■子連れを蔑む女性、ベビーカーを運ぶ女性
今年の夏、地下鉄の駅の階段でベビーカーを下ろそうとしている若い母親を見かけた。左手で1、2歳の子どもの手をつなぎ、右手でベビーカーを持っていた。肩には大きな荷物がかかっている。
声をかけようかと思った時、先にスーツを着た女性が近づいた。女性は「運びますね」と言ってベビーカーを若い女性から颯爽と受け取って、階段をとっとっとっとリズミカルに下っていった。
後ろからゆっくり子どもと階段を下りてきた若い母親は、ホームで女性に何度も御礼を言っていた。「いいんですよ。私も子どもが4人いるから」と言い残して、その女性はまた颯爽と雑踏に消えていった。
また別の日のこと。立ち寄ったカフェに、3歳ぐらいの子どもを連れた母親がいた。子どもが転ばないよう気を配りながら席を立つ時、うっかり母親は荷物で隣のテーブルのグラスを倒してしまった。幸い、入っていたのは水だったけれども、座っていた若いカップルの、男性の服が少し濡れてしまった。
何度も何度もカップルに謝る母親。男性は「いいですよ」と鷹揚に受け止めていたが、その彼女はぶすっとした表情で頭を下げる母親を蔑んだように見ていた。念のため書いておくけれども、彼女の服はまったく濡れていない。
子育てをしている友人たちに聞いてみると、ベビーカーで町を歩くとき、子どもとお店に入るとき、私が見かけたような場面を多かれ少なかれ体験していた。彼らはとても周囲を気遣いながら、でも、たまに誰かに迷惑をかけてしまいながら、子どもを育てている。
つらつらと友人たちの体験談を聞きながら気になったのは、カフェでぶすっとしていた彼女だ。恐らく子どもを育てたこともなければ、まだ結婚もしていなさそうだった。そんな彼女が、不格好で一見、無作法な子連れの母親を蔑んだとしても、仕方ないのかもしれない。経験がないのだから。
逆に、駅で見かけた4人の子どもを育てている女性が、子連れの母親の手助けを自然にできるのも、当たり前なのだろう。そうした人たちが行き交う町を、子育てしている友人たちは歩いているのだ。
ベビーカーで電車に乗ることも大論争になる社会が、今の日本だというのも納得できる。別に子連れの母親に優しくとまでは言う権利は私にはないけれども、あの彼女に伝えてみたいことがある。
もしかしたら、その不格好で一見、無作法な子連れの母親は、10年後のあなたかもしれない。そう思ったら、少しは町を歩く子連れの母親を見る彼女の目は、違ってきたりしないだろうか?
■ベビーカーおろすんジャーがベビーカーを下ろす理由
約1年前の2014年1月1日、「『2020年には、やたらベビーカーを運びたがる国に』 ベビーカーおろすんジャーに聞く『未来のつくりかた』」という記事を書いた。東京メトロ・丸ノ内線の方南町駅(東京都杉並区)の階段で、ベビーカーの上げ下ろしを手伝っている地元の青年の話だった。彼は仕事のかたわら、駅の出入口に立ってベビーカーを運んでいる。その活動は海外にまで紹介され、一躍脚光を浴びた。しかし、彼がインタビューで答えたのは、こんなことだった。
「ベビーカーおろすんジャーの活動は、まだ始まっていないぐらいなのにこんなに反響があったということは、それぐらい皆、困っているんだと思いました。僕自身は自転車や徒歩での移動が多く、駅を使いません。だからお店でお母さんたちに話を聞くまでベビーカーのことなんて、全然気づいていなかった。怖いなあと。皆声をかけるのは苦手だし、お母さんたちも助けてとはなかなか言えない。そこが変わればいいなあと思います」
今ではすっかりベビーカーを押す母親のヒーローだが、彼も以前は彼女たちの悩みに気づいていなかったという。子連れだけではない。私たちの街は大抵、「健康な大人だけ」が使うことを想定して設計されている。もちろん、近年は都心部のバリアフリー化はかなり進んでいるけれども、ベビーカーやお年寄り、車いすの人、何らかのハンディキャップを持っている人にとって、まだまだ充分ではないし、全ての町を短期間で整備するのも現実的ではないだろう。
そこで最もベタに、しかし即座に解決できる方法はなにかと突き詰めると、「ほんのすこしの想像力」なのではないだろうかと思うのだ。ちょっとだけ相手の立場を想像してみれば、誰でもベビーカーおろすんジャーに変身できる。何よりも、誰にとっても歩きやすい町は、いざ自分が子どもを持ったり、年を取ったり、病気になったり、ケガをしたり、「健康な大人だけ」ではなくなった時でも、きっと歩きやすいはずだ。
それから、これはある知人男性の話。彼は自分が住んでいる町や路線の駅で積極的にベビーカーを押した母親を手助けしているという。その理由は、「自分の住んでいる町や路線の印象が上がり、快適になれば、その土地の価値が上がり、自分の家の価値も上がる」という「素敵な下心」からだ。
「ほんのすこしの想像力」と「素敵な下心」。来年はそんなものが私たちの暮らす町に広がっていけばいいなと願っている。