日本の大学病院の中では最も多くの食道がん手術を行い、国内最高レベルの治療成績を達成している順天堂大学上部消化管外科。食道がんはリンパ節への転移が多いがんで、その手術は広範囲にわたることが多く、高度な技術が必要となります。「どんなに難しい状況でもあきらめない」と、高齢の患者さんや進行がんの患者さん、合併症を持つ患者さんなどの難しい手術にも臨む梶山美明先生のもとへは、手術を望む多くの患者さんがやってきます。難しい手術を行う外科医としての心得を教えていただきました。
医局を辞めて虎の門病院へ
医師になることを決めたのはいつ頃でしたか?
東京大学の理科三類(医学部)に入ったのは昭和53年です。でも実は、その前の年に一度理工学部系の理科一類に入学しているんです。その時は時間がたくさんあったので、将来何をしようかと考えながらいろいろな本を読みました。その中に人工心臓の本があったのです。非常に興味を持ち、翌年受験し直して理科三類に入った後は、授業もそっちのけで人工心臓の研究室に入り浸っていました。ですから医師になろうと決めたのもその頃です。
最初はそのまま基礎医学の道に進もうと考えていましたが、卒業後に入ろうと思っていた人工心臓の研究室の先生に相談したところ、一度臨床を見ておいたほうがいいとのアドバイスをいただき、まずは研修医をやることにしました。ところが大学で1年半、その後外の病院で2年間臨床をやっているうちに、そちらのほうが面白くなってきたのです。実際に自分の手で患者さんが治っていく喜びは捨てがたく、いろいろと考えた後、外科医としてやっていくことにしました。
虎の門病院に見学に行ったのは、医師になって5年目の時でした。食道がんの手術で高名な秋山洋先生に、一度見に来てはどうかとお誘いいただいたのです。そこで見た秋山先生の手術は、それまで見てきた手術とは全く違っていました。感動しましたよ。優れた手術とはこういうものなのかと。手術というのは、簡単なものであればあまり差は出ませんが、難しい手術になると術後の合併症で大きな差が出ます。それから1年と少しした後で、私は東京大学の医局を辞めて虎の門病院に就職しました。
私は医師として6年目を迎えていましたが、その時は6年目の席がなく、虎の門病院へは5年生のシニアレジデントとして入りました。同じ年に結婚したこともあり、とにかく自分で頑張るしかない状況でしたので、その頃は将来のことを考えるというよりも毎日を必死に過ごしていたように思います。
一つ一つを丁寧に積み重ねる
優れた外科医になるための要素とは何でしょうか?
手術がうまくなるためには、そのためのトレーニングが必要です。楽譜を読める人が皆うまく楽器を弾けるかというとそうではないのと同じで、本を読んで手術がうまくなるというようなことは絶対にありません。外科医に必要なものは何かといえば、それは「テクニック」と「マインド」と「目」の三つです。
まず「テクニック」には二つの側面があります。一つはメソッド。方法論としてのテクニックです。そして、もう一つはスキル。これは技術や技量です。方法論は多少違っても基本的なスキルさえあれば、手術の結果にはそれほど差は出ません。ですから外科医としてはその基本的なスキルをきちんと身につけているかどうかが重要になります。
学会で話題になるのは「このような新しい方法があります」というようなメソッドばかりです。それをやる人のスキルがどうかということは、学会でも評価しづらいわけなんですね。しかし手術で一番大事なのは、やはりスキルです。大きな手術というのは小さな積み木やブロックをいくつも積み重ねていくようなものです。一つが崩れると全部が崩れてしまいますから、焦らず一つ一つを積み上げることのできる忍耐強さも必要になります。二つ目の「マインド」にも通じることですが、どんなに難しい状況になってもあきらめない精神も大事なのです。手術中は誰も助けてくれません。外科医は最終的な責任は全て自分で負わないといけませんから、投げ出すことなく一つ一つを丁寧に、確実にやっていくことがやはり何よりも重要なのです。
「マインド」に関しては、心に刻んでいる言葉があります。手術中に秋山先生から教えていただいた「Just stop and think」という言葉です。これはつまり、何か困ったことがあったら一瞬止まって考えろということなんです。マインドがしっかりしていない人は、手術中に出血したりするとつい慌ててしまいます。それで下手に手を出して、傷口をどんどん大きくしてしまうのです。そうではなく、そこでいったん手を止めて単純な解剖をもう一度考え直す。手で押さえて出血をコントロールしておき、その2〜3分の間に冷静に戦略を考えるのです。
三つ目の「目」にも二つの意味があります。一つはちょっとしたことでも見逃さない視力です。そしてもう一つは、きちんとした解剖の知識があるかどうか。要するに、ここを切ったらその下にはこれが出てくるはずだという地図のようなものが頭の中にあるかどうかです。典型的な解剖は教科書にも書いてありますが、実際の手術では、大方同じ構造をしているとはいえ、細部は患者さんによって異なっています。たくさん手術をしているとそういうバリエーションが大体わかるようになってきます。それを知識として頭の中に入れておいて、簡単なところは速く、大事なところはゆっくりと注意深く手術を進める。そういうことが大事です。このような視力や眼力も最初にあげたスキルの一部になります。
「変な」がん、食道がんに挑む
食道がんの手術にはどのような特徴がありますか?
