2015年の5月16日(土)、17日(日)の両日に渡り、日本初となる「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」が千葉・幕張海浜公園で開催された。
世界トップクラスの飛行技術を持つパイロットたちが、最高時速370kmのスピードで、決められたコースを飛びながらタイムを競う。世界最速のモータースポーツをこの目で見ようと詰めかけた人は、両日合わせて約12万人。
このビッグイベントを実現させたレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ・ジャパン実行委員会は、有志のメンバーで構成されているという。一体どうやって、このビックイベントを有志で開催できたのか ──プロジェクトメンバーのみなさんに話を伺った。
誰も見たことのない飛行競技を日本で実施する難しさ
2003年から世界各国で開かれているレッドブル・エアレース。日本開催を本格的に考え始めたのは、今回のプロジェクトマネージャーとなった木戸口さんが主催する2007年の音楽フェスティバルにおいて、レッドブル・エアレースに使われる機体のフライトパフォーマンスを行ったことからだという。
しかし、エアレースという国際航空連盟公認の"競技"と、単なるイベントのパフォーマンスは異なる。
河野(実行委員長):関連各所の許可取りがなかなかスムーズに行かなくて、これだけの年数がかかってしまった。レッドブル・エアレースをやるには、多くの観客が集まる会場となる『陸』・滑走路やコースを作る『海』・実際に飛行機が飛ぶ『空』、すべての許可を取る必要があります。かつレッドブル・エアレースは日本初開催。ほとんどの人がエアレースなんて見たことがないというところからのスタートですから、それはもう大変でした。
岩佐:みなさん協力したいと言ってくださるんですけど、組織として許可を出すとなると、法令との兼ね合いもあって、越えなければいけない難しさは、どうしてもありましたね。
橋本:そもそもレース機が特殊なものなので、特別な許可を取得しなければ日本国内では飛べませんでした。今まで日本でこういったレースが行われたことがありませんから、それを審査するための明確な基準もない。大会運営は厳しい規則に則って行われるため、危ないものではないのですが、それを一つ一つ丁寧に説明して理解していただき、『日本で飛ばす許可をください』とお願いしました。
開催のきっかけを尋ねてメンバーから出てきた言葉は、日本でエアレースを行う難しさだった。
夢の大会を実現するために
メンバーは日本初のレッドブル・エアレース開催という夢に向けて、関係各所の許可取りに奔走する日々が続いた。
レースに参加する選手は世界各国からやってくる。レースで使用する18機の飛行機の審査に加え、各国のライセンスを保有している30人の多国籍パイロットの審査も行う必要がある。
また、観戦会場となる千葉市・幕張海浜公園は羽田空港に近接しているため、どれくらいの高度でどんな飛び方をするかといった安全確保のための許可取りも必須だ。
機体運行関係を取りまとめた橋本さんは語る。
橋本:1分半ごとの飛行レースが最大60〜70フライト行われるので、大会運営は世界でも超過密と言われる羽田空港よりも過密なオペレーションになります。しかも、日本の航空ルールは独自のものも多くて、世界的に見ても厳しい。外国人からすると『なんで他の国(欧米)ではできることが日本ではできないの?』と思うようなこともあったりして。でも、日本で飛ぶからには、日本の法令を遵守してもらわなければいけません。このギャップをひとつひとつ埋めるのが大変でしたね。
90秒ごとにレース機が離陸するレース運営は、オペレーションが安全の要となる。
今回、飛行機が飛び立つ滑走路は、浦安市総合公園の護岸に設置した。
公園を管轄する浦安市や千葉県、国土交通省や警察にも、許可申請と協力要請をしに行く必要がある。滑走路を担当した柁原さんは、次のように話す。
柁原:最初は、我々も知識が少なかったので、どこから何の許可を取らなければいけないのか、手探りの状態で始めました。
『滑走路の認可段階で、公園の木が航空法に引っかかるから、どこかに移植する必要がある』と競技チームから依頼されても、公園を管轄する自治体からしてみれば『一つのイベントのためにそこまでする必要があるのか?』という話になる。職員さんのご理解とご協力のもとようやく自治体からの許可が取れて、警察に協力要請に行ったら『安全の保証はできるのか?』と当然ながら質問を受けたりしました。
さらに住民の皆様には説明会を開いて、ご理解いただけるように努力しました。住民の方から大きな反対の声があがらなかったのが、許可取りをする上では大きな力になったと思いますね。住民の方がNOだと、当然行政もOKを出せないので。
そうしていろいろ動いていると、次々にやるべきことが見えてきて。資料を抱えながら、何度もいろんなところに足を運んで、ひとつずつクリアしながら、当日
を迎えることができました。
高さ25mあるパイロンの設置の様子
他方、海に関しては、海上保安庁・水上警察・消防の三方から許可を取らなければならない。海に設置されるのは、レッドブル・エアレースのコースとなるパイロンだ。パイロン設置は、ひとつひとつGPSで位置を確定して海上に固定する。自然環境の中、千葉幕張海上の波風の影響を受けながらの作業を、海外クルーと共に苦戦した。
西銘:レッドブル・エアレースは2日間という長時間にわたって海上をレーストラックとして占有します。悪天候やほかの船から安全を維持する為、開催中は、海上警備のライセンスを持った警備員を朝から晩まで(24時間)監視につける必要もありました。面積が広くて人数もかなり必要なので、人を雇うとそれだけでも大変な経費になりました。
また、地元の漁師の方たちにも説明会を開いてご理解をいただいて多大なる協力を頂きました。
