サイボウズ式:「たとえ報酬がゼロでも、複業をやっていた」──西尾泰和がサイボウズ・ラボを辞めずに、機械学習の技術顧問を始めた理由

複業をはじめたのは「複業でしか得られない学びがあるから」です。
西尾泰和
「報酬がゼロでも、この複業をやっていた」こう言い切るのは、サイボウズ・ラボのエンジニア 西尾泰和(@nishio)です。エンジニア必読の書として名高い『コーディングを支える技術』の著者で、普段は研究開発の仕事をしています。同社の勤務10年目になった今年、ビープラウドで「複業」(パラレルワーク)することを選びました。その理由や意図を聞いてみました。

Pythonの雄、ビープラウドでの複業を始めた西尾泰和

仁田坂:エンジニアとしてサイボウズ・ラボに勤めて10年目の西尾さんが、ビープラウドで複業をはじめたことに驚きました。ラボでの仕事が嫌になったんですか?

西尾:そうじゃないですよ(笑)。複業をはじめたのは「複業でしか得られない学びがあるから」です。

西尾泰和

西尾泰和(にしお ひろかず)。2006年、24歳で博士(理学)取得。2007年よりサイボウズ・ラボ株式会社にて、チームワークや知的生産性を高めるソフトウェアの研究に従事。著書に「コーディングを支える技術」「word2vecによる自然言語処理」など。2014年技術経営修士取得。2015年より一般社団法人未踏の理事を兼任。2017年からサイボウズ・ラボ株式会社で働く傍ら、株式会社ビープラウドでも複業を行う

学んだことを還元し、自分の考えを深めたい

仁田坂:複業先のビープラウドはPythonの雄で、日本でPythonをいち早く実務ベースで採用しましたよね。そこでしか得られない学びとは何だったんでしょうか。

西尾:「人工知能を学習する際、人はどこでつまづきやすいのか」という学びです。説明します。

いま世の中は人工知能ブームですよね。人工知能とその構成要素の機械学習について、書籍やWeb上の解説もたくさん出ています。しかしそれらの説明は、「実務で書くコード」とのギャップが大きいように思います。

仁田坂:たしかに、Pythonに携わるWebエンジニアの方でも、実務とはかけ離れたものととらえている印象もあります。

西尾:そこで、実務のコードと機械学習が地続きであることを伝えるために、社内の勉強会で「if文から機械学習への道」という発表をしました。

If文から機械学習への道 from nishio

西尾:このスライドはかなり反響があり、「実務のコードと機械学習の継ぎ目をわかりやすく説明すること」は社会的ニーズが高いことが分かりました。

仁田坂:SlideShareで37,000ビュー超とは、すごいですね。

西尾:この講義資料を公開しましたが、自分が教えたいことを教えるには、実際のコードを実行しながら学んでいける教材が理想的だと考えていました。しかし自分で作るには時間が足りません。

そう思っていたところに、ビープラウドが「PyQ」というサービスを公開したんです。

PyQ

PyQは、Pythonに特化したプログラミング学習サービス。ブラウザだけを使い、未経験でも実際の仕事のように、仕様書からプログラムが作れるようになることを目指している

仁田坂:西尾さんは、PyQに何を期待したんでしょうか。

西尾:教え方を改善できるフィードバックが欲しかったんです。PyQは、実際のコードを実行しながら学べる「実務指向の教育プラットフォーム」でした。これを使うと、僕の設計した講義を大勢の人に体験してもらい、講義のどこが難しかったかをフィードバックしてもらえます。

仁田坂:ご自身の学びを還元したかったんですね。

西尾:そうです。PyQの「実務のための学習サイト」というコンセプトには共感していましたが、当時、機械学習の教材がありませんでした。そこで「僕のスライドをもとに機械学習の教材を作れば。御社の役に立つのでは」と持ちかけ、交渉が成立したわけです。

その際、社長さんから今後も継続的にアドバイスいただきたいとご要望をいただき、技術顧問という形でお手伝いすることになったわけです。

仁田坂:「人が機械学習に取り組む際、どこでつまづくか」という情報を得て、西尾さんは最終的に何をアウトプットしたいのですか? 本を書くのですか?

