS Openが行われるBilly Jean King US National Tennis Centerがある。今年も大会中何度か足を運んだ。とりわけ大坂ナオミさんの破竹の連勝、女王セリーナ・ウィリアムスに圧勝して日本人初のシングルスタイトルを獲得したことで盛り上がった。

彼女の活躍を報じたアメリカのメディアは繰り返し彼女が「日本とアメリカの二重国籍を取得している」と報じた。 正確には「現在は」という条件が付く。ナオミさんは当時二十歳。10月に21才の誕生日を迎えたので、一年以内、22才に達するまでに日米どちらか国籍を選択しなければならない。(国籍法第14条)

その期限付き二重国籍のことをNew York Timesにも伝えたが、ヨーロッパ諸国を中心に二重国籍が合法化されていることに慣れ親しんだアメリカ人記者には理解し難い。

大坂選手は2020年の東京オリンピックに日本代表として出場する意思を表明していると聞いた。ということは、現行法制化では彼女はアメリカ合衆国国籍を失うことになる。

でもそれはそれ、アメリカのこと。きっと何らかの例外規定を用いて、歴史に残るテニス選手となった大坂選手に「アメリカ人」でもある道を残すに違いない。

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日本も「外国人」の存在なくして将来が立ち行きならない時代となった。これを機に誰もが多国籍、もしくは地球籍を共有できる平和な世界になることを願う。二国以上にまたがって暮らす人々に二重国籍を認めて何の不都合があるのだろう。

国際紛争や戦争があることを前提とする世界では、それは想像するに容易い。しかし誰の眼にもGlobalizationの波は地球の至る所に広がっていることは明らかだ。それでもアメリカ、イギリス、そして日本も、理由や分野はそれぞれ異なるがその波に逆行しようとする。

アメリカでの成人としての暮らしの長さが日本でのそれに近づき、それを越えた頃から自分は "In-between-er" 「間に挟まった者」となったと感じるようになった。

日本人とアメリカ人の間に挟まった自分。日系アメリカ人三世、四世の中にもその「狭間(ハザマ)感」に苛まれる人も多い。そして悩んだ末「自分は自分だ」という曖昧さの中に「自分が何者か」という問いの結論を見いだす。

曖昧な自分に落ち着けない日本人はアメリカ暮らしに馴染めず、ある程度アメリカ生活を楽しんだ後そそくさと日本に帰国する。ことに日本の社会で自動的に優遇措置の対象となる男性にその傾向は強い。最近の医大入試のスキャンダルでもそのことは依然として変わっていないと再確認された。

在米日本人女性はそれとは逆にアメリカ生活が続くことを望むことが多い。気がつくとアメリカでの日本人の友人の数は女性の方が圧倒的に多い。

トランプ大統領を支える「怒れる白人」が、消えゆく「古き良きアメリカ」白人男性優位、あるいは至上主義に必死にしがみつこうとする。先住民以外は皆移民とその子孫であるにもかかわらずだ。

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日本でも同じようなボヤキを耳にすることがある。外国出身の横綱や上位力士、そしてラグビーの日本代表を横目で見て、「ホントウの純粋な日本人」という幻想を追い続ける人々。

そんなことを思うたび、10年以上前の通勤電車の中で聞こえた若者の言葉を思い出す。「就職試験があるから、髪を黒く染めなくちゃ。」彼は茶髪だった。皆黒い髪、黒い瞳。でもよく見れば生まれつき茶色の人だっている。眼の色が薄茶か金色さえに近かった母や姉は幼いころ「ネコ眼」とか「ロシア移民」とイジメられたという。

最近は街中でチャハツ中年や高齢の男性を見かけることもそれほど珍しくなくなった。それを批判的に「昔は良かった」と嘆く人もまだいるであろうが、他人の眼を気にせず、他人に迷惑がかからないのなら自分が生きたいように生きることができる「良い時代」になったとも言える。

ある人にとっての「古き良き時代」は、他の人にとっての悪夢の時代であることが多い。 「新しきより良き時代」の創設こそが共通の目標であることを私たちは忘れてはならない。

SHIORI CLARK
SHIORI CLARK
HuffPost Japan

様々なルーツやバックグラウンドの交差点に立つ人たちは、自分を取り巻く地域の風景や社会のありようを、どう感じているのでしょうか。当事者本人が綴った思いを、紹介していきます。

*寄稿の募集は停止しております。たくさんのストーリーをありがとうございました。

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