1981年発売の初代IBM PCの未開封品が日本で発掘された

なぜIBMはパソコンを作れなかったのか?

初代IBM PC 5150。幅20インチ、奥行き16インチの堂々とした本体。梨地の塗装、キーボードのカールコード、モニタの奥行も時代を感じさせる(Photo by Rama & Musée Bolo / CC BY-SA 2.0 FR)。
初代IBM PC 5150。幅20インチ、奥行き16インチの堂々とした本体。梨地の塗装、キーボードのカールコード、モニタの奥行も時代を感じさせる(Photo by Rama & Musée Bolo / CC BY-SA 2.0 FR)。

なぜIBMはパソコンを作れなかったのか?

 コンピューターの歴史を見ていくと、いくつかの大きな転機を起こすことになったハードウェアがある。1971年に発表された最初のマイクロプロセッサ「4004」、1973年のゼロックス「Alto」、1977年のアップルコンピューターの「AppleII」をはじめとするマイコン御三家といわれた8ビット機たち、もちろん、1984年の「Macintosh」もある。

 そうした中でも、重要な1台が1981年に発売された「IBM 5150 Personal Computer」(いわゆる初代IBM PC)だろう。

 ちょうど1960年代以降のコンピューターの実用化によって、都市の風景が変わった。高層ビルやジャンボジェットが可能になったのは大型コンピューターの計算能力によるものだからだ。金融システムのオンライン化など社会の基幹システムは、我々の気づかないところで大きく変化した。

 同じように人々の生活に最も影響を与えたという点において、現在も綿々と続くPCの存在は計り知れない。いうまでもなく、UIやエンタメ分野においては、Macintosh(Mac)やNINTENDOの存在は大きい。しかし、圧倒的な台数からくる人類史的スケールでみるとPCを抜きには語れない。

 もし、IBMがPCを発売していなかったら人々は、いまとは違った暮らしぶりになっていたことは十分考えられる(経済学者の野口悠紀雄氏は、旧ソ連の崩壊はPCがもたらした分散的なネットワークを持ちえなかったからだと述べている)。

 それでは、この初代IBM PCはどのようにして生まれたのか? 『ビッグブルース』(ポール・キャロル著、近藤純夫訳、アスキー刊)によると、そこまでの道のりは平たんではなかった。1980年7月のIBMの経営委員会で、当時の会長フランク・ケアリーは委員会のメンバーに疑問を投げかける。すでに多くの会社がパーソナルコンピューターを製造・販売しているのに、なぜIBMはそれを製造できないでいるのか?

 IBMが、小さなマシンの価値に気づいていないわけではなかった。しかし、「それまでに作り出したのはデータマスターや5100といったろくでもないマシンと、こともあろうにあのビデオゲームの会社アタリのつくっている安っぽいコンピューターを買い入れ、これにIBMのロゴをはりつけるという中途半端としか思えない計画だけだった」と、同書にある(「5100」は1975年に発売された同社が世界最初の商用PCとする製品でその大時代感からSF的なネタとして扱われることがある)。

 これに対して経営委員会で返ってきた答えは「PCの計画を提案していたグループに資金がないため」というものだった。かつて、IBMの年間研究開発予算はアメリカ全体のそれの10%に相当するといわれた逸話からすると、文字どおり椅子から転げ落ちそうになる話である。

 しかし、それは本当だった。担当する部門は、あまりに多くのプロジェクトを抱えていてこれに向ける余裕も予算もないというのだった。ケアリー会長は、「今度こそPCを作らねばならん」という決断をして、1カ月で他部門と隔絶した直属のプロジェクトを結成。わずか1年ほどした1981年8月12日に発売されたのが、IBM 5150 Personal Computer、すなわち初代IBM PCだった。

photo by Toshihiro Fukuyama

 IBM PCは、その後、PC/XT、ATといった後継機が登場。そして、互換機を生んだことで文字どおり世界に浸透していくことになる。デファクトスタンダードがどのように生じて、それが何をもたらしたのか? ソフトウェアとの関係や水平分業など、PCインダストリーが牽引して、いまでは常識となった現在のモノ作りを知る最も重要なテキストとして示唆にとんだものだといえる。

日本の倉庫に眠っていた初代IBM PCはどんなハードか?

Photo by Toshihiro Fukuyama

 ところで、この初代IBM PCの完全未開風品が日本のある企業の倉庫に眠っていることが分かった。一説には、米国のネットオークションeBayにも出品されたことがないといわれるレアな状態である。所有者は、株式会社ドライブ 代表取締役の福山敏博氏。福山氏は、1980年代前半に、マイクロマウス株式会社代表取締役として、IBM PCを輸入して業務を行っていた。

 今回、知らされた状況によると、箱は、30年以上に渡って保管されていたために若干のシミやデコボコはあるものの完全に米国から到着したまま開封されていない状態。ほかに、開封されているが箱から出したことのない未使用状態のものもあるという。未開封のまま残っていた理由は、米国では1台でもあれば使い潰すほど使われたIBM PCだが、日本で輸入するユーザーは限られており、ハードディスク内蔵のATを求める傾向が強かったのかもしれない。

Photo by Toshihiro Fukuyama
Photo by Toshihiro Fukuyama
Photo by Toshihiro Fukuyama
Photo by Toshihiro Fukuyama
Photo by Toshihiro Fukuyama