西尾:まだ究極的なアウトプットの形は考えていませんが、本ではないです。本や今公開しているスライドでは、どこで読者がつまずくのかわからないんですよね。それを学ぶことで、自分の機械学習の教え方もブラッシュアップされていくんです。

それが自分自身の喜びにつながっていますし、サイボウズ・ラボに所属していては学べないことを別の組織で学べることに、複業の意義を感じます

仁田坂:人に勉強を教えていると、自分も勉強になることが多いですよね。エンジニアの方が「自らの学びのために人に還元したい」と考える気持ちはよくわかります。

組織にどう貢献すればいいのか、悩んだ時期もあった

仁田坂:西尾さんをサイボウズ・ラボに誘った竹迫さんも退職されてしまいましたよね。10年も同じ組織に勤めていて、「転職したい」と思ったことはなかったですか。

西尾:ないですね。ただ、転職というよりも、どっちの方向に進んだらいいのか迷うことはありました。自分の研究は本当に、サイボウズ本社の役に立っているのだろうかと、疑心暗鬼になっていたわけです。

仁田坂:事業会社で研究開発の仕事をしている方で、そう思う方は多くいますよね。

西尾:そうかもしれません。そして、コミュニケーションの面でも悩んだんです。昔、サイボウズ・ラボは本社と違う建物にあったこともあり、本社とのコミュニケーション量が少なく、何を目指したらいいかがわかりませんでした。

今は同じ建物になったおかげで、勉強会やイベントへ相互に参加できますし、本社が何を目指しているかがわかります。

西尾泰和

仁田坂:本社とのコミュニケーションは大切ですよね。サイボウズ・ラボにいて、西尾さんが進む方向の悩みは解決しましたか?

西尾:はい。会社が新しいチャレンジをしていく上で、新しい分野の知識が有用です。しかし「新しいこと」なので、今の業務の中ではその知識を習得できません。となると、外部からその分野に詳しい人を雇おうかとなるわけですが、新しく雇った人は逆に社内の知識に詳しくありません。

僕の仕事は社会の知識に触れつつも、業務として「新しい分野の知識の獲得」することです。ただ、会社がそういう人をどう評価するかは難しい問題です。

仁田坂:会社の評価問題について、ブレイクスルーはありましたか?

西尾:個人的には、社外の活動で受賞したのが転機でした。会社にどう評価されるかではなく、まず市場に高く評価されて、その市場価値を会社に評価してもらおうと発想を転換できました

仁田坂:いつごろの話ですか?

西尾:2009年で入社3年目ですね。3年目は転職する人が多い時期だと聞いています。会社が市場価値を評価しないなら、僕も転職していたかもしれません。

その点、サイボウズはちゃんと評価してくれたし、後に市場価値の情報を社内評価に使う旨を公式にアナウンスしました。頭のよい戦略だと思います。

複業で別組織を経験し「学びの速度を上げる」

仁田坂:学ぶことを楽しんでいる西尾さんが、生涯をかけて達成したい目標は何ですか?

西尾:難しい質問ですが、「自分の学ぶ速度を上げること」ですかね。学ぶ速度がほかの人と同じだと、ほかの人と同じだけしか学べません。これを加速できれば、より多くのものを学べるというロジックです。より多くの知識が得られれば、将来的にきっと報われるだろうと信じています。

仁田坂:まるで宗教ですね!

西尾:たしかに! ビープラウドでの複業のほかにも、未踏社団の理事もやっています。こちらはお金はいただいていません。

社団法人の経営に携わることで、会社に雇われて研究をするのとは異なる学びが絶対に得られます。学びの機会と効率をよくして、ほかの人が到達しないような知識の段階、深みまでたどり着きたいと思っています。

仁田坂:「その組織では経験できない学び」は、深く納得するものがあります。僕も実は複業をしているんです。

ZINEというメディア企業を経営しながら、筑波大学に週1で通い、嚥下評価機器の法人の立ち上げに携わっています。別組織ならではの学びが得られているんです。

仁田坂淳史

仁田坂淳史(にたさか あつし)さん。技術評論社『WEB+DBPRESS』の編集などを経て起業。株式会社ZINEの代表取締役編集長としてメディア運営やエンジニアインタビューを手がける。会社を経営する傍ら、2015年より自らも筑波大学サイバニクス研究センターで複業を行う。JST(科学技術振興機構)の大学発新産業創出プログラム(START)にて、深層学習を用いた嚥下評価機器「GOKURI」の法人立上げ(2018年1月創業予定)、プロモーションに携わっている。

西尾:どういう学びが得られたんですか?

仁田坂:自分の会社では体験できない領域の新規事業、そして深層学習の実例にコミットできることです。本業にフィードバックできる要素は、かなり多いと考えています。

西尾:筑波大学はリエゾンセンターなどの取り組みが盛んで、大学発ベンチャーに積極的な印象ですが、中から見ていかがですか?

