南場氏が5年かけて口説き落とした人物、それが前田裕二氏。現在、DeNAにてアイドル他の番組ストリーミングサービス『SHOWROOM』総合プロデューサーとして事業を推進。新卒で別の道を選んだ彼への南場氏の口説き文句とは? DeNAが必要とした彼を知ることで「過酷な環境を生き抜く優秀人材」の要件が見える。
前田裕二を知ると、苛烈なWEB業界の競争を勝ち抜く人材要件が見えてくる
「一緒に働きたいと思った人は、何年経っても待つ!」
「人材の質には妥協しない」
インタビューやイベントで公言し続ける株式会社ディー・エヌ・エー(以下DeNA)ファウンダーの南場智子氏。そんな彼女が、一度は新卒の内定を蹴られたにも関わらず、5年経っても採用したいと思わせた若手人材がいる。
それが、現在DeNAにて、アイドルやアーティストの動画ライブ配信プラットフォーム「SHOWROOM」をプロデュースする前田裕二氏だ。現在27歳。就活時にDeNAの内定を得ながら、外資系金融企業に入社。2年目にしてニューヨークに赴任し大活躍...と、略歴だけを紹介すると、なんだエリートのサクセスストーリーかと、読者は思うかもしれない。
しかし、決して自分はエリートなどではない、と真っすぐな瞳で語る前田氏。彼は一体これまでどんな人生を歩んできたのか、話を伺うと共に、南場氏が必要とした彼の証言から「苛烈なWEB業界の競争で勝ち抜く人材の要件」が見えてくる。
【プロフィール】
DeNA SHOWROOM総合プロデューサー
前田 裕二 Yuji Maeda
1987年生まれ、東京都出身。就職活動時、DeNAの内定を得るも、2010年に外資系証券会社へ入社。ニューヨーク勤務を経て退職後、2013年5月にDeNAに中途入社。現在、ライブ動画配信プラットフォーム「SHOWROOM」の総合プロデューサー。
5年前。南場さんとの初遭遇で語ったことは?
― 新卒の就活時、前田さんはDeNAの内定を得ていたと伺いました。南場さんとの初めての出会いはその時ですか?
はい。2009年の就活時ですね。DeNAの最終面接で南場と初めて会いました。15分しか時間がもらえないと聞いていたので、何か尖ったこと言ってやろうと意気込んでいったのですが、部屋に入って最初の数分で、その意気込みも良い意味で返り討ちに。
というのも、僕の履歴書をなめるように見ながら、南場から、「君さぁ、結構苦労してきたでしょ?」というような事を聞かれて。そんな苦労感は一切履歴書には出てないと思うんだけど...今日顔色悪いのかな...と思いつつ、話題は、どうして生きてるのか、何が自分の活力でありモチベーションの源泉なのか、という、飲みに行ったみたいな個人的な深い話に(笑)。
自分自身、今では全く苦労と思ってないんですけど、8歳の時に両親を亡くしてから、連続していろんな逆境が降り掛かってきて、どうして自分だけこんなに辛い思いをしなきゃならないんだろう、と、与えられた環境や運命を本気で恨む事もありました。親だったり、自分の幸せやアイデンティティが奪われた事が悔しくて悔しくて、夜になると涙止まらなくて、そんなセンチメンタルな少年時代でした(笑)。何ヶ月も住む家が見つからなくて、警察署に住まわせてもらったこともあります(笑)。
ただ、自分には大きな救いがあった。10歳離れた兄が居て、彼にあらゆる面で強く支えてもらいました。彼がいなければ、今の自分は存在しない。彼の愛情を受けて、いつからか、自分はチャンスに恵まれてないのではなくて、むしろ逆に、一見チャンスに恵まれてないように見えるこの状況こそが大きなチャンスなんじゃないか、と思うようになりました。一寸法師じゃないですけど、3cmしかなくて弱っちくても、気持ちの強さ次第で、鬼をも倒す事ができる。それは、強烈な逆境下に生まれたからこそ生まれた勇気で、一寸法師だからこそ成し得た偉業です。自分もいつか彼のように鬼を倒して、打ち出の小槌をゲットしたら、兄ちゃんにあげようと思っています(笑)。
自分のこういった幼少期の経験が、自身の生きるモチベーションの原点を形成している、という話をしました。短い時間でしたが、なぜか南場とものすごく意気投合して、一緒に世界で天下獲ろうよという話に。
人に負けたくないのではなく、運命に負けたくない