 『月刊アスキー』のバックナンバーを調べたところ、1981年10月号でニュース記事で紹介、同12月号では「コンピューターの巨人IBMがはじめて手掛けたパーソナルコンピューターIBM Personal Computerが、米国IBMよりの直輸入でわが編集部に届きました」という書き出しでカラー7ページのレビュー記事を掲載している。また、1987年10月号では、当時の国内での機運のもりあがりをうけてIBM PC特集を24ページでやっている。初代IBM PCの基本的なスペックは以下のとおりだ。

  • CPU:i8088(動作クロック周波数は4.77MHz)
  • メインメモリ:標準16KB(最大256KB)

  • ROM:40KB

  • サイクル・タイム:メインメモリ 410ナノ秒(アクセスタイム 250ナノ秒)

  • 表示文字数:80文字×25行(ハイライト、リバース、アンダーライン、ブリンクなどのモードを持つ)で、256の文字種を表示

  • カラー:テキストモードでフォアグラウンド16色、バックグラウンド8色、ドットグラフィックで4色(4色×2セットのうち1セットを選ぶ)の場合320×200ドット、モノクロは640×200ドット

  • 標準装備:キーボード、カセットインターフェイス、拡張カードスロット×5、スピーカー、パワーオン=セルフテスト機能、BASICインタプリタ

  • サイズ:20(w)×16(d)×5.5(h)インチ

  • 重量:ディスクなし 21ポンド、ディスク1台 25ポンド、ディスク2台 28ポンド(ディスク=ディスケット)

  • ディスケット(フロッピー)ドライブ:システムユニット内に2台まで5.25インチ(容量160KB)ドライブを実装可能

  • キーボード:20(w)×8(d)×2(h)インチ、6ポンド、83キー

  • 周辺装置:IBM Matrix Printer(信州精機MP-80をベース)、ゲーム用コントローラを接続、通信インターフェイスを本体スロットに装着して大型機端末として使用可能

  • 価格:1,565ドル~

ソフトウェアとして注目できるのは、やはりPC-DOSとBASICだ。PC-DOSは、いわゆるMS-DOSであり、BASICはカセットとディスク、さらに高機能版のアドバンストBASICがある。アプリケーションでは、「EasyWriter」(ワープロ)、「MultiPlan」(表計算ソフト)、「Adventure」など多数が用意されるとある。

 i8088の搭載は、当時も話題となった。このCPUはインテルの8086の命令セットを持ち16ビット並行処理を行うもののデータバスが8ビットで、1ワードの転送を2回に分けて行う。そのために効率は落ちるがハードウェアのコストを低減できる。メインメモリの16KBは、いまとなっては極端に少なく見えるが、最大搭載可能とする256KBは、月刊アスキーは「なんと!」と感嘆符付きで書いている。

 ちなみに、初代IBM PCの時代にポピュラーだった8086から40周年を迎えた今年、インテルは「Core i7-8086K」をリリースした。ムーアの法則的に見ると、8086のトランジスタ数は29,000個に対して、8086Kは20~50億個だと噂されている(ざっと10~20万倍)。動作クロック数は、5MHzから5GHzと約1,000倍になっている。単純に数字だけみると自転車とジェット機を比較するような感覚になる。

 もっとも、全体のデザインとハードウェア、ソフトウェアの構成は、その後の16ビットマシンから現在のWindowsマシン(いまも大手量販店に行けばずらりと並んでいる)の直系の祖先であることが誰の目にも明らかだ。IBM PCのズッシリと重い本体、精悍なデザインやいかにも当時のコンピューターらしい梨地塗装、キーボードなど、直接触れたことのない者にも原点に立ち返った感動を蘇らせるものがある。

初代IBM PC開封の儀

 IBM PCのあと、日本アイ・ビー・エムの大和事業所のエンジニアたちが、現在のThinkPadにいたるまでの同社のパーソナルコンピューターの開発を担当して作っていくことになるのはご存じのとおりだ。初代IBM PCは、世界のPCの原点であると同時に、我々の知っているIBMマシンにとっては地続きの歴史だったわけだ。

 そこで、この初代IBM PCが発売された8月12日(日)に、実際に箱から出して"タッチ・アンド・トライ"してみようという話を、元日本IBM PC市場開発で DOS/V企画者の一人としてモバイル戦略を担当した竹村譲氏からお聞きして一緒にやらせてもらうことになった。

 PS/55やThinkPad、あるいはユーザーとの接点であるキーボードやトラックポイント、そしてDOS/Vは、どのように作られたのか? PCがデファクト化して市場もユーザー環境も変化する中で、どのように考えて設計されたのか? 日本はとくにモバイルPCに関して優れたマシンが多い中でもIBM(現在のレノボ)製品は、とくにこだわりと品質が評価される。

 今回見つかった初代IBM PCのうち1台は、その開封イベント「UNBOXING THE PC/初代IBM PC開封の儀 ~登壇者17名!初期のPC、DOS/V、ThinkPadの担当者たちが語り尽くす~」で箱から出して電源が入れられる。また、完全未開封の初代IBM PCは、米国ネットオークションのeBayへの出品が予定されている。

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