仁田坂:大学発ベンチャーがもっと積極的に出てきてもいいと思っています。アカデミックの研究を通して価値ある成果物が生まれ、論文になっています。しかし、海外に比べると世の中に問う絶対数は少ないかなと。「社会実装」の流れはもっと広がってもよいと考えています。

違う企業の文化をパラレルで体験、コミュニケーションや技術面で学びも

仁田坂:西尾さんは有名なエンジニアですから、高額な給料を払ってでも「うちに来てくれ!」という企業は多いはず。でも、学びドリブンな西尾さんは、お金を積んで登用しようと考える企業には惹かれないですよね?

西尾:そうなんです。サイボウズよりも高い給料を出すから転職しないかと言ってくる企業もあるのですが、「高い給料」をアピールポイントに選んでくる時点で、根本的に自分とは価値観が合わないと感じます。

僕の中で重要度が高いのは、自分の限られた「生きている時間」を、自分の使いたいことに使えることです。死んだ後にお金だけ残っても意味がないですから。もしかしたら、僕に子どもがいるともっと感じ方が違うのかもしれませんが......。

ちなみに、ビープラウドの複業は報酬をいただいていますが、たとえ報酬が0円でもやっていたと思います。

仁田坂:ですよね。自分の教え方をブラッシュアップできる学びのほかに、複業で何が得られましたか?

西尾:コミュニケーション面では、違う企業の文化をパラレルで体験できたことです。ビープラウドはSlackベースのチャットコミュニケーションで、サイボウズ製品をベースにしたグループウェアでのコミュニケーションとの違いは感じます。

特にSlack botの運用方法がおもしろいなと思いました。誰かがよいことをすると、喜んだ人が「nishio++ ○○を教えてくれた」などと投稿します。これをbotが自動で集計するんです。

スクリーンショット

ビープラウドのチャットコミュニケーションで用いられるのはSlack。誰かがよいことをするとSlack上で「nishio++(よい行い)」と投稿する。するとbotが集計し (nishio: 9 GJ) という総ほめられ回数を報告してくれる。

スクリーンショット

サイボウズでのグループウェアのコミュニケーション。本部長会の議事録をkintoneで共有する。議事録は全社員に公開されていて、社員がコメント欄に書き込みをすることで、議論を継続できる。今回のテーマは「開発部のゾーンの撮影を認めるかどうか」

仁田坂:Slack botの運用は、組織ごとにみんな違っていておもしろいですよね。

西尾:そうです。あとは、PyQのコンテンツを作り終わったあたりからいろんな相談に乗り、見落としていたものに気付きました。たとえば、機械学習の案件を受託する場合、当然見積もりが求められます。一方で研究職をやってきた僕は、「機械学習は見積もれません」が当然の答えだと思っていました。

この問題をどう解決するか、ビープラウドの受託見積りに詳しい人と議論をしながら、方針を決めたりしています。これはとても学びになりました。

会社の生産性は短期的には下がるが、長期的にはかなり上がる

仁田坂:実際、複業での働き方や勤務体系はどんな感じですか?

西尾:まず出社の必要はなく、時間拘束もまったくありません。Slackのみの完全オンラインでの対応です。ビープラウドのSlackチャンネル内に流れてきた質問に、電車移動中や夕食後の余裕がある時間に返事をしています。

複業をはじめるにあたりビープラウドさんには、サイボウズ・ラボのコアタイム内では対応できない旨も、承諾してもらっています。なので、本業のサイボウズ・ラボの勤務日数や時間は変わっていません。

仁田坂:柔軟ですね。

西尾:中に入ってからわかったのですが、ビープラウドさんは元々社内コミュニケーションがSlack中心で、みなさん気軽にリモートワークをされているんです。ずっとリモートワークの人がいても運営コストが上がらないのでしょう。

西尾泰和

仁田坂:すごいパラレルワークですね。会社全体で複業を解禁した場合、生産性に影響はあると思いますか?

西尾:複業によって、会社組織の生産性は、短期的には少し下がって、長期的にはかなり上がると思います。短期的に不慣れなことに挑戦すると、生産性は下がりますからね。

仁田坂:慣れるまでは生産性が下がりますよね。

西尾:それでも理解してくれる職場なので、恵まれています。一方で、ずっと慣れたことばかりをやっていると、変化に対応する力が下がってしまいます。

長期的には会社の周りの環境は確実に変わります。会社の中の人から「変化する力」が失われると、会社は環境の変化に対応できず衰退してしまいますよね。

会社が硬直化せずに変化できる柔軟さを持ち続けるために、中の人は新しいことにチャレンジしたり、新しい環境に身を置いたりする必要があります。

仁田坂:複業はその手段のひとつですね。

「副業ではなく複業」の理由は目的が違うから

仁田坂:副業(サブワーク)ではなく、複業(パラレルワーク)だった理由は何でしょうか。

西尾:副業なのか複業かは特に気にしていません。サイボウズは「複業」「新しい働き方」を積極的に模索している企業だったから、「両方の仕事をパラレルでやってます!」という形にした方がおもしろいかなと思いました。

