私のルーツはいじめです。
「小学4年生から中学3年生までの約6年間、いじめられてました」。
目の前の人がいきなりいじめられていたことをカミングアウトしたらどう思うだろう。
私はそんなことを思いながら自分の経験について話します。
神奈川県川崎市。
私はこの都市を拠点に街おこしをしています。
武蔵小杉では、ゴミ拾いを通じて地元の人と川﨑を訪れた人を繋ぐためにチームを立ち上げ、定期的に活動したり、川崎の宮前区近辺でとれた野菜の販売に関わることで、地元野菜の認知度を上げ、農家さんと消費者の方々を繋ぐ役割をしています。
活動の目的は「人と人を見える関係でつなぐこと」。
今はこの地域の魅力を知ってもらえるよう様々な活動に関わっていますが、かつて私はこの街でいじめを経験しました。
数年前までは人に打ち明けられず、あまり公にしたくないと思い続けてきた過去。
当時の友達は、「友達」と呼べるほどしっかりとした繋がりはなかったので、あまりいませんでした。
地元にいる居心地の悪さに一層のこと自分が消えていなくなればいいのではないかと、この場所から身を引こうと思ったほどでした。
いつからでしょうか。私の中での考えが変わりました。
それは街や地域に目を向けるようになってからのように思えます。
そんな私がなぜいじめられていた地元で、あえて街おこしをしているのかについて書いていきたいと思います。
■まずはじめに私がなぜいじめられたか
私は人と少し人と違っていたのかもしれません。
人と一緒に居たいと思うのに、人との付き合い方がよく分かりませんでした。
兄弟はおらず、一人で黙々と絵をかくことが好きだったので幼少期からかなりのコミュニケーションを取ることが少なかったのです。
友達と一緒にご飯を食べたり遊ぶときも、何を話題にしたらよいのか、また何をすればよいのかが分からず、あえて考え込んでしまうことは日常茶飯事でした。
そのため、徐々に人に話を合わせること学びました。
浮きたくないと思う気持ちが先走り、周りの子たちが話している話題に必死について行こうと空気を読むことにしました。
でも、それが返って無理をしている印象を与えていました。
人とコミュニケーションが取れないことが、「あの子とうちらって合わないよね」「話を合わせてばかりで、なんだか変だよね」と、いじめを受ける原因になりました。
学校内では、常に何か線引きされているような気がして、一人で過ごす時間は自分を追い込むことにも繋がりました。
孤独でした。
■友達を求め、第三の場所が欲しかった。第三の場所から学んだこと
街おこしに興味を持ったのは高校2年生の時です。
学校は都内の高校に進学しました。
自身の取り巻く環境は変わり、いじめもなくなりました。
だけど学校と家にしか居場所を感じていなかった過去の自分のトラウマによって、無意識に第三の自分の居場所を求めていました。
同じ学校の友人以外の友人を求め、ボランティア活動に参加しました。
最初は川崎市に限らず、都内や各地でボランティア活動の一環として街中のゴミ拾いを始めました。
参加者の中には、老若男女いろんな人がいました。
障害を持っている小さな男の子がいたり、人見知りな子がいたり、ものすごいバックボーンを持っている人がいたり。
無条件に参加でき、共同作業で繋がれる空間には、年齢、職業、特色が違う人などいろんな人が集まります。
繋がる人はみんな違うので、普通に話すよりも気軽に話せる出会いの場になりました。
無理矢理話を合わせる必要がなく、会話が尽きないのです。
私は第三の居場所に出会い、活動を通じて人と違うことに抵抗を感じなくなりました。
「違う」という言葉は、良くも悪くも比べてみて同じでない状態や状況を意味しますが、私がいじめから学んだのは、「異なるという一つの才能」でした。
また違いを受け入れることは、私がこれまで肩身が狭い想いをしていた地元にもゴミを拾うことで再び関心を持つきっかけとなりました。
どこにゴミが落ちているか、なぜ落ちているのか、どういった人が落としているのか、街を歩くことで自然に生活している人のことを考え、目の前の街の現状を知ることでその街の一人であるという愛着がわきます。
定期的に開催すれば、「また落ちているよー。なんでだろう、どうすればなくなるかな?」と、公共な場でも自分ごとのように思え、街を身近に捉えることができるようになりました。
ここで街おこしを通したコミュニティーに無限の必要性と可能性を感じたのです。
■自身の経験がきっかけを創りだした。いじめから得たこと
いじめを経験したことは自身の関心の幅を広げることなりました。
現在、私が街おこし以外にガーナの学校支援やフェアトレードにも関わっているのも、そのためです。
日本から遠い国の人のことも、「人ごと」と捉えるのではなく、「身近なこと」と捉えることができるようになりました。
私は、困っている人や物を見つけた時には「しょうゆをお隣の人に貸す感じ」と表現します。
助けるというよりは、何か不足しているものがあれば当たり前に補う感覚です。
いじめを通じ、人の痛みがわかることで、その痛みを自分ごととして捉えることができるようになりました。
つまりそれは他人をより身近に感じるようになったということです。
昔の日本であれば、ごく普通に行っていたことに思えますが、はたして現在はどうでしょうか。
「人の痛みがわかるようになり、しょうゆ感覚を手に入れたこと」は、いじめから得た最も重要なポイントでした。
■共感は社会を変化させる。これからの社会の在り方
アメリカのトランプ大統領の就任、18歳選挙権、待機児童や社会保障など、今ニュースで挙げられている社会問題には、なかなか若者が当事者意識をもって共感するには厳しいかもしれません。
そしてその中でも、いじめやLGBTなどは個人的な問題と思われがちな社会問題の一つに過ぎず、まだまだ関わっている実感が持ちにくいまま埋もれています。
そのため、私たちが今後すべきなのは、より多くの人に気づいてもらうために、一人一人が声をあげていくことだと思います。
自分がどう思っているかを明確にし、発信することでマイノリティーをメジャーにしていく必要があります。
私がいじめ経験を語り続けるのもここに根源的な想いがあるからです。
自分の過去の経験がたとえ辛いものであったとしても、その出来事を知ってもらうことで周囲にインパクトを与え、違いが物事を良い方向に伸ばします。
そもそも、人間誰一人同じ人などいるはずがなく、同じことを考えていたとしても一人一人の解釈によって多少の違いが生じます。
大切なのはその個性を当たり前に受け入れる状態を作ることです。
今後、10年、20年と世界が変化を繰り返す中、個人個人が個性を受け入れて個性を伸ばす社会になれば、地域や街は社会は必ず良くなると思います。
けれども個性を受け入れる社会にするには、まだまだたくさんの声を拾い集めなければなりません。
私自身も個性という異なる一つの才能を発信し続けることで、これからの社会に影響を与えていきます。
19年間の想いを綴る、ハフィントンポスト初投稿でした。
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*Photo by Jun Kawamura