2010年にパートナーと結婚式を挙げ、彼の転勤で沖縄県から香川県に引っ越しました。
(私は夫婦別姓を通したかったので、婚姻届けは出さない事実婚での結婚でした。)
子どもはほしいと思っていましたが、具体的にいつ、という希望はまだありませんでした。結婚から1年後の2011年2月、実家の沖縄に帰省した時、いつも通っていた婦人科で婦人科検診をし、妊娠が発覚したのです。ただの婦人科検診の予定が、妊娠の発覚にびっくりし、動揺する私に、医師は
「大丈夫ですよ、産むのは10ヶ月後ですから。」
「あなたの場合は施設が整った病院がいいですね」
と、肯定的、かつ冷静なことだけを言いました。
今思うと、その医師の対応はとても良かったです。
なぜなら私と同じ障害がある友だちは、医師から「本当に出産するんですか?」と難色をしめされ、辛い思いをした人が多かったのです。
身長100cmの小さな私は、どこの病院で生むべきなのか、それが一番大切なことです。またこれからどんどん動けなくなるだろうから、どれくらいのヘルパー時間が必要なのか、具体的にどんなサポートが必要なのかを考えないといけません。また大学院の入学を控えていたので学業はどうするか、などいろいろ考えることがありました。でもとっても嬉しかったです。
一番大切なのは、信頼できる医師に診てもらうこと。三年前にも受診した東京の医師に、検診を兼ね、どこの病院がいいのか相談をすることにしました。妊娠初期に香川県から東京まで、飛行機に乗っても大丈夫なのかという心配もありましたが「赤ちゃんの力を信じる」と決めていたので、迷わずに受診しました。
パートナーは不安で、医師にネガティブな質問ばかりをしていました。
しかし医師は
「母体がどこまでたえられるかは、一人一人違うから、やってみないとわからない。赤ちゃん、お母さん、それぞれよ。」
「苦しくなったら、帝王切開で出せばいいのよ。」
という、これまた肯定的なことだけを言ってくれました。
パートナーも少しずつ不安が減り、私もより安心しました。
ただ赤ちゃんの袋(胎嚢)は見えるのに、心拍が確認できないので、流産の可能性があると言われました。
その医師の後輩でもあり、信頼する女医さんが香川県にいることがわかり、そちらで経過を見ていくことになりました。信頼する医師から、さらに医師を紹介してもらう。いい医師に巡り合いにくい障害者の私にとっては本当にラッキーでした。
自宅からも通える香川県の病院での診察が始まりました。しかし赤ちゃんの心拍は確認されません。流産はだれでもおこりうることで、約6人に1人の確率だと教えてもらいました。
何回か受診しましたが心拍は確認されず、稽留(けいりゅう)流産が決まりました。医師は「卵の問題なので、母体に何か問題があった、お母さんが○○したから、というわけでない」と何回も説明してくださいました。
自然に流れるのを待ちたいのですが、あまりに長く置いておくと母体に良くないので、早めの手術が必要です。
びっくりなこと、嬉しいこと、悲しいこと、不安なことが一か月に次々と起こり、自分の気持ちとゆっくり向き合う時間がない妊娠生活でした。
人生の数だけ家族のかたちがあります。ハフポスト日本版ライフスタイルの「家族のかたち」は、そんな現代のさまざまな家族について語る場所です。