食道がんは、他のがんと比べると厄介ながんと言えるでしょう。リンパ節への転移が胃がんの2倍ぐらい多く、たいていはそれが広範囲にわたります。10個も20個も転移があれば、どんなに頑張って取ってもかなり高い確率で再発します。
リンパ節への転移が広範囲に及べば、おなかから首まできっちりと取らなければならず手術の範囲も広くなります。我々はほぼ全例で首のリンパ節まで切除していますが、このような食道がん手術は海外から見ると拡大手術に当たります。これは言い換えれば、日本の技術が優れているということになるのかもしれません。しかし日本の中での技術にも人によって大きな開きがあります。その差は単にテクニックだけではなく、マインドの問題も含めて総合的に生まれてくるものです。
手術というのはうまくいっている場合はそれでいいわけですから、特に工夫は必要ありません。しかしうまくいかなかったときにはいろいろと考えてみたり方法を変えてみたり、改善していく必要があります。そういうことは常にやっていますね。手術の度に少しずつ工夫していけば、合併症が起こる割合も年々下がってきます。
食道がんで多い合併症は縫合不全と反回神経麻痺です。我々のところでいうと、縫合不全については、胃がんの手術ではこの10年ぐらいほぼゼロです。食道がんでは昔は1割ぐらいありましたが、年々少なくなってきて、昨年は1人だけで1%未満となりました。しかし食道がんの縫合不全は多いところでは今でも3割ぐらい起こっています。
反回神経麻痺も昔は1割ぐらいありましたが、我々のところでは今は3%程度になりました。食道がんは、反回神経という声帯につながる神経の周りのリンパ節への転移がよく起こります。これを取るのはとても難しい手術で、30年ぐらい前までは行われていませんでした。神経にダメージを与えてしまうと術後に声がかすれてしまうのです。合併症が出た場合はその手術で何が悪かったのをよく考えて、次の手術ではそこを少し変えてみます。それを繰り返しやっていく。その結果と言えるかどうかは定かではありませんが、反回神経麻痺は我々のところでは今年はまだ1例も起こっていません。
食道がんの手術も少しずつ進歩していて、昔はできなかったような手術もできるようになってきています。けれども手術の限界を感じることもあります。手術や放射線治療というのは局所治療ですから、全身の治療ではありません。できる限りの局所治療はしますが、それだけで治るかといえば、必ずしもそうではないのです。ですから抗がん剤や分子標的治療薬などのもっと良い全身的な治療が出てくるといいと思っています。食道がんの化学療法には主にフルオロウラシルとシスプラチンを使いますが、これはこの10年ぐらいあまり進展していません。白血病などは今では薬でかなり治るようになってきましたが、食道がんのような固形がんはまだ薬ではなかなか治りづらいのが現状です。
食道がんを早期に発見するためにはどうすればよいでしょうか?
早期の食道がんをバリウムの検査で見つけるためには高い技術が必要になります。食道が専門の慣れた人でなければ難しいかもしれません。内視鏡検査でもそうですが、実は食道というのは通常はあまり注意して見る部位ではありません。内視鏡を入れるときはすーっと胃まで入れていき、胃はじっくりと時間をかけて見ますけれども、その後で抜いてくるときも食道のところはすーっと通りすぎてきてしまうのです。早期で食道がんが見つかった患者さんからよく聞くのは、「検査の時に食道もきちんと見てくださいと頼みました」ということですね。そう言われれば、医師としてはやはりきちんと見ざるを得なくなります。
また、食道がんは他のがんとは早期がんの定義が異なります。一般には転移の有無や大きさとは無関係にがんの深さだけで早期がんか進行がんかを定義します。消化管壁の構造は基本的に一番内側が「粘膜」で、その下が「粘膜下層」、さらにその下が「筋層」となっており、胃がんや大腸がんでは、「粘膜」と「粘膜下層」までが早期がんになります。しかし食道がんの場合、早期がんと呼ばれるのは「粘膜」にとどまるがんだけなのです。粘膜の下の層までいけば、それはもう進行がん扱いになります。そうなると2人に1人はリンパ節への転移が出てきます。ですから食道がんは他のがんよりも厳しいがんと言えるかもしれません。
食道がんは本当に変わったがんです。食物がつかえるほどの自覚症状がある患者さんでもリンパ節への転移が一つもない人もいますし、粘膜より少し下にいったぐらいのがんでいくつも転移がある人もいます。転移しやすいものとそうでないものには何か差があるはずですので、今後はそういった点を解明する研究も進めていきたいと考えています。他のがんとは違って予測できない不思議なところがあるのが食道がんなのです。そういう意味でも大変研究しがいのあるがんだと思います。
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プロフィール
順天堂大学医学部 消化器外科学講座 上部消化管外科学 教授
1984年東京大学医学部卒業。東京大学医学部、国保旭中央病院を経て、1989年虎の門病院消化器外科後期レジデント。1999年順天堂大学医学部消化器外科講座上部消化管外科助手、2001年順天堂大学医学部消化器外科講座上部消化管外科講師、2003年順天堂大学医学部消化器外科講座上部消化管外科助教授。2009年より現職。