テレビでよく見かける謝罪会見。恋愛、政治、経済......さまざまな分野で、多くの謝罪が行われています。この「誰かに謝る」ことは、誰もが繰り返し行ってきたものですが、最近息苦しくないでしょうか。
今回の「マンガから学ぶチームワーク」では、謝るシーンがキーとなっているマンガ『ニーチェ先生~コンビニに、さとり世代の新人が舞い降りた~』と『どげせん』を取り上げます
『ニーチェ先生』は、「お客様は神様」思考の主人公・松駒くんに対して、さとり世代の大学生、仁井智慧くん(ニーチェ先生)は「神は死んだ」とお客様をあがめることをしないどころか、驚きの対応をします。『どげせん』は、主人公の瀬戸発(せとはじめ)がひたすら土下座をすることで、その場の状況を変えていきます。
2つのマンガからは、お客様は神様という空気圧力や、KYにならずに上手に空気を変える人=上手に水を差す人になることの大切さが見えてきます。「日本人を支配する空気」について、法政大学キャリアデザイン学部の梅崎修先生に解説してもらいます。
梅崎 修先生。法政大学キャリアデザイン学部准教授。1970年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。2002年から法政大学キャリアデザイン学部に在職。
意識せずとも空気に支配されてしまっている日本人
梅崎:「日本人を支配する空気」については、2016年に話題になった芸能関連の不倫会見がいい例です。普通、夫が不倫した場合は妻に謝り、不倫相手の女性は不倫相手の奥さんに謝っているならばわかります。
しかし、記者会見を見ると、実際はなんだかわからないけど、「世間」に対して謝っていることが多いですよね。これは、日本が「世間中心主義」という考え方で動いているからなんです。
この世間中心主義は、「世間」をひとつの人格としてとらえ、「世間をお騒がせして申し訳ない」という考え方です。これを、山本七平さんという思想家は「空気」と名付けました(『「空気」の研究』(文春文庫))。
ミノシマ:今の日本社会は、個人主義ではなく、世間主義・空気主義になっていることが問題なのですか。
梅崎:戦後は、戦前よりも個人主義になったように感じるかもしれません。でも世間体を気にする風潮は、戦前・戦後を通じて一切変わっていません。日本人は、意識せずとも空気に支配されてしまっているのです。
しかも昨今は、ネットが世間の空気を増幅してしまっている実情があります。だから、謝っても「空気」が変わらないと叩かれ続けてしまうのです。
お客様は神様カルチャーこそ、いまの働き方問題の元凶
ミノシマ:マンガ『ニーチェ先生』では、客の「お客様は神様だろう!」という怒声に対し、ニーチェ先生が「神は死んだ」と答えるシーンがあります。
日本の接客業はコンビニに限らず、「お客様は神様」カルチャーがあります。漫画からは、どのようなことが見えてくるのでしょうか。
梅崎:この「客=神」というカルチャーは、接客業に限らず、全産業に浸透していますよね。この考え方こそ、今の働き方問題の元凶だと思います。
お客さまのために即時対応をするといった過剰なサービスが蔓延した結果、家に帰れないというブラックな状態が発生してしまっているからです。
働き方と、商品やお客様対応といったサービスはリンクしています。両方を改善しないことには、ブラックといわれる状況は変わりません。
ミノシマ:コンビニの24時間営業こそ、過剰サービスの最たるものですよね。では「お客様は神様」をやめたら、ブラックな状態は解決するのでしょうか。
梅崎:そううまくはいきません。働き方として限界というのは明らかですが、わたしたちがひとたび消費者側にたつと、神対応を求めてしまうんですよね。
そもそも、接客や商売などは、どれも人間同士の契約です。「客=神」というのは瞬間沸騰的に神が生まれた状態であり、たしかにサービスのクオリティは生み出されますが、「お客様は神様」という空気圧力が働いており、異常な状態です。
