私たちが思い描いた未来は、ポケモンGOだった?

ゲームのプレイヤー自身が"バカなゲーム"と評するにも関わらず、なぜポケモンGOは、これほどまでに"バカ"受けしているのだろう。

「こんな"バカなゲーム"をしてて、手に入れたのがこれかよ……!」

少年はショック状態でぼやいた。彼は、アメリカのボルチモアで、スマートフォンを使って架空のモンスターを追いかけながら運転していたために、警官車両に衝突するという事故を起こしてしまったのだ。幸いにも、警官は車の外にいたため、大事には至らなかったが、事故の一部始終は、警官が身に着けていたカメラに記録されていた。

ゲームのプレイヤー自身が自分で"バカなゲーム"と評するにも関わらず、なぜポケモンGOは、これほどまでに"バカ"受けしているのだろう。

答えは、それがテクノロジーを駆使した革命的なゲームだからだ。デジタルと現実が混同し、現実の世界をゲームの視点から眺めることができる。そんなユニークな設定が、人々の遊び心をくすぐっているのだ。

ポケモンGOは、あの80年代の有名な映画『ロジャー・ラビット(原題:Who Framed Roger Rabbit)』を彷彿とさせる。この映画は、2次元のアニメキャラクターが3次元の現実世界に存在するという、夢のような設定を描いている。ポケモンGOをダウンロードすることで、2次元と3次元の融合に、さらに一歩近づいた。

ポケモンGOのプレイヤーは、新しいモンスターを捕獲するために、スマートフォンを眺めておく必要がある。さらに、地球全体で行われている隠れんぼのように、家を出て、あちこち歩き回らなければならない。

もちろん、ポジティブな良い面を見ることだってできる。この新しい娯楽のおかげで、引きこもりがちだった人は、悲しみにくれる部屋から外に出るようになった。あるいは、他人と関わることや外の世界に無関心だった人が、より新鮮な空気を吸い、他人と交流する喜びを再発見できるようになった。

だが、誰もが予想した通り、このようなゲームには数々の警告が伴う。「危険な場所には行かないで!」「身の回りには気を付けて!」「個人情報を守ろう!」など、ポケモンを現実世界に出現させる前に、プレイヤーに向けて警告された。

ただ、どれだけ注意を促しても、悲劇的な事故を防止するのに十分とはいかない。

昨日の新聞にも、「ピカチュウを捕まえるために、高速道路の真ん中で停車し、交通事故が発生」とあった。

もし、20年前、誰かが未来の2016年からやって来て、「20年後にこんな問題が起こるから、通行人も運転手も注意しなくてはいけないくなるよ」と知らされていたら、社会や文化の発展を導いてきた科学技術に対して、私たちはどんな考えを持っただろう。

一方で、私が、何人ものポケモントレーナー達に言われたフレーズは、「私はこのゲームを楽しんでいるの。なぜ批判されなきゃいけないの?」だ。あなたもそう思ったかもしれない。

例えば、インターネット上で、服を脱ぎ露出していく動画を配信している人だって、あるいは、それを見て楽しんでいる人だって、間違ったことをしているわけではない。個人的に楽しんでいるだけだ。でも、真面目なお医者さんであれば、「生活習慣を少し改めた方がいいんじゃない?」と助言するだろう。

昔は、科学技術がもたらす未来に、現状とは異なる期待と予想を抱いていた。世界は、もっとより良いものになると思っていた。

私の父親の世代は、月面着陸を機に、人類が宇宙へと飛び出し、未知の世界を探索できるようになると夢見ていた。

私の世代は、宇宙旅行は無理でも、せめて地球の軌道上を旅するくらいはできるようになると夢見ていた。

そして、今の世代は、「ああ! 予備の充電器があれば、このカビゴンをゲットできたのに!」と夢見るのだろうか。

訳:阪上 みなみ(Sakaue Minami)

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