― 前田さんの生き抜くための貪欲さという点に南場さんは興味を持たれたんですね。
そうかもしれません。小学2年生の時に、親戚の家に引き取られたのですが、人に頼らずにご飯を食べれるようになること、そのために何より、お金を稼ぐ事が強さの証明だと思ったので、近所のコンビニに行って、バイトさせてくださいって言ったら、なに言ってんのこいつ、と、当然ダメで(笑)。
それじゃあどうやって稼ぐか、考えて、親戚の兄(彼と後にビジュアル系バンドを組む事になるのですが笑)に譲ってもらったギターを必死に練習して、ストリートでゆずとかを歌って、見てくれるお客さんからギフティング(笑)してもらったりしてました。小学生が一生懸命ゆずの失恋ソングを歌ってたら、大人から見て絶対可愛いだろうという、今考えたら相当あざとい小学生でしたね(笑)。
思春期の頃になると色々やんちゃ行為をして周りには迷惑をかけたんですが、上述の通り、兄の影響があって、ある時を境にネガティブ思考な価値観が180度反転しました。その頃から、コントロールできない外部の問題で何かが達成出来なかったり、個人の能力に差が出る事が悔しい、と強く思うように。
例えば、親の仕事の関係で海外経験ができて英語が喋れる人たちに負けたくないと思いました。英語を誰にも負けないくらい勉強していれば、海外に行くチャンスが必ず訪れる、と、愚直に国内で勉強を積み重ねました。昔は外部要因の為に一切日本から出られなかったけど、そこから一転、今では帰国子女より英語ができて、その英語を使って海外で成功している、という状況は、環境に屈していない事を示すにはシンプルで分かりやすいですからね。強い魂を持って何かに没入すれば、環境は跳ねのけられる、むしろ、逆境が人をより高みに導くと。
根底にあるのは、「人」に負けたくないのではなくて、あくまで、自分に課された「運命」に屈したくないという気持ちです。逆境に屈することなく、どこまで高みに昇れるのか、自身の人生を通じて証明したい。これが、自分の根源的なモチベーションです。
これらの価値観が軸にあるので、就職活動の時も、とにかく一番に成長を渇望していて、自分の能力の2倍、3倍の仕事を任せてくれるような会社を求めていました。また、パフォーマンスが自分より劣っていれば、仮に10年、20年上の先輩でも、後ろから抜き去って仕事を奪えるような会社を探していました。それで色々と会社を見ていたところ、興味のベクトルによるスクリーニングも経て、外銀とネット系のベンチャーに絞られました。その中でも、結構大事な指標になっていたのは、「心から、盗みたい、と思える強さを持った人と一緒に働きたい」、また、「その人と同年齢になった時に、果たしてその人のレベルを超えられるかどうか」といったことです。幸運な事にその条件にぴったり合致した企業があり、入社を決めました。
人生のターニングポイントに、南場さんが語ったことは?
― 生き馬の目を抜く、外資系金融の世界に入社した前田さん。入社2年目からニューヨークに赴任され、成果にコミットし続けたと伺いました。そんな中、どうしてDeNAに入ろうと思ったのでしょうか?
入社2年目の時、ニューヨークへの異動が叶いました。それから2年弱、昼夜もなく働いていましたが、そんな時、幼少時代にギターを譲ってくれた親類の訃報が届き、急に死ぬことがすごく現実的かつ身近なものとして自分に突きつけられました。一年後、一ヶ月後、もしかしたら、明日自分はいなくなってしまうかもしれない。そんな状況で、今、自分は世の中に代替不可能な価値を残せているのか、と考えるようになりました。その時の自分の価値観では、金融というルールの定められたゲームの中で成果を上げるのみで、自分にしか生めない価値を無から生み出す事はできていないのではないか。
そう思った時、自分の手でゼロから何かを創りだそう、そうだ、起業しよう、と決意して、慌てて大学時代に作っていた事業構想ノートを引っ張りだしました。今思うと全くいけてない事業案ばかりなんですけど(笑)、プランをブラッシュアップしながら、周りに声をかけると反応が良く、資金の目処もつきそう。でも、最後に信頼の置ける人に意見を聞きたい。そこでぱっと脳裏をよぎったのは、南場でした。
― 内定を断ってから約3年の間、南場さんとの繋がりはあったんですか?
会うことはありませんでしたが、半年に一回くらい南場から「よ!」とか「元気にしてる?」というショートメッセージのようなカジュアルなメールが届いてました(笑)。そのたびに元気ですと返信するくらいでしたが、繋がりは続いていました。そして2012年の年末。日本に帰国する際に、南場に起業することの報告と、事業プランについて意見をもらうため、ランチの約束を取りました。
― どんなお話になったのでしょう?
南場おすすめのカレーを食べながら(笑)、事業プランをプレゼンしました。意見をもらおう、あわよくば出資してもらえないかと目論んでいたのですが(笑)、そこは勝手が違いましたね。
また、「今、起業して、お前が死ぬほど泥臭くやれば上手くいくかもしれない。けど、その可能性は著しく低い。それは事業の内容じゃなくて、人の問題。お前は"事業"を営む人間としては、まだ全くの青二才。っていうか、ぶっちゃけ今お前が考えてることなんて、おんなじことを世界で100人くらいの人が既に考えついてて、それ自体に価値はない」とも。
「うちで、事業を立ち上げることのなんたるかを勉強して、その後、自分で起業する方が成功確率上がるし、スマートじゃん。まだ25歳でしょ」って言われて、妙に納得してしまいました。そして、最後に「純粋に君の力が必要です。一緒に世界の頂を目指そうぜ」とシンプルに言ってもらえた。それが決め手になりました。
― 熱く口説かれたんですね!その場で即決したんですか?
いえ、結構じっくり考えました。南場は、「お前が納得してないのに来てもらいたくない。納得するために必要な素材は全部用意するから何でも言ってよ」と言ってくれました。そこで、「明日とりあえず会わせたい人がいるから時間空けて。暇でしょう?」と(笑)。
翌日、誰に会わせてくれるんだろうと思っていたら、出てきたのが守安(※代表取締役社長 守安功)。南場も同席して一緒にお食事をしたんですけど、会社や自身に対する課題認識が深く、それゆえに努力家で、魅力的な人だなと思いました。しかも何より、年末の12月30日に会社のトップが普通に働いている(笑)。求めてたのはこの感じだと、嬉しくなったのを覚えています。
他にも同年代で一番活躍してる人たちに会わせてくれ、とお願いして、お話する機会を頂きました。ゼロベースで自身の手で事業をどんどん立ち上げている姿がすごく刺激的で。それが良い意味での焦りに繋がって、早くこっち側にきて、自分がルールや価値を作る側にまわりたいと思い、転職を決意しました。
― 2013年5月に入社後、8月には起案して、11月の末には動画ライブ配信プラットフォームSHOWROOMをローンチ。それから約1年が経ちました。最後にSHOWROOMへの想いと今後の展望を教えてください。
ローンチから1年が経って、今では多くのアイドルやミュージシャンが参加してくれるようになりました。ユーザー数や売り上げも順調に成長していますが、まだまだこれから。SHOWROOMを通じて世界のエンタメ業界を変えたいと本気で思っています。世界のShowビジネスの根底を揺るがすようなサービスに、そして、誰もが夢を実現できるような場所にしていきます。才能があっても努力の向け先が分からない人、環境要因で機会に恵まれない人でも、がむしゃらに一生懸命熱意を傾ければ、何らかの形で報われる。自分も環境要因で非常に悔しい思いをした経験があるので、一人でも多く、夢を追う人たちを助ける役目になりたい。これは自分が人生を通じて果たしたい一つのミッションです。
すでにSHOWROOMで生活費をまるっと稼いで生活する人も出てきました。他にも、日々SHOWROOMを通じてたくさんの努力が投下され、夢が実現しています。これから、Mobageの売上は当然越えていきたいと思っていますし、日本だけではなく世界規模でサービスを展開していきます。SHOWROOMのようなボトムアップ型のサービスが興隆していく事で、トップダウンでヒットコンテンツが生み出されていく旧来のエンタメ業界の常識が、どんどん変わっていくと思いますし、絶対に、変えていきます。
― ありがとうございました。南場さん、ひいてはDeNAが前田さんを必要とした理由が見えた気がします。SHOWROOM の更なる発展を楽しみにしております!
[取材・文] 手塚伸弥
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