でも消費者は、つい対応のいいお店に行ったり、過剰なサービスを求めたりしてしまうのが現状なのです。
ミノシマ:「客=神」の考え方はクリスチャンにはないですよね。キリスト教は唯一神であり、聖書には人間が神様とは書いていません。しかし日本人は「神ってる」という言葉に代表されるように、ネットでもリアルでもよく「神」という言葉を使います。
梅崎:テレビドラマの放送がよければ「神回」と言われるのも、その1つですね。日本は古来から、アニミズム(地霊信仰)的な考えを持っており、神様がポンポン生まれていました。その影響か、だれでもなんでも瞬間的に神のように力をもつことができてしまうのです。
言いたいことも言えない空気の中で求められる、積極的に水を差す(ツッコむ)姿勢
梅崎:山本七平さんが「空気に支配されること」の実例として挙げているのが、戦艦大和の特攻作戦です。科学的根拠に基づいて考えれば、この作戦は誰もが死ぬことがはっきりしていました。
ミノシマ:ロジック的に考えればはっきりしていることでも、現場の空気を考えれば「負けますよ」とは言いにくいわけですね。犠牲がでても、特攻するという空気に支配されていた。
でも、ロジックでいくら論じても、場の空気は変えられない場合、どのように空気を変えればいいのでしょうか。
梅崎:山本七平さんは著書の中で、空気に対しては水ということを言っています。「水を差す=ツッコミをする」ということです。
『ニーチェ先生』では、「お客様は神様だろ」という客に対して、「ニーチェ先生」こと仁井君が「神は死んだ」と言いますよね。現実を突きつけることで、裸の王様が本当に裸だとみんなが気づいてしまう。あえて空気を読まない発言をすることで、その場の空気を変えるのです。
極度な土下座をするくらいのボケで、空気に水を差す
梅崎:『ニーチェ先生』がツッコミ芸だとしたら、『どげせん』はボケ芸になりますね。『どげせん』では、主人公の瀬戸発がデフォルメして極端な土下座をしています。ヤクザに土下座で勝つとか、宇宙人に土下座で交流とか、ありえない設定が笑えます(笑)。
どげせんでは極度な土下座(ボケ)をすることで、空気に水を差しているともいえるでしょう。冷たい水を差すツッコミは、ツッコミする側が批判されることも多いので、思わず吹き出してしまう、ボケ芸の方がお勧めかもしれません。
ミノシマ:最近のワイドショーや報道番組では、芸人さんの起用が目立ちます。これは、ニュースをそのまま報道すると周囲の空気に支配された報道になりそうなところを、芸人さんがいい感じにツッコんでくれて、空気がなごむからだそうです。ツッコむだけなら専門家でもできそうなのですが、なぜ芸人を起用するのでしょうか。
梅崎:ワイドショーでは、ただ報道するだけでは、リンチを楽しむゲーム状態になりかねません。その中で、芸人は状況を俯瞰(ふかん)してみてツッコミやボケを入れることで、笑いに変えていきます。笑いを使うことで、殺伐としかねないワイドショーの空気を変えられるのです。
例えば前園真聖さんは、スキャンダルで苦しい状況だった時に「松本人志さんに救われた」と言っています。それまでテレビから抹消されていましたが、松本さんが前園さんにツッコミを入れることで、「そろそろ許してあげよう」というように、世間の空気をチェンジできました。
水を差す人をノイズとせずに許容することが、会社を健全に保つ秘訣
ミノシマ:最近の企業のニュースを見ても、こうなる前に誰かがツッコんでいれば......と思うのですが、実際のところ日本人にとって、空気に縛られないのは難しいのではないでしょうか。
梅崎:「空気に縛られない人になりましょう」というのは、日本においてはありえない選択肢です。そもそも空気を読めなければ、会社の中で評価されにくいですから。変人扱いでは、組織内で力を持てません。