仁田坂:なるほど。副業というと「サブワークでアドオンのお金を得るために働く」印象がありますが、西尾さんやサイボウズの目指している複業は、そもそも目的や得られるインプットが違うんですね。

西尾:そうなんです。よく副業をこっそり行う社員を禁じる会社もありますが、あまり本質的ではないと感じています。会社にもメリットがある複業を目指すべきで、そうであるなら会社に複業することを隠す必要はありません

西尾泰和

仁田坂:学びの速度を上げることで、長期的に会社にも還元できるものが多いですからね。

これからは複業をはじめとした100人100通りの働き方が必要なんじゃないか

仁田坂:複業という選択肢が増え、副業ではなく複業したい人が今後増えてくると思います。そんな方へ向けてメッセージをお願いします。

西尾:まず、複業が目的となってしまってはいけないと思います。何かやりたいことがあり、その手段として複業を選ぶという位置付けが正しいと思います。

仁田坂:その通りですね。

西尾:複業に興味を持たれた方はまず、お金のために働くのかそうでないのかを明確にしたほうがよいです。自分がやりたいことをやって、周りの人がハッピーになる。そこに社会人の場合は、お金のやり取りが発生することがあります

周りの人をハッピーにする活動の一部でしかありませんし、それを複業と呼ぶだけのことなのかなと。だから複業の対価としてのお金は、目的ではないのです。

仁田坂:お金を目的とする副業とはまったく違いますよね。どうなったら複業は失敗すると思いますか?

西尾:「会社に自分の時間を提供して、その対価をもらう」というビジネスモデルを採用している人が、複業によって収入を増やそうと思っている場合、複業はあまり有効に機能しないと思います。

収入を増やそうとすると、提供する時間を増やさないといけないわけですが、人間は休まずに働き続けると長期的には生産性が落ちます

仁田坂:ごもっとも。

西尾:会社ではできない「やりたいこと」があって、そのために時間を割きたいというケース。これは「やりたいことに時間が割ける」が成功の定義なのだから、複業で必然的に成功します。

ただ、みんなもう大人なのですから、自分のことだけじゃなくて周囲のステークホルダーのことを考える必要があるわけです。

仁田坂:複業で生じるサイボウズ・ラボのメリットを、上司に説明したんですもんね。

西尾:はい、もちろんです。会社にとって複業のメリットは「従業員の満足度が上がる」「従業員が複業によって学び、成長する可能性がある」ことぐらいでしょう。

この状況で、たとえばある社員の振る舞いによって周囲の従業員の満足度が下がるとか、その社員に成長の気配が見えないとか、となると、長期的にあまり幸せな関係は維持できません。

西尾泰和

上司に複業を説明するにあたり、「サイボウズに機械学習に詳しい人がいる旨の技術プロモーションになる」「エンジニアの複業事例になる」「機械学習の実案件・実ニーズの知見が得られる」など、メリットを説明した

仁田坂:たしかに。

西尾:複業もひとつのビジネスモデルに過ぎないわけです。そこにどういうメリットがあるのかをステークホルダーに説明しないと、複業は成功しないのではないでしょうか。

時間使用効率としては、本業と複業の両方がWin-Winになるほうがよいです。会社に黙ってこっそり仕事をする状況は、会社に隠すコストなどがかかってしまうのでよくないわけです。

仁田坂:精神衛生上もよくないですよね。

西尾:「サブワークのせいで疲れてるのに、頑張って本業も」となると、コストがかかってきて効率が悪いですからね。それよりは会社に報告、上司に相談できる状態がベストだと考えています。

そしてこのような文化がサイボウズにはあります。100人100通りの働き方をうたう会社ですし、実際に事例もあるので、パラレルワーク的チャレンジもしやすい風土です。

仁田坂:うらやましいです。

西尾:複業禁止だから、とこそこそやってる大企業の研究者の方がいるのですが、会社が複業を認めて堂々と活動できるようにした方が会社にとっても得なのに、お互い損をしてると思います。

仁田坂:世の中の考え方が変わっていくと、もっとハッピーになれますよね。今日はありがとうございました。

西尾、仁田坂

文:仁田坂 淳史(ZINE)/写真:松永 佳子

」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。 本記事は、2017年10月25日のサイボウズ式掲載記事
より転載しました。

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