本番になると緊張でうまく弾けなくなってしまうというピアニスト。演奏前にあることを考えるようにしただけで、のびのびと弾けるようになりました。彼女を変えた、自分をごきげんにするトレーニングとは――。
本番前に緊張してしまうのが悩みというピアニストが私のところにやってきました。
練習ではうまく弾けるのに、発表会やコンクールになると緊張して、いつもの演奏ができないという彼女。本番前は、足がガタガタ震え、体が硬直してしまっていたそうです。
「いつも練習で引っかかってしまうところはうまく弾けるだろうか」
「審査員は私の演奏をどう評価するだろうか」
そんなことばかりが頭の中をぐるぐるし、緊張に拍車がかかっていたのです。
彼女は、私のメンタル・トレーニングを通して、心も演奏と一緒で、練習が大事だということをいちばんに感じたそうです。「先生は、ごきげん道は、磨きつづける道とおっしゃっていましたが、まさにそうだなと思います。ずっと練習しつづけていると、知らない間に自分のものになっていて、意識しなくても自然にできるようになります。お箸の持ち方と一緒ですね」
私が彼女にお伝えした自分をごきげんにする方法はいくつかあります。
意味づけは自分がつくりだしている、今に生きる、好きなことを考える、感情に気づくなど......。
中でも彼女がいちばん驚いたと言っていたのは、「好きなことを考えると演奏がうまくいく」ということでした。
私が彼女にやってもらったのは、1回目はいつもどおりに演奏をする、2回目は、好きなことを考えてから演奏をするというトレーニングでした。
「1回目のときは、いつも引っかかってしまうフレーズに気をつけて、技術面を注意して演奏していた感じでした。しかし2回目は、辻先生に『好きな食べ物は?』と聞かれ『カルボナーラ。濃厚なのが大好きです!』と答えたら、『笑顔になったね。その気分のまま演奏してみて』と言われました」
「すると細かいことを気にせずのびのびと演奏できました。楽しいと感じながら演奏することができたのです。演奏を終えてみると、苦手意識が強かったフレーズも自然とできていたことに気づきました。私はびっくりしました。変えたことと言えば、好きな食べ物を答えて、ごきげんになったことだけだったのですから!」
彼女はこの体感がうれしくて、練習のときには好きな食べ物や好きなこと・ものを考えるようにしたそうです。
「『緊張する本番のときだけライフスキルを使うんじゃなくて、練習のときも、日常生活でも、つねに練習すること』という辻先生のアドバイスを実行しました。お風呂に入っているときに好きな小説のことを考えたり、電車のなかで好きな食べ物をいっぱい考えたり、ほかにも『今に生きると考える』『感情に気づく』なども日常から意識するようにしました」
「目に見えて何かが変化しているわけではありませんが、ライフスキルを使うだけ(ただ考えるだけ)で、自分が少しごきげんの方に傾くことを体感できました。大きく傾くときもあれば、ほんとにちょっとしか変化しないときもありましたが、自分の変化を楽しんでいました」
そして彼女は、あるオーディションを受けました。
世界中の若手が集まるオーディションです。
でも彼女は、結果を出すというよりも、雰囲気を味わい準備段階の経験を積むためにエントリーしました。自分がどこまでできるかやってみようという気持ちだったそうです。
「先生のトレーニングを受けるまで、私はとても緊張してしまうタイプでした。ただ今回違ったことは、控え室から出たときは適度に緊張しましたが、それまでは、当日の朝も前日も1週間前も、ほぼ平常どおりで気持ちが大きくゆらがなかったことです。逆に母が脇からいろいろ心配してしまうくらい、平常どおりでした」
それまでは「緊張しちゃいけない」「いつもどおりしなくちゃ」と無理やり落ち着けていた感じだったのが、そのオーディションのときは自然な感じでいられたそうです。
「演奏の面では、自分のものにすればかなり成長できる課題がいくつも見つかったので、レベルアップめざしてこれからまた練習していきます! 自分の変化が楽しみです」と言う彼女のごきげんな表情を見ていると、彼女がこれからどんな演奏家になっていくのか、私もとても楽しみになりました。
【プロフィール】 辻 秀一 スポーツドクター
エミネクロスメディカルクリニック
1961年東京都生まれ。北海道大学医学部卒業後、慶應義塾大学で内科研修を積む。同大スポーツ医学研究センターでスポーツ医学を学び、1986年、QOL向上のための活動実践の場としてエミネクロスメディカルセンター(現:(株)エミネクロス)を設立。1991年NPO法人エミネクロス・スポ-ツワールドを設立、代表理事に就任。2012年一般社団法人カルティベイティブ・スポーツクラブを設立。2013年より日本バスケットボール協会が立ち上げた新リーグNBDLのチーム、東京エクセレンスの代表をつとめる。日本体育協会公認スポーツドクター、日本医師会公認スポーツドクター、日本医師会認定産業医