日系アメリカ人の強制収容所、アンセル・アダムスが撮影した「不屈の精神」

第2次世界大戦中、多くの日系アメリカ人が収容されてたカリフォルニア州のマンザナ強制収容所。アンセル・アダムスは、この美しい場所に生きる人々の日常の姿をとらえていた。

20世紀のアメリカで有名な写真家をリストアップするなら、アンセル・アダムスを入れないといけない。彼のアメリカ西部のモノクロの風景写真は、ポスターやカレンダーによく使われているためすぐに見分けがつく。だが、アダムスが第2次世界大戦中にドキュメンタリー写真に挑戦していたことはあまり知られていない。カリフォルニア州マンザナにある日系アメリカ人の強制収容所で、人の命をテーマに写真を撮っていたころのことだ。

アダムスのモノクロ写真は、人々が日常どんな生活を送っていたかを伝える。防火訓練をする子供たちや、ジャガイモ畑で働く農家の人々、制服を着た看護師の姿――。次の写真は、全50枚ある作品のうちの数点だ。この「マンザナ:アンセル・アダムスの戦時写真」という写真集は、ロサンゼルスのスカーボール・カルチャーセンターにある。

アンセル・アダムス「マンザナへの入り口(1943年)」提供:Photographic Traveling Exhibitions

アダムスは目標を持ってマンザナに行った。「彼は、当時あった反日のイメージと人種差別の感情とは対照的に、力強さや不屈の精神を見せたかったのです」。スカーボール・カルチャーセンターの学芸員助手リンデ・レーティネンはそう話す。「彼は日系アメリカ人がアメリカ市民であるということを見せたかったのです。すさまじい不当な仕打ちを受けながらも、コミュニティを作っている彼らが」。

全米日系人博物館には、ドロシア・ラングや宮武東洋など、アダムス以外にも数人の写真家の作品がある。その他、遺品など、マンザナでの生活を思い起こさせるものが展示されている。マンザナは、アメリカ西部とアーカンソー州に10件あった「移住センター」のうちの1つだった。

アンセル・アダムス「防御用の塔から見るマンザナ(1943年)」提供:Photographic Traveling Exhibitions

アダムスのマンザナの写真は、1944年に「Born Free and Equal(自由で平等に生まれて)」というタイトルで出版された。当時の受け取られ方は、控えめに言っても賛否両論だった。いわゆる愛国者は本を燃やし、アダムスを「非アメリカ人」と呼んだという報告があった。「アダムスが日系アメリカ人に対して同情的だったからです」とレーティネンは言った。

アンセル・アダムス「野球(1943年)」。提供:Photographic Traveling Exhibitions

しかし、何人か、特に写真家たちの中には、アダムスが収容所の暗い現実を十分に見せなかったと非難する人もいた。そのような人たちは、アダムスの写真の中ではなぜ人々がほほ笑み、働き者な様子で映っているのかを不思議に思った。マンザナは、結局は捕虜収容所だったのに。

「タイミングにもよりました」とレーティネンは話した。ラングが1942年6月に訪れた時、収容所は建設直後たった。ラングは「強制立ち退きの辛くて、荒涼とした時」をとらえた。しかし、アダムスが初めて写真を撮った1943年10月には、収容所の様相はかなり変わっていた。アダムスが到着すると、人々は寝泊まりをしている宿舎を改善しようとしていた。例えば、むき出しの木の床板から、リノニウム(亜麻)に代わっていた。また、人々はアダムスが誰で、彼らの写真を撮りに来ていることも知っていた。「人々は一番良い服を着ていたことでしょう」とレーティネンは指摘した。

ドロシア・ラング「日系アメリカ人の若い避難者が鞄の検閲を待つ=カリフォルニア州ターロック(1942年)」提供:Photographic Traveling Exhibitions

さらに、アダムスの写真のスタイルの問題もある。洗練されていて清純だった。ポートレートは全く彼の強みではなく、風景写真の方がずっと得意だった。

ある1枚の作品に、アダムスが「マンザナの生活を撮る」というプロジェクトの本質と目標に強く惹かれていたことが表れている。それは半ば空中から収容所を見下ろすように撮られた下の写真で、ほとんどが女性である一団が、そこを横切っている。

アンセル・アダムス「歩く人々(1943年)」提供:Photographic Traveling Exhibitions

レーティネンは、この写真について「アダムスの関心は、この美しい場所のパノラマ風景を作り出すことだったのが見て取れます。私がそう表現するのは、彼がそう見ていたからです」と話す。マンザナに住む人々は自由を失い、美しい山々に囲まれて暮らし、働き、学校に行き、野球をしたりした。アダムスは、カメラを使って「人々がどうやってこの恐ろしいほど美しい場所で生きたか」を残そうとしたのだ。

アンセル・アダムス「じゃがいも畑(1943年)」提供:Photographic Traveling Exhibitions

アンセル・アダムス「写真家の宮武東洋」提供:Photographic Traveling Exhibitions

アンセル・アダムス「看護師のアイコ・ハマグチ」提供:Photographic Traveling Exhibitions

「クレア・アヤコ・ハラダの市民無期限滞在許可書(1944年9月8日)」提供:Eastern California Museum(インヨ郡)

宮武東洋「マンザナー中等教育学校での防火訓練(1942〜45年)」提供:アラン・ミヤタケ

宮武東洋「収容所の食堂に野菜の配達が来る(1944年)」提供:アラン・ミヤタケ

宮武東洋「有刺鉄線の向こうの男の子たち(ノリト・タカモト、アルバート・マサイチ、ヒサシ・サンスイ)(1944年)」提供:アラン・ミヤタケ

マンザナ:アンセル・アダムスの戦時写真」は2016年2月21日からスカーボール・カルチャーセンターで展示される。このエッセイは、GettyとZócalo Public Squareの共同事業「Open Art」として書かれた。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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