だからこそ、その場の空気を読みつつも、ツッコミによって笑いに変えて、集団を冷静にさせて、空気に縛られにくくする。そんな頭の柔らかさが必要になってきます。
まあ、『どげせん』も、ここまで土下座をされるとなんか笑っちゃいますよね(笑)。みんなでこの笑いの感覚を共有できれば、組織全体も柔らかくなっていくのではないでしょうか。
ミノシマ:空気を読みながら、状況を俯瞰し、さらに空気を変えるのはかなり難易度が高い気がします。
反面、空気を変えられない状況が続くことは、企業コンプライアンスがきかない状態に陥る可能性も。そうならないためにはどうしたらいいのでしょうか。
梅崎:会社でも水を差す人はノイズととらえられますよね。でも、ノイズを排除すると組織として危険なんですよ。だからこそ、あえてノイズを許容するしかない。これによって、会社を健全な状態に保てればと思います。もちろん、時々笑いが生まれる方がよいのですが。
ミノシマ:なるほど。
梅崎:『どげせん』を読むと、みんなで新しい笑いを共感しようとするメッセージが見て取れます。状況を拡大解釈することで笑いを発見できるってすごいことですよ。
そもそもクリエイターと呼ばれる人たちは、「空気から逃れる快楽」に敏感に反応します。そして、その笑いを受け取る読者がいるんです。ここに、日本社会の中のひとつの可能性を感じますというのは大げさでしょうか。
会社で「究極の水を差す人」を育てられるか?
ミノシマ:しかし、社内にそういった笑いのセンスがある人材を求めるのはなかなか厳しいのではないでしょうか。
梅崎:たしかに難しいです。ツッコミには批評家精神が必要です。でも、自意識過剰な批評家は、場に水を差すだけで笑いにはなりません。
かつて切れ味が鋭い批評的ツッコミが得意だった太田光さんは、いつの間にか「イジられるボケ」もできる人になっていたように思います。優れた芸人さんは、あえて空気を読まないで、ツッコミやボケを使いこなして空気を変えることができる、究極の「水を差す人」といえるのではないでしょうか。
ミノシマ:でも、そのような笑いのセンスを持った人は少数ですよ。
梅崎:最初からうまくできる人がいない以上、「水を指す人」を育てるしかありませんね。
水を差してきた人、すなわちツッコミをする人に対して、「今のツッコミは笑えないよ」「うけないよ」と教えることで、その人に「あれ?」と考えてもらうようにするしかない。
その人はきっと5年くらい悩めば、水を指すツッコミを周囲の笑いに変えていけるのではないでしょうか。「私の企画案は通ったけど、この会議で笑いが取れなかった」と悩むという(笑)。
ただ、水を差しても、すぐに新たな空気が作られることは変わらないんです。そしてまた、新しい空気に縛られるのです。常に空気に支配され続けているからこそ、常に笑いの水を差し続けるしかないことは、覚えておいた方がいいでしょう。
水を差す人だけで空気が変えられないときは、上司が相方となってコンビ芸で突破
ミノシマ:笑いで「空気」をチューニングできる人は重要ですし、そんな笑いのある会社で働きたいです。
梅崎:例えば会議の場で1人が単発で水を差しても、空気はうまく変えることができません。本人だけでなく、マネージャーもそういった人を扱えるかどうかがポイントになります。
コンビの笑いを意識すればいいんですよ。コンビの相手がいなければ、上司が相方になってツッコんであげる。そうすると、ツッコミ-ボケの関係が現場に生まれます。ひとつの空気に縛られることもなくなるのでは? みなさん、笑いのコンビが会社にいますか。
ミノシマ:笑いがあることで会議のフラストレーションも減らすことができますね。
梅崎:通常、われわれは「水を差す」という行為を悪い意味にとらえられてしまいます。でも、笑いを導入することで、その意味がよい意味になる。「笑いの水があふれる組織風土」になるといいですね。
取材/文:ミノシマタカコ
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