当日は海上からレースを見に来たプレジャーボートやセーリングヨット、ジェットスキーなどが東京湾に今までこんなに集まったことがないと言われるくらい多く来ている中で、安全にエアレースが出来るよう、海上保安庁や水上警察、地元の漁船団に総動員で協力してもらい、警備にあたりました。
おかげで事故も無く無事に終了することができ、協力していただいた地元漁港の方に感謝しています。
陸(浦安市総合公園)と海には約12万人の観客が集まった。多数の見物や運営、警備の船。
トラブルをバネに、チームの結束が固まった
そうして着実に準備を進め、いよいよ大会が目前に迫るなか、大型台風6号に見舞われるという、予期せぬ自然トラブルが発生した。5月に40年ぶりの台風が発生したのだ。
西銘:もう、みんな『参った』ですよ。せっかく設置した会場のテントも、レース機が並ぶ"ハンガー"も全部バラしてやり直し。台船も風でGPSがずれて位置が変るし、パイロンもほんとなら1週間前に設置し終わってるはずだったのに、すべて海上から台船撤去し、非難港へ移動させた。
台風が去り、残された日数はあと2日というなか、設置チームの作業船などを2倍に増やして、朝日が上がると同時に作業を開始、台風後のうねりを受けながら危険な作業にみんなで取り掛かり、大会当日の朝まで作業に追われていました。
柁原:施工のスケジュールが全部変わったので、一回はがしたテントを朝の5時から立て直しました。我々が想像していたよりも、すごい台風だったんで、12日に行うはずだったテスト飛行も14日にずれ込みました。
大会初日のハンガー(レース機置き場)の様子。台風の名残が少しある。
そんな危機的な状況のなかでも、あきらめなかった原動力はなんだったのか。
橋本:みんな『どうやったら、これができるんだろう』と前を見て考えられる人たちだったから。台風なんて環境としては不安要素でしかないのに、それでもポジティブになんとかしようと動く人たちだったので、そこはすごく心強かったし、だからこそ乗り越えられたんだと思います。
河野:今大会の主体は 「Red Bull Air Race World Championship」を運営しているオーストリアのレッドブル・エアレース社であり、日本の実行委員会はあくまでも大会の運営をサポートする立場。普段はまったく別々の仕事をしながら、レッドブルというブランドに何かしらの形で関わっている有志の人たちがこの大会のために集まってできた即席のチーム。
最初は仲も悪かったですよ。みんな我も強いし、言うことも聞かない。台風が来たのが、逆によかったんじゃないですかね。台風が来て『やばい!』となったことで、チームとしてまとまりができたと思います。
陸海空が力をあわせて、初めて舞台が整った
世界各国で開かれているレッドブル・エアレースは、自治体が招致金を出して開催されているが、日本では大会側がスポンサーを募るところからスタートするという異例の形式をとっていた。
関係各所からの許可がまだ下りていないという不確定な要素がある中で、レッドブル・エアレース社との契約やスポンサー集めなど、大会に向けた準備がすべて同時並行で進められたのだ。
岩佐:当初はレッドブル・エアレース社との契約も難航しました。彼らは、ブランドを守るためのこだわりがあって。とはいえ、航空文化に馴染みが薄い日本で行うためには、カルチャーギャップを理解してもらわないといけない。話を行ったり来たりしながら、お互いの利害関係が一致するところを探っていきました。
許可取りが終わり、陸海の会場設営に携わった人たちは、あわせて約200人。その半数近くは、レッドブル・エアレース社側から来る外国人スタッフだ。
西銘:海チームは日が昇ると同時に、仕事を開始していました。4時に日が昇るので、3時半からスタンバイして、明るくなったら動き出して。日本の職人と外国人のチームが一緒になって仕事をするんですけど、まぁ楽しいですよね。目的は一緒じゃないですか。言葉は通じなくても、やることは一緒なんで、すごく楽しかったです。
大会当日には、来場者に向けたサイドアクトや出展などもあり、今回のイベントに関わった人数は、のべ3000人を超えたのではないかという。
橋本:レッドブル・エアレースということで、どうしても空に注目が集まりがちですけど、実際に飛行機が飛ぶためには、いろんな環境を整えなくてはいけなくて。海と陸のメンバーたちの、ものすごい尽力がない限り、飛べませんでした。みんなが初めてづくしのなかで、陸海空のチームが力をあわせてがんばった結果だと思います。
河野:このプロジェクトが動き出した頃から考えると、大会ができることになったという事実自体が、ものすごいことだと思うんですよね。みんなレッドブルというブランドの魅力や、唯一の日本人パイロット室屋義秀選手に惹かれて、"日本初となる世界規模の素晴らしいエンターテインメントを持ってきたい"という男気だけでやってきた。
大会後、打ち上げをしてめちゃくちゃ盛り上がったので、このメンバーでできてよかったということなんでしょうね。終わってから仲良くなるって、なかなかないでしょう?(笑)。
すでに自治体やスポンサーからは、次回開催への強い期待が寄せられているのだそう。あのエキサイティングな空の祭典を、日本で楽しめる日は来るのだろうか。今後の動向からも、目が離せない。
「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー」は、職場での「成果を出すチームワーク」向上を目的に2008年から活動を開始し、 毎年「いいチーム(11/26)の日」に、その年に顕著な業績を残した優れたチームを表彰するアワード「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー」を開催しています。 公式サイトでは「チーム」や「チームワーク」「リーダーシップ」に関する情報を発信しています。
本記事は、2016年2月9日の掲載記事誰も見たことのないモータースポーツ・シリーズを開催した有志のチーム「レッドブル・エアレース・ジャパン実行委員会」より転載しました。