各種メディアで特集も組まれ、最近何かと話題のコーヒー業界。「コーヒー界のアップル」こと、ブルーボトルコーヒーの日本上陸で一層注目を集めたサードウェーブコーヒーの日本での先駆けと言われるのが、東京・恵比寿に本店を構える猿田彦珈琲だ。しかし、当の猿田彦珈琲店主・大塚朝之(おおつか ともゆき)氏は、自身の店がサードウェーブコーヒーの先駆けと言われることには違和感を覚えているという。彼が目指すのは、日本流の真摯なコミュニケーションによる「フォースウェーブ」を日本から発信していくことだ。Face to Faceのコミュニケーションが生む、PRの原点を探る。
個性がブランドイメージに
大手飲料メーカーの缶コーヒー監修を行い、CMにも出演するなど、業界の中では派手なPRに着手しているようにも見える猿田彦珈琲。しかし本人にはPRを行っている意識は特にないという。マニュアル化されたブランドイメージがあるわけではなく、あくまで「スタッフ一人ひとりの個性によってブランドイメージが構築されている」と大塚氏は語る。
ブランドイメージから大きく外れるような振る舞いには厳しく指導を行うが、「ブランドは生き物」と考えているため、少々のアクシデントは新しいブランドイメージをつくっていくために欠かせない要素と考えている。
最大の転機がCM出演ではなく、2012年、オープン2年目の秋に発売された雑誌「BRUTUS」での特集というのもうなずける。世界を牽引する最先端のショップが誌面で紹介される中、恵比寿という地域に密着した、良い意味での小ささを特徴として紹介された。まさに当時の猿田彦珈琲のブランドイメージを形づくったものだと大塚氏は振り返る。
大塚氏のこうした考え方は、15歳から俳優として活動していたという異色の経歴の影響もあるのかもしれない。俳優時代も、自分のイメージする役から本質がずれていないか常に意識しながらも、自分の癖やカメラワークといったさまざまな要素によって刻々と変化するキャラクターを感じながら役を演じていたという。
コーヒーは手段にすぎない
ブルーボトルコーヒーが東京・清澄白河にオープンしたこの2月、猿田彦珈琲も大きな挑戦を始めた。大塚氏の地元である調布市・仙川に、焙煎所とカフェを兼ねた1~2階合わせて60坪にも及ぶ「アトリエ仙川」をオープンしたのである。
恵比寿本店と比べて7倍広くなった店内も大きく異なる点だが、一番戸惑ったのは客層の違いだという。都心部の恵比寿には、まだまだニッチな分野であるシングルオリジンコーヒーを受け入れる高感度層が多く存在している。しかし、仙川では、豆が産地から店に来るまでの過程や、店で焙煎されて1杯のコーヒーになっていく過程を楽しむという文化が、そもそも存在しないという。
そこで改めて、セカンドウェーブの代表とされる大手シアトル系コーヒー店のホスピタリティの凄味を感じた大塚氏。どの地域にあっても、同じように最高のホスピタリティを持って接客を行うスタッフは世界的にも例がなく、その極意を味わいに、大塚氏自身も「アトリエ仙川」の隣にある同社の店舗によく足を運んでいる。
味には絶対の自信を持っている猿田彦珈琲だが、目的はおいしいコーヒーを飲んでもらうことではなく「お客さんを喜ばせること、お客さんにありがとうと言ってもらうこと」だという。おいしいコーヒーはその手段にすぎない。「自分たちの一番の強みは人間臭さ」と語る大塚氏。仙川では毎日全スタッフでミーティングを行って意見交換をしている。その様子はまるで「大人の文化祭」。「一番心がけているのは真摯なコミュニケーション。その先に日本発のフォースウェーブがある」。
個人の気持ちに刺さる
企業・個人問わずコミュニケーションに欠かせないものとなっているSNSについても聞いた。「真剣に必死にやってきたからこそ、コーヒーに関する知識・情報は莫大な量を持っている。ただし、情報は拳銃のようなもの。使い方を誤ると危険なものでもある」。SNSでの情報発信は必要最小限にとどめ、あくまでFace to Faceのコミュニケーションを重視している。結果的にお客さん同士が、自発的にSNSを使ったコミュニケーションでつながっていて、良好なレピュテーションを獲得している。時には悪い書き込みをされることもあるが、Face to Faceのコミュニケーションで信頼を得ているからこそ、たとえ悪い書き込みなどがあってもお客さんが離れることはなく、厳選した公式の発信が信頼を持って受け入れられている。
猿田彦珈琲のように、ファンの獲得を目指す企業・飲食店へのアドバイスは、と尋ねると「お金を稼ぐためだけの、創造性のないものに価値はない。本当に世間に必要とされているのかを考えるのが一番大切」。静かに、でもはっきりと答えてくれた大塚氏の目は力強かった。たとえパイが小さくても個人一人ひとりに必要とされ、気持ちに刺さる価値を提供し続けていくことが大切なのだという。
最後に、今後の目標を聞いた。「かなりのゲーマーなので、何も考えずに死ぬほどゲームができる日を夢見ています」とおどけてみせたが、すぐに真剣な表情で語った。「2014年のワールドバリスタチャンピオンシップで優勝した丸山珈琲の井崎バリスタは大学の後輩であり一番の親友。彼をはじめ、優秀なバリスタの知り合いが多くいるが、彼らに負けない良いエスプレッソをワールドバリスタチャンピオンシップで作りたいと思っている」。趣味はエスプレッソマシンを触ることだという。「趣味こそ本気」と語る彼は、本気の人間が良いものを作り出すと信じている。同時に、日本流の真摯なコミュニケーションが日本発のフォースウェーブとして世界に広がっていくとも信じている。
「PRに関しては全くの素人」と謙遜していた大塚氏。確かにメディアリレーションズという点では、プロではないかもしれない。しかし、顧客・地域・インナースタッフとの関係構築のあり方や、真摯なコミュニケーションを貫く姿勢は、まさにPR(パブリックリレーションズ)という言葉が持つ本来の意味で、PRの実践者だと感じた。
(取材:サワム)
(2015年3月12日「週刊?!イザワの目」より転載)