韓国の各都市で昨年末に封切られ、歴代観客動員数1位のジェームズ・キャメロンの「アバター」(2009年)を上まわる速度で観客を集めていると話題の、韓国映画「弁護人」を見て来た。今年の年始休日は私の住む大邱も韓国らしくない春のような暖かい日が続いていて、繁華街もそぞろ歩く人々でにぎわっていたが、「弁護人」の上映館は観客も中程度の入りで話に聞く熱気もそれほどには感じられなかった。たぶん、この映画が故「盧武鉉」前大統領の、自身の故郷釜山における若き人権派弁護士時代のエピソード――共産主義サークル摘発事件「釜林事件」の弁護や「6月民主抗争」を主導したこと――に材を採ったものだからだろう。
大邱広域市は韓国近代化を主導した三人の軍人出身大統領を輩出した「反共保守派の牙城」であり、北朝鮮との宥和政策を唱えた進歩派の金大中、盧武鉉両前大統領に対しては現在なお手厳しい。私の周囲では、「なかなか面白い映画だそうだが、あの盧武鉉という名を聞いて見に行く気を失くした」と冗談交じりに言う人が多かった。大邱では、彼に対しては韓国の一般的イメージ「庶民派の正義漢」というよりも、その一国の元首らしくない口の悪さや腰の軽さ、アマチュア的な政治手法、南北首脳会談におけるあの「金正日」に対して「兄事」(編集部注・兄に対するように、敬意と親愛の気持ちをもって仕えること)するような軽はずみな態度、そして最後にこれも「らしくない」奇妙な死の作法の記憶が人々の脳裏に強く刻まれていて、彼の妻の家系を根拠に「奴はパルゲンイ(アカ)だった」と極論する人たちも少なくない。しかしだからといって、韓国人(特に慶尚道人は)には回りの空気を見て行動するような「ヤワ」な人たちは少なく、面白いならいいじゃないかと言ってむしろムキになって見に行く天邪鬼が多いだろうと内心思っていたが、結果はやはり「なか」を取ったようなそこそこの入りで、周囲の観客たちは熱いコーヒーで満たした大型の紙コップを片手に山盛りのポップコーンを頬張りながら韓国人特有の怒ったような無表情でスクリーンを見つめていた。
映画はよく出来ていて、二時間たっぷりその世界に引き込まれた。一言で言えば人権問題を一種の勧善懲悪エンターテイメントに仕立て上げたハリウッド映画の韓国版のような感じであった。とは言え設定は相当にローカルで、全編が釜山という地方都市を舞台に、慶尚道の独特な方言が駆使され、海峡を吹き荒ぶ風に翳る釜山の海を背景にソウルとは一味違った地方人たちの個性的な人間像が描かれ、慶尚道に住み慣れた私としては言葉も雰囲気も実に分かり易く楽しめる映画だった。そして、エンドマークが出たあと薄明るくなった映画館内の観客たちの表情を観察するに、私も含めて観客の心にある種のカタルシス(解放感)のようなものがもたらされたように感じた。
朴正煕維新体制の末期である70年代の終わりに地方判事の職を辞して自身の故郷「釜山」にその男は家族と共に帰ってくる。弁護士を開業するためだ。釜山は、その男のつらい青春――妻子を養うために建築現場で働きながら高卒の身で司法試験に挑戦するという苦難の日々――の記憶が詰まった街でもある。男はその街で自己の不遇な青春の恨みや妻や子たちに苦労をかけた負い目を一気に晴らそうと、商業高校卒の経歴を逆に生かし不動産登記に始まり租税関連の「金になる」仕事をエネルギッシュにこなし忽ちに「人気弁護士」として頭角を現す。そして法曹界の同僚たちから金のためならなりふり構わぬ「高卒の俗物弁護士」と疎まれる一方で、有名建設企業からは専属弁護士としての誘いを受けるまでになる。かつて自身がその建設に日雇い人夫として従事した思い出の高級アパート、その最上階の釜山の海を見渡す部屋を買い取り妻子とそこに移り住み、苦難の日々に一杯の焼酎とクッパー椀にひとときの安らぎを購った市場の路地裏の食堂を訪ね、女主人に過ぎし日の過失を謝し、恩返しとして以後常連となり知人を引き連れ出入りするようになる。
79年10月帝王「朴正煕」が腹心の銃弾に倒された後「ソウルの春」もつかの間の80年、軍部の実権を握った全斗煥によって非常戒厳令が全国に拡大され、これに反発した光州の市民たちの示威が陸軍の特殊部隊によって過酷に鎮圧され、翌年の81年全氏を大統領とする第五共和国政府がスタートした。成功への階段を息せき切って突き進む主人公にも人生の転機が来る。新政権の全国的な反政府活動取り締まり強化のあおりをうけて、食堂の女主人の大学生の息子が社会科学の読書サークルに参加したことにより「共産主義者」として国家保安法違反容疑で拘引されてしまう。女主人に哀願されて拘置所での息子との面会に付き添うが、彼が目にしたものは連日の殺人的拷問によって人変わりしたようなその息子の悲惨な姿であった。それが、「金にならない」仕事には見向きもしない「俗物弁護士」が、公権力の国民への暴力と戦う「正義の闘士」に豹変する瞬間であった。そこから彼の法廷における「弁護人」としての熾烈な長い闘争が始まるが、結局その献身的努力にも関わらず軍事政権の圧倒的な強権の前では膝を屈するしかなかった。しかし、その男の人権擁護の闘争は終わらなかった。時は移り87年、長きに渡った軍事政権終焉の引き金となった大統領直接選挙制を求める全国的な6月民主抗争デモにおいて男は釜山の抗議市民を引率して戦闘警察の盾に立ち向かう。そして彼自身が国家扇動の罪で逮捕起訴され白い囚人服を着せられ法廷の被告席に座り判決を待つ場面でこの映画は幕を下ろす。
左派進歩勢力の言論リーダーであるハンギョレ新聞はこの映画について相当に好意的で肩入れした批評を載せている。曰く、「弁護人」には時代と呼吸する力がある、つまりこの映画は「現在の」朴政権における民主主義の後退、主権を持つ国民の不満が政治に反映されない「不当な現実」への抗議の正当性を謳っていると。そして、主人公が「大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から出てくる。 国家が国民だ」という憲法の条文を絶叫するに至る後半の長い法廷シーンをこの映画のクライマックスに挙げていた。しかし各紙に載せられた実際の批評家や観客のインタビューでも、また私の観察した周囲の観客の様子でもそうであったが、実際に彼らが最もスクリーンに吸い寄せられ、場内が大いに沸いた部分は前半において主人公が「俗物弁護士」から「正義の闘士」に変貌して行く過程であり、後半の法廷シーンはむしろ多少冗長に流れた感を否めなかった。
一人の男が、妻子のためになりふり構わず金を稼ぐ父親という「家族の守護者」から公権力の横暴から弱者である庶民の人権を守る「国民の守護者」にドラマチックに変貌する主人公の成長過程を辿ることで人々がカタルシスを得るゆえんには韓国大衆の持つある種の「疚(やま)しさ」の感情があると思う。そして私は、現在国内外でポピュリズムとも評されるところの韓国政治を動かしている要因の一つにこの韓国大衆の「疚しさの良心」があるように思えてならない。次回はその部分について多少詳しく考えを述べてみたい。(後半に続く)