身長100cmの私が迎えた妊娠後期。何もトラブルがなかったのは、奇跡としか言いようがありません

出産まであと少しです。
妊娠33週。赤ちゃんも2000gを超えました。入院中は一日3回、赤ちゃんの心拍を確認します。
妊娠33週。赤ちゃんも2000gを超えました。入院中は一日3回、赤ちゃんの心拍を確認します。

身長100cmの私の妊娠生活。赤ちゃんはどんどん大きくなり、もう妊娠後期です。

順調に進んだおかげで、当初の目標だった27週、1000gを超え、妊娠29週で管理入院をしました。しかし、入院5日目、急に腰が痛くなり、張りが強くなりました。「キリキリキリ―」とする痛みに一晩中悶え、もうすぐで出産かな、と不安になりました。でもその痛みは朝にはすっかりなくなったのです。翌朝知ったのですが、その晩はスーパームーンだったのです!その影響だったのかもしれません。だって出産まで、張りが強くなり、痛くなったのは、その日だけだったのですから。自然の力、すごいですね。

真夏でしたが、病院の冷房の冷えが良くないと思い、毎日足湯をしました。また普通の妊婦さんのように「適度な運動」ができないので、ベッドの上でこまめにストレッチもしました。こんな小さな私が、無事に妊娠後期を迎えられたのは、20代のころから自然食に興味があり、体にいい食生活をしていたこともあるのかもしれません。また妊娠してからは極力無理をしないよう、車椅子を改造したり、ヘルパーさんの使い方を見直したりしたのもよかったのかもしれません。でも一番は、一回目の流産の時に、いい医師に出会え、不安を減らすことができ、今回の妊娠の心の準備ができていたのが大きかったです。過去の流産に感謝の気持ちでいっぱいでした。

毎朝、病院の入り口のベンチ横で、朝日を浴びながら、赤ちゃんに話しかけていました。
毎朝、病院の入り口のベンチ横で、朝日を浴びながら、赤ちゃんに話しかけていました。

妊娠前20kgだった私の体重は、25kgになりました。体が重いので、ゆっくりしか動けませんが、トイレもお風呂も車椅子で移動しながら、自分でできました。毎朝病院の入り口のべンチの横で、朝日を浴び、セミの声を聞きながら、おなかの赤ちゃんに話しかけるのが日課でした。病室は大部屋なので、カーテン越しに声が丸聞こえだったので、赤ちゃんに話しかけるのが恥ずかしかったのです。

おなかの中で赤ちゃんはぐるぐる動き回り、昨日は右側にあった頭が、今日は左側になることも。赤ちゃんに蹴られるのは痛いし、ぐるぐる動き回る感触は気持ち悪いのだけど、それはお腹の中に、動きまわれるくらいのスペースがあるということ。私の身長は100㎝しかないのに、子宮は赤ちゃんに合わせて順調に大きくなり、胎盤や羊水も平均の赤ちゃん、妊婦と同じ大きさになりました。ここまで何もトラブルがなかったのは、奇跡としか言いようがありません。あかちゃんと私の相性もよかったのでしょう。

院内にあるカフェに通うのが日課、唯一の楽しみでした。
院内にあるカフェに通うのが日課、唯一の楽しみでした。

ただ、まだ心配なことが一つありました。おなかの赤ちゃんに、私の骨の弱い障害が遺伝している可能性です。遺伝率は2分の1です。私は生れたとき、すでに両足を骨折し、頭の骨がほぼ作られていなかったのですが、私の赤ちゃんもそうなるかもしれません。検診の度に、エコーで赤ちゃんが骨折したり、骨が変形したりしていないかを丁寧に調べてもらいました。NICUの医師や看護師にも説明し、生まれてからの体制も整えてもらいました。

35週未満で生まれた赤ちゃんの、生後の肺呼吸を助けるための注射。
35週未満で生まれた赤ちゃんの、生後の肺呼吸を助けるための注射。

31週になり、赤ちゃんが生後、肺呼吸をしやすくするための注射をしました。35週未満で生まれる赤ちゃんは自発呼吸が難しいことがあるからです。これでもういつ生まれても、準備はばっちりです!

あとは体が耐えられるところまでの妊娠生活!やれるところまでやってみる!

出産まであと